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新たに生まれる ― 救いに至る道?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たに生まれる ― 救いに至る道?
「あなたは新たに生まれていますか」と尋ねられたなら,どうお答えになりますか。全世界の大勢のキリスト教信者は「もちろんです!」と答えるでしょう。信者たちは,新たに生まれることは真のクリスチャンのしるしであり,救いに至る唯一の道である,と信じています。「新たに生まれていない……人はクリスチャンではない」と述べた神学者ロバート・C・スプラウルと同じように考えているのです。
あなたも,新たに生まれることは救いに至る道だと信じておられますか。もしそうなら,親族や友人にもその道を見いだして歩み始めてほしい,と願っておられるでしょう。とはいえ,その道を見いだすには,新たに生まれている人とそうでない人との違いを理解する必要があります。あなたは,新たに生まれることの意味をどのように説明なさいますか。
多くの人は,「新たに生まれる」とは,神とキリストに仕えるとの厳粛な約束をすることによって霊的に死んだ状態から霊的に生きた状態へと移ることである,と信じています。最近のある辞書も,新たに生まれている人をこう定義しています。「一般的なクリスチャンで,信仰の誓いを新たにした,あるいは強化した人。とりわけ,強烈な宗教体験をした後にそうした人」。―メリアム・ウェブスター大学生用辞典第11版(英語)。
意外かもしれませんが,この定義は聖書の述べることと調和していません。あなたは,新たに生まれることについて神の言葉 聖書が何と教えているか,知りたいと思われますか。詳しく調べることは大切です。なぜなら,この点についての正しい理解は,あなたの人生および将来の希望に影響を与えるからです。
聖書はどう教えているか
聖書の中で,『新たに生まれる』a (再び生まれる)という表現は,ヨハネ 3章1-12節(「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会)に出てきます。そこには,興味をそそる会話が記録されています。イエスとエルサレムの宗教指導者との会話です。次のページには,その聖句全体が載せられています。どうぞじっくりとお読みになってください。
その会話の中でイエスは,『新たに生まれる』ことつまり新たな誕生の幾つかの面を説明なさいました。その説明から,次の五つの大切な点が分かります。
■ 新たな誕生はどれほど重要か
■ 新たな誕生を経験するかどうかは自分で決める事柄か
■ 目的は何か
■ どのようにして生じるか
■ どんな変化がもたらされるか
では,これらの点を一つずつ考えてみましょう。
[脚注]
a 『新たに生まれる』(新たな誕生)という表現はペテロ第一 1章3,23節(「新共同訳」)にも出てきます。ヨハネ 3章とペテロ第一 1章に出てくるこの表現はギリシャ語動詞ゲンナオーから派生しています。
[4ページの囲み記事/図版]
「あなたがたは新たに生まれねばならない」
「さて,ファリサイ派に属する,ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜,イエスのもとに来て言った。『ラビ,わたしどもは,あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ,あなたのなさるようなしるしを,だれも行うことはできないからです。』イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は,新たに生まれなければ,神の国を見ることはできない。』ニコデモは言った。『年をとった者が,どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ,神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。「あなたがたは新たに生まれねばならない」とあなたに言ったことに,驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても,それがどこから来て,どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。』するとニコデモは,『どうして,そんなことがありえましょうか』と言った。イエスは答えて言われた。『あなたはイスラエルの教師でありながら,こんなことが分からないのか。はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り,見たことを証ししているのに,あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば,天上のことを話したところで,どうして信じるだろう』」。―ヨハネ 3:1-12,「新共同訳」。
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新たな誕生 ― どれほど重要?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たな誕生 ― どれほど重要?
