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目ざめよ! 1976
目76 3/8 17–21ページ

シェルパの村への旅

インドの「目ざめよ!」通信員に語られた話

わたしはシェルパ族のガイドで,ナワン・フィンツオと申します。シェルパ族についてお聞きになったことがありますか。きっとあると思います。特に,寒くて不気味な,ネパールのヒマラヤ山脈にいどんでみようという勇気をお持ちの方ならなおさらです。わたしたちシェルパ族は,ヒマラヤ山脈と切っても切れない結び付きがあります。幾千年もの間,わたしたちはこの山脈の,雪に覆われたくぼ地に住居を構えてきました。有名なエベレスト山は,わたしたちの村を見守るようにしてそびえています。わたしたちの眼前にその山ろくの広がる,標高8,848㍍のエベレストは,確かにこの山脈全体の王者と言えるでしょう。

わたしたちシェルパ族は故郷の山々を誇りにしている,と思えるかもしれませんが,わたしたちがそれ以上に自慢の種にしているものは,ばら色のほほをした娘たちと,力強くて純真な息子たちです。わたしたちの家は大きくて,気楽な所ですが,わたしたちの心もそれと同じです。シェルパ族の笑顔は,一度見ていただいたら決して忘れられないでしょう。ヒマラヤの厳しい寒さを忘れさせるほど明るく,温かみがあります。何はともあれ,わたしの村,ジュンベシまで一緒に旅をし,心のこもったシェルパ族のもてなしをご自分で味わってください。

ここネパールでは,今ごろ,つまり10月から12月の間が,旅をするのに最適の季節です。もっとも,厳しい寒さに耐え,大雪を物ともしないつもりなら,一月や二月にでも旅は可能です。

しかし,出掛ける前に,中央移民局に旅行許可証の申請を済ませねばなりません。荷かつぎ人夫として,力の強い,屈強な男二人をすでに手配してあります。また,ここにいるソナムは,わたしの村から来た腕利きのシェルパ族の料理人で,旅の途中で食事をする際,わたしたちの味覚を満足させてくれるでしょう。

用意はできましたか。それでは,ジープに似た車に乗ってカトマンズを出発し,72㌔離れたラムサングへ向かいます。今朝の空気はとても新鮮です。それは,遠くに見える,あの雪を頂いた峰々から吹き下ろしてきた,きれいで,澄み切った,さわやかな空気です。

山歩き

ラムサングからは徒歩で山登りを始めます。ひんやりとした午後のそよ風は,この登山を成功させるのに欠かせません。細くて,乾燥し切った,ほこりっぽい道が,くねくねと上に向かいます。道の片側には,きびと小麦の畑が下の小川まで続いています。白い峰々を一目見ようと首を伸ばしておられるようですが,わたしはこう言います。「忍耐しなければなりません。まだ三時間しか歩いていませんよ。きっと明日の夕方には,壮大なヒマラヤ山脈をお目に掛けられるでしょう」。

しかし今夜は,まだ午後5時ですが,ぼつぼつキャンプを張る時間です。夜のとばりがわたしたちを包む前に,テントを張って,何か食べなければなりません。

わたしたちは,高度1,800㍍のスーロ・パカまで来ました。いよいよ寒さが身にしみてきます。間もなくソナムが,わたしたちの食欲を満たすためにシェルパ料理を作ってくれるでしょう。油いための小麦粉を使った,温かくて濃いシチュー,体をしんから暖める唐辛子の利いた野菜,そして鳥肉が,すき腹を満たしてくれます。さて,もう床に就く時間です。まだ午後七時ですが,わたしの故郷,シェルパの里に行くためには,十分の休息が必要です。

翌朝,コーヒー,玉子,トーストでおいしい朝食を済ませ,身を起こして再び斜面を登り始めます。三時間で高度2,500㍍の地点にたどり着き,昼食のために一休みします。ここはマルディです。そして,ご覧ください。あなたの忍耐は幾らか報われたようです。遠くに白い山が見えますか。あれは,標高7,937㍍のアンナプルナです。しかし,これはまだほんの序の口です。旅を続けるにしたがって,雄大なヒマラヤ山脈の景観がさらに開けてくるのです。

忘れ難い経験

変化に富んだ四日の旅は終わりました。非常に魅力的な四日間の経験をあれこれと思い出します。これまでなら,夢や物語の中にしかなかったような経験です。記憶が新しいうちに,その幾つかを思い起こしてみましょう。

最初の朝は,背筋の寒くなるような経験で始まりました。ヒマラヤの激流の上にかかるつり橋が,今にも崩れ落ちそうなきしみ音を立てて揺れる中をわたしたちは渡ったのです。それから,一生懸命に坂道を登ってマンガ・デオラリ峠(2,300㍍)にたどり着いた時には,確かにいっぱしの冒険家になったような気がしました。草の生い茂るチトレ(2,200㍍)の岩棚で,神秘的な気分にひたってお茶の時間を過ごし,その後高山植物や曲りくねったビャクシンの木の間を歩き,最後に美しいキランチャップで昼食をたっぷり食べたのも忘れ難い思い出です。ナムドでいつもとは違った一晩を過ごしてから,翌日もまた山を登り,標高2,500㍍の峠を,もう一つ越えました。夕方までにはシクリ・コーラに着き,そこの澄み切った流れのほとりでキャンプを張りました。わたしたちは,下を流れる谷川のせせらぎを聞きながら夢心地になり,ぐっすり眠りました。

さらに二晩が過ぎました。その二晩のうちでは,夢のようなチャヤングマ峡谷で過ごした晩のことをよく覚えておられるでしょう。そこには,飾り立てられた仏教のチョルテンが一つだけ立っていました。チョルテンとは,普通は数㍍もある堂々とした石碑にシェルパが付けた呼び名です。この石碑は幾層もの石が積み重ねられてできており,一番上には大きくてずんぐりした丸屋根を頂いています。その丸屋根の上には小さな冠状のものが載っており,その先には大抵気のきいた三角帽子風のものが飾られています。その冠には四つの顔があり,それぞれ蒙古人らしい細い目が二つずつ刻まれている場合もあります。その目付きは鋭く,それが生きているかのように見えます。チョルテンは,崇拝の対象となっている先祖の遺骨が納めてある所と信じられています。しかし,チョルテンに関していちばん魅力的なのは,それが山腹の選り抜きの場所に建てられている点です。選り抜きの場所というのは,そこが回りにそびえる山々や下方の村などの,日ごとに変わる美しい景色を見渡せる所だからです。チョルテンの傍らに腰を下ろして,回りの景観をながめるのは,心をなごませてくれる忘れ難い経験です。

笑顔に満ちたシェルパ族の村へようこそ!

標高3,550㍍の壮大なラムジュラ峠を越えると,眼下には,明るく輝くジュンベシ峡谷が横たわっています。ここがわたしの郷里,ヒマラヤ山中の楽しいシェルパ族の村です。段々畑に別れを告げ,どっしりとした松の木の里,涼しい高山性の環境に包まれた,心温まるシェルパ族の故郷に,ようこそおいでくださいました。

村に入ってしまう前に,この丘に座って一休みしましょう。実際のところ,シェルパの村は,ネパールに住む他の種族の村とは異なっています。一つの点として,シェルパ族の居住地は他の種族の場合よりも高い地点にあります。わたしの村ジュンベシは海抜2,600㍍ほどの地点にありますが,海抜3,000㍍から4,000㍍の地点にも,これより大きなシェルパ族の村が,険しい山の斜面に,今にも落ちそうな形でへばり付いているのが見られます。

日が暮れるのは早いですから,我が家に向かって急いで山を下りた方がよいようです。ズオの鳴き声が聞こえますか。ズオは牛の一種ですが,インドのコブウシとヒマラヤのヤクの交配種ですから,あなたの知っておられる牛とは異なっているに違いありません。村の犬が,たそがれの空に向かって遠ぼえしています。そして,家々から立ち上る煙を見るといっそうおなかがすいてきます。「どこへ行こうとも,我が家に勝る所はない」と言った人がいますが,わたしもそれに同意しなければなりません。ヒマラヤ山脈に見守られた故郷に帰って来ると,本当に満ち足りた気持ちになります。

シェルパの家にお上がりください

このシェルパ式のわが家は,こけら板で覆われた傾斜のゆるい切妻屋根のある,大きな二階建てです。大抵のシェルパ家屋は,わたしの家と同じく南向きに建てられ,窓には精巧な彫刻か施してあります。

掃除の行き届いた木の階段を登り,よくみがかれた廊下を通って,左側の居間に入ります。木の床は,丹念にみがかれていて光沢があります。東向きの窓のすぐ下には,チベット産のじゅうたん地ですっぽり覆われた長いすがあります。それは,東洋風の竜と輝く太陽,そして象徴的な花がすべて,緋色,あい色,明るいオレンジ色,金色など,色とりどりの糸で織られた,豪華な純毛のじゅうたんです。長いすの前には,それと同じほどの長さの木のテーブルがあります。妹のアン・カンジーが,いらなくなったバターと,森から取ってきた苦味のある葉で,そのテーブルをみがくのが毎朝見られます。バターでつやを出し,その葉でテーブルにハエが全くとまらないようにするのです。