イエスはニコデモとの会話の中で,新たな誕生(新たに生まれること)の重要性を強調なさいました。どのようにでしょうか。
次のように述べて,強調なさいました。「人は,新たに生まれなければ,神の国を見ることはできない」。(ヨハネ 3:3,「新共同訳」,斜体は本誌)「なければ……できない」という表現は,新たな誕生の必要性をはっきり示しています。例えば,「太陽がなければ,日光を浴びることはできない」と言う場合,それは,日光を浴びるためには太陽が絶対に必要であると言っていることになります。ですからイエスは,神の国を見るためには新たに生まれることが絶対に必要である,と述べておられたのです。
イエスはさらに,念を押すかのようにこう述べておられます。「あなたがたは新たに生まれねばならない」。(ヨハネ 3:7,「新共同訳」,斜体は本誌)この言葉からも,新たに生まれることは「神の国に入る」ための必要条件である,ということがはっきり分かります。―ヨハネ 3:5,「新共同訳」。
このようにイエスは新たな誕生を極めて重要な事柄とみなしておられました。ですから,クリスチャンは新たな誕生を正しく理解する必要があります。ではまず,新たに生まれるかどうかをクリスチャンは自ら決めることができるのか,という点を考えてみましょう。あなたはどう思われますか。
[5ページの拡大文]
「太陽がなければ,日光を浴びることはできない」
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新たな誕生 ― 自分で決める事柄?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たな誕生 ― 自分で決める事柄?
新たな誕生を生じさせるのはだれでしょうか。聖職者の中には,クリスチャンとして新たに生まれるよう勧める際に,「あなたがたは新たに生まれねばならない」というイエスの言葉を用いる人がいます。(ヨハネ 3:7,「新共同訳」)このイエスの言葉を命令として用いて,「新たに生まれなさい」などと言います。それは,イエスに従って新たな誕生に必要な段階を踏むかどうかは当人次第だ,と教えていることになります。新たな誕生は自分で決める事柄だというわけです。この見方は,イエスがニコデモに述べた事柄と調和しているでしょうか。
イエスの言葉を注意深く読むと分かりますが,イエスは新たな誕生を経験するかどうかを決めるのが人間であるとは教えていません。なぜそう言えますか。『新たに生まれる』と訳されているギリシャ語の表現は,「上から生まれる」とも訳されます。a その訳が示すとおり,新たな誕生は「上から」,つまり「天から」あるいは「父から」生じます。(ヨハネ 19:11,脚注。ヤコブ 1:17)新たな誕生を生じさせるのは神なのです。―ヨハネ第一 3:9。
「上から」という表現を念頭に置くと,新たな誕生を自分で生じさせることはできないと言える理由が分かりやすくなります。あなたが赤ちゃんとして生まれた時のことを考えてみてください。生まれるかどうかを自分で決めることができましたか。もちろんできませんでした。お父さんがいたからこそ,あなたは生まれました。同様に,新たな誕生は,天の父である神が生じさせてくださるからこそ経験できるものなのです。(ヨハネ 1:13)それゆえ,使徒ペテロはこう述べました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が,ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより,わたしたちを新たに生まれさせ……てくださいました」。―ペテロ第一 1:3,4,「新共同訳」,斜体は本誌。
これは命令?
とはいえ,こう考える方もおられるかもしれません。『新たに生まれるかどうかを自分で決めることができないのなら,イエスはなぜ「あなたがたは新たに生まれねばならない」と命令なさったのだろうか』。もっともな疑問です。もしイエスの言葉が命令であるなら,イエスはわたしたちに自分ではどうすることもできない事柄を行なうよう命じておられることになります。そんなことは考えられません。では,「新たに生まれねばならない」という言葉を,どのように理解すればよいでしょうか。
原語では,この言葉は命令文ではありません。平叙文です。イエスは,「新たに生まれねばならない」と言った時,命令していたわけではなく,事実を述べていました。「あなた方は,上から生まれることが必要です」と述べていたのです。―ヨハネ 3:7,「現代版ヤングの字義訳」(英語)。
これを例えで考えてみましょう。ある都市に幾つかの学校があります。そのうちの一つは,市外の遠隔地に住む先住民族の子弟のためのものです。ある時,先住民族ではない子どもが校長に,「僕もここに入学させてください」と言います。校長は「入学するには,君は先住民族でなければならない」と答えます。これはもちろん命令ではありません。「先住民族になりなさい」と命じているのではなく,入学に必要な資格という事実を述べているにすぎません。同様にイエスは,「あなたがたは新たに生まれねばならない」と言った時,「神の国に入る」のに必要な資格という事実を述べていたにすぎません。
神の国 ― これは,新たな誕生のもう一つの面と関係があります。つまり,目的です。新たな誕生の目的とは何でしょうか。この点の答えを得ることは,新たに生まれるとはどういう意味かを正しく理解するのに欠かせません。
[脚注]
[6ページの図版]
新たな誕生と赤ちゃんの誕生にはどんな共通点があるか
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新たな誕生 ― その目的は?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たな誕生 ― その目的は?
多くの人は,とこしえの救いを受けるには新たに生まれることが必要だと信じています。とはいえ,イエスは新たな誕生の目的についてこう言われました。「人は,新たに生まれなければ,神の国を見ることはできない」。(ヨハネ 3:3,「新共同訳」)ですから,新たに生まれることは,神の国に入るために必要なのです。救いを受けるためではありません。『でも,神の国に入るのも救いを受けるのも同じ報いのことではないか』と考える方もおられるでしょう。しかし,その二つは同じではありません。では,違いを理解するために,まず「神の国」とは何かを考えましょう。
この「神の国」とは“神の政府”のことです。神の国の王は「人の子」イエス・キリストであり,キリストと共同して支配する者たちもいる,と聖書は教えています。(ダニエル 7:1,13,14。マタイ 26:63,64)また,使徒ヨハネに授けられた幻によれば,キリストの共同支配者は「あらゆる部族と国語と民と国民」から選ばれた人々であり,「地に対し王として支配」します。(啓示 5:9,10; 20:6)王として支配する人々は「地から買い取られた」14万4,000人の「小さな群れ」を構成する,ということも神の言葉は明らかにしています。―啓示 14:1,3。ルカ 12:32。
神の国はどこに立てられるのでしょうか。「神の国」は「天の王国」とも呼ばれています。ですから,キリストと共同支配者たちは天から支配します。(ルカ 8:10。マタイ 13:11)このように,神の国は天の政府であり,イエス・キリストおよび人類から選ばれた共同支配者の一団で構成されます。
では,イエスは,「神の国に入る」には新たに生まれなければならないと述べた時,何を言わんとしておられたのでしょうか。それは,天でキリストの共同支配者となるには新たに生まれる必要がある,ということです。新たな誕生の目的は,簡潔に言えば,天から支配する限られた数の人々の一団を整えることなのです。
ここまでで,新たな誕生は極めて重要であり,神によって生じ,天で支配する人々の一団を整えるものである,ということが分かりました。では,新たな誕生はどのようにして生じるのでしょうか。
[7ページの拡大文]
新たな誕生の目的は,天から支配する限られた数の人々の一団を整えること
[7ページの図版]
イエス・キリストおよび人類から選ばれた共同支配者の一団が神の国を構成する
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新たな誕生 ― どのようにして?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たな誕生 ― どのようにして?
イエスが新たな誕生についてニコデモに説明なさったのは,どれほど重要か,だれが決めるか,どんな目的があるか,ということだけではありません。どのようにして生じるかも説明なさいました。こう述べておられます。「だれでも水と霊とによって生まれなければ,神の国に入ることはできない」。(ヨハネ 3:5,「新共同訳」)ですから,人は水と霊とによって新たに生まれます。では,この「水と霊」は何を指しているのでしょうか。
「水と霊」― 何のことか
ニコデモはユダヤ教の宗教学者だったので,ヘブライ語聖書に出てくる「神の霊」とは神の活動する力のことである,とよく知っていたに違いありません。その力は人に働きかけて,並外れた事柄を行なわせることができます。(創世記 41:38。出エジプト記 31:3。サムエル第一 10:6)それで,イエスが「霊」と述べた時,ニコデモは,それは神の活動する力つまり聖霊のことだと理解したはずです。
では,イエスが述べた水は何を指しているのでしょうか。ニコデモとの会話の前後の記述によると,バプテスマを施す人ヨハネが,そしてイエスの弟子たちが水でバプテスマを施していました。(ヨハネ 1:19,31; 3:22; 4:1-3)このことはエルサレムでよく知られていました。ですから,イエスが水に言及した時,ニコデモは,イエスが述べているのは単なる水ではなく水のバプテスマのことである,と悟ったはずです。a
「聖霊」によるバプテスマを受ける
『水によって生まれる』ことが水のバプテスマを受けることを指しているのであれば,『霊によって生まれる』ことは何を意味しているのでしょうか。イエスとニコデモの会話より前,バプテスマを施す人ヨハネは,水だけでなく霊もバプテスマにかかわりがあるということを明らかにし,こう言いました。「わたしはあなた方に水でバプテスマを施しましたが,その方[イエス]はあなた方に聖霊でバプテスマを施すでしょう」。(マルコ 1:7,8)そのようなバプテスマが初めて行なわれた時のことを,福音書筆者マルコは次のように記録しています。「そのころのこと,イエスがガリラヤのナザレから来て,ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。そして,水から上がられてすぐ,天が分かれ,霊がはとのようになって自分の上に下って来るのをご覧になった」。(マルコ 1:9,10)イエスはヨルダン川に体を浸されて,水のバプテスマを受けました。そして天からの霊を授けられて,聖霊によるバプテスマを受けました。
イエスはバプテスマの約3年後,弟子たちにこう告げました。『あなた方はこれから幾日もたたないうちに聖霊をもってバプテスマを施されるでしょう』。(使徒 1:5)この言葉どおりのことは,いつ起きたでしょうか。
西暦33年のペンテコステの日,イエスの弟子たち約120人がエルサレムの一軒の家に集まっていました。すると「突然,激しい風の吹きつけるような物音が天から起こり,彼らの座っている家全体を満たし」ました。「そして,さながら火のような舌が彼らに見えるようになって……彼らはみな聖霊に満たされ」ました。(使徒 2:1-4)その同じ日,エルサレムにいた他の人たちは水のバプテスマを受けるよう促されました。使徒ペテロが群衆にこう告げます。「悔い改めなさい。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」。人々はどう反応しましたか。「彼の言葉を心から受け入れた者たちはバプテスマを受け,その日におよそ三千人の魂が加えられ」ました。―使徒 2:38,41。
二つの段階
これらのバプテスマの例から,新たな誕生は二つの段階を経て生じる,ということが分かります。イエスは,まず水のバプテスマを受け,それから聖霊を授けられました。同様に,初期の弟子たちも,まず(バプテスマを施す人ヨハネなどによる)水のバプテスマを受け,それから聖霊を授けられました。(ヨハネ 1:26-36)3,000人の新しい弟子たちも,まず水のバプテスマを受け,それから聖霊を授けられました。
西暦33年のペンテコステの日のバプテスマに基づいて考えると,現代において新たな誕生はどのように生じると言えるでしょうか。イエスの使徒たちや初期の弟子たちの場合と同じように生じると言えます。人はまず,罪を悔い改め,間違った生き方をやめ,エホバへの崇拝と奉仕のために献身し,その献身を水のバプテスマによって公にします。その後,神の国の支配者として仕えるよう神によって選ばれたなら,聖霊で油そそがれます。この二つの段階の第1段階(水のバプテスマ)は各自が行なう事柄ですが,第2段階(霊によるバプテスマ)は神によってなされます。両方のバプテスマを経た人は,新たな誕生を経験したことになります。
とはいえ,なぜイエスはニコデモとの会話の中で,『水と霊とによって生まれる』という表現をお用いになったのでしょうか。水と霊によるバプテスマを受ける人たちが極めて大きな変化を経験する,ということを強調するためです。次の記事では,新たな誕生のその面を取り上げます。
[脚注]
[9ページの図版]
ヨハネは,悔い改めたイスラエル人に水のバプテスマを施した
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新たな誕生 ― その結果は?ものみの塔 2009 | 4月1日
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新たな誕生 ― その結果は?
イエスが,聖霊によるバプテスマについて語った時に,『霊によって生まれる』という表現をお用いになったのはなぜでしょうか。(ヨハネ 3:5,「新共同訳」,斜体は本誌)比喩として用いられる場合,“誕生”という語は“始まり”を意味します。“国家の誕生”などと言う場合がそうです。したがって,「新たな誕生」は“新たな始まり”を意味します。『生まれる』および「新たな誕生」という比喩表現は,聖霊によるバプテスマを受けた人が神との関係において新たな始まりを迎える,ということを強調しているのです。では,神との関係におけるその著しい変化はどのように生じるのでしょうか。
使徒パウロは,天で支配することになる人々を神がどのように整えられるかを説明する際,家族関係に基づく例えを用いました。当時のクリスチャンにあてた手紙の中で,彼らが「養子」とされ,それゆえ神から「子に対するようにして」扱われる,と書いています。(ガラテア 4:5。ヘブライ 12:7)聖霊によるバプテスマを受ける時に生じる変化を,この養子の例えによってどのように説明できるのでしょうか。先ほどの,入学を願う子どものことを考えてみましょう。
養子となることによって生じる変化
その子は,学校に入ることができませんでした。先住民族でないからです。しかし,ある日,大きな変化が生じます。先住民族の一家の父親の合法的な養子となったのです。その子はどうなりますか。養子となったので,先住民族の子弟と同じ権利を持つようになりました。入学する権利もあります。養子となることによって,その子の将来の見込みは著しく変化したのです。
新たな誕生を経験する人の場合も,重要度がはるかに高いとはいえ,それと似ています。どんな点が似ているのでしょうか。その子が学校に入るには資格を有していなければなりません。先住民族であるという資格です。しかし,自分の力でその資格を得ることはできません。同様に,人が神の国つまり天の政府に入るには資格を有していなければなりません。「新たに生まれ」ているという資格です。しかし,自分の力でその資格を得ることはできません。新たな誕生は神に依存しているからです。
その子に変化をもたらしたものは何でしょうか。養子縁組という法的手続きです。もちろんこの手続きによって,その子の本質が変わったわけではありません。養子となってからも,その子がその子であることに変わりはありません。とはいえ,養子となるための法的な資格にかなうようになった結果,その子は新たな立場を得ました。新たな始まり,つまり“新たな誕生”を経験したのです。養子となったおかげで,入学の権利を得,養父の家族の一員となりました。
同じように,エホバは養子縁組という法的手続きによって,不完全な人間の一団に変化をもたらされました。その一団に属する使徒パウロは,仲間の信者たちにこう書いています。「あなた方は,……養子縁組の霊を受けたのであり,わたしたちはその霊によって,『アバ,父よ!』と叫ぶのです。霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供であることを証ししています」。(ローマ 8:15,16)養子縁組によって,それらのクリスチャンは「神の子供」つまり神の家族の一員となったのです。―ヨハネ第一 3:1。コリント第二 6:18。
もちろん,神による養子縁組によって,それら養子となった人たちの本質が変わったわけではありません。彼らは依然として不完全でした。(ヨハネ第一 1:8)とはいえ,パウロが説明しているとおり,彼らは養子となるための法的な資格にかなった結果,新たな立場を得ました。そして神の霊が,それら養子となった人たちに,天でキリストと共に生きることになるという確信を植え付けました。(ヨハネ第一 3:2)聖霊が与えるこの揺るがぬ確信により,彼らは命に関して全く新たな見方をするようになりました。(コリント第二 1:21,22)新たな始まり,つまり新たな誕生を経験したのです。
神の養子となった人たちについて,聖書はこう述べています。「彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」。(啓示 20:6)神の養子は,キリストと共に,神の国つまり天の政府における王としての立場を享受します。使徒ペテロは仲間の信者たちに,彼らが「朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産」を受けること,そしてそれは彼らのために「天に取って置かれているもの」であるということを告げました。(ペテロ第一 1:3,4)まさに貴重な相続財産です。
とはいえ,この支配に関して次のような疑問が生じます。新たに生まれている人たちが天で王として支配するのであれば,だれがその支配を受けるのでしょうか。次の記事ではその点を取り上げます。
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パウロは養子縁組に関して何と述べたか
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少数が支配し,多くが益を得るものみの塔 2009 | 4月1日
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少数が支配し,多くが益を得る
使徒たちの時代以来,神は人類の中から限られた人数の忠実なクリスチャンを選び,養子としてこられました。養子となる人たちは著しい変化を経験するので,神の言葉はその変化を新たな誕生と呼んでいます。新たな誕生の目的は,そのようにして新たに生まれる神の僕たちを天での支配者となるよう整えることです。(テモテ第二 2:12)その人たちは,支配者となるため,死から天の命へとよみがえらされます。(ローマ 6:3-5)天でキリストと共に「地に対し王として支配する」のです。―啓示 5:10; 11:15。
とはいえ神の言葉は,新たに生まれる人たち以外にも永遠の救いを受ける人たちがいる,と述べています。聖書は(ヘブライ語聖書もクリスチャン・ギリシャ語聖書も),神が二つのグループの人々の救いを意図しておられる,という事実に言及しています。天で支配者となる人々の比較的小さなグループと,地で臣民となる人々の大きなグループです。使徒ヨハネは,新たな誕生を経験した仲間の信者にあてた手紙の中で,イエスについてこう述べています。「彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたち[小さなグループ]の罪のためだけではなく,全世界[大きなグループ]の罪のためでもあります」。―ヨハネ第一 2:2。
使徒パウロもこう書いています。「創造物[大きなグループ]は切なる期待を抱いて神の子たち[小さなグループ]の表わし示されることを待っているのです」。(ローマ 8:19-21)使徒ヨハネと使徒パウロのこれらの言葉には,次の点が示唆されています。新たに生まれる人たちは天の政府の一員になります。その目的は何ですか。地上で神の政府の臣民となる無数の人たちに永遠の益をもたらすことです。それゆえ,イエスは弟子たちに,こう祈るよう教えられました。「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」。―マタイ 6:10。
二つのグループに救いが差し伸べられているというこの真理は,ヘブライ語聖書にも記されています。エホバはイエスの父祖アブラハムにこうお告げになりました。「あなたの胤[小さなグループ]によって地のすべての国の民[大きなグループ]は必ず自らを祝福するであろう」。(創世記 22:18)祝福は,アブラハムの「胤」を通してすべての国の民に及ぶのです。
この「胤」とはだれでしょうか。イエス・キリスト,および新たな誕生を経験して神の養子となった人たちです。使徒パウロはこう説明しています。「キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤……です」。(ガラテア 3:16,29)では,「胤」を通してすべての国の民にもたらされるのはどんな祝福でしょうか。神の恵みを受け,地上の楽園で終わりのない命を楽しむという祝福です。詩編作者ダビデはこう預言しています。「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」。―詩編 37:29。イザヤ 45:18。啓示 21:1-5。
このように,天での支配は少数の人にゆだねられますが,天での支配がもたらす益 ― 地上での永遠の命などの豊かな祝福 ― は多くの人に差し伸べられています。あなたも,そしてあなたのご家族も,神の国から永遠の益を受けることができるのです。
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