初対面でも親しみ深い人々

さて,やっと中に入ると,好奇心にあふれた初体面の顔に取り囲まれます。シェルパ族の婦人をご覧になってください。背が高くて,がっちりしています。わたしたちが彼女たちを自慢できるのも不思議ではありません。婦人たちの衣服について少し説明しましょう。足首まで届く,暖かそうな黒いウールの外衣は,アンギと呼ばれます。はなやかな厚手のエプロンを着けている婦人がかなりいるのにお気付きでしょう。それは,その人が既婚の婦人であることを示しています。婦人たちの履く,厚手で,あざやかな色の布製の長ぐつには保温効果があり,寒さを忘れさせます。彼女たちは,仕事をする日になると,つやのあるその長い髪を束ね,花模様のスカーフで頭を覆います。その顔は色白でばら色を帯び,ほほはふっくらとしており,ひとみの黒い目じりは上がっています。力強くてたくましそうな男たちも婦人たちと一緒になって,なごやかに歓声を上げ,いろいろと冗談を飛ばしています。シェルパ族の社交生活が,ネパールの他のどの種族とも異なっているのはこの点です。シェルパの婦人は,引っ込み思案ではなく,人々と何のこだわりもなくとけ合います。

温かくて打ち解けたシェルパのもてなし

わたしの両親がやって来ました。その笑顔は,じゅうたん地で覆われた長いすに腰かけるよう勧めています。アン・カンジーが,受け皿とふたの付いた,模様のあるかわいらしい白磁のカップを置くと,母がそれに沸かしたての濃いシェルパ茶を注ぎます。一口飲んでみてください。疲れた神経を和らげてくれます。それは,これまでに味わったどんなお茶とも異なっているはずです。それは当然のことです。ヤクのバター,塩,砂糖,そして牛乳などを混ぜて,ドングモと呼ばれる一㍍余りの竹のミキサーに入れて,よく混ぜ合わせたお茶を飲んだことのある方が果たしておられるでしょうか。

シェルパ族の家族の着席順を説明しましょう。長いすの一番端,暖炉に最も近い所には父親が座ります。その次に賓客であるあなたが座りますが,その後は何の格式もありません。さて,親類の者たちがやって来ました。わたしに会いに来たと言ってはいますが,実はあなたをよく見ようとしてここに来たのです。そして内心では,あなたの国の言葉を話し,あなたの知っている世界について尋ねたいと思っているのです。

夕げを始める前に,食欲をいよいよそそらせるものがここにあります。それは,チャンと呼ばれる,シェルパ族独特の珍しいビールです。泡の立つ,乳白色のこのビールは,アルコール分が少なく,トウモロコシ,小麦,そして酵母を使った自家製のビールです。再びあの装飾を施したカップが各人の前に置かれ,妹が父の所へ,銀ぱくをかぶせた特製の磁器にチャンを入れて持って来ました。順番に,すべての人のカップが満たされます。

チャンは,どんな人々をもすぐに仲良しにさせます。晩さんが終わっても,まだ熱気はさめません。さて,皆は,炎の燃え上がる暖炉の回りに移動しました。女の人たちは,しゃがんで,赤ら顔の丸々太った子供に,乳を含ませています。想像も及ばないほどこっけいなシェルパ族の冗談に,大きな笑い声が響きます。それから少し変化を求める人がいて,最後の仕上げは背筋のぞっとするような物語になりました。それが終わると,もう床に就く時間です。

マニ・リムドの踊り

さあ,ジュンベシのシェルパたちと共に過ごす二日目の朝になりました。今日は,活動に満ちた一日となるでしょう。わたしたちシェルパは,今日からマニ・リムドの踊りの祭典を始めるのです。満月の夜の前後にわたる三日間続きます。その踊りは,海抜2,900㍍の絶壁にそびえ立つ,チウォン僧院で行なわれます。マニ・リムドの祭典はシェルパ特有のものですが,その起源は昔のチベットの劇場にまでさかのぼるかもしれません。

大抵の男性と男の子は,清潔なラベダ・ズボンに皮のベルト,西洋風の上着にネパール帽といういで立ちでこの祭典に臨みます。しかしそれも,ゆるやかに垂れるサテンのブラウスの上に高価な絹のアンギスをまとった,婦人たちのまばゆいばかりの華やかさに比べると,影が薄くなります。ブラウスが赤,オレンジ,そしてクリーム色などであるのに対して,アンギスは大抵,黒,紫,金,あるいは赤茶色です。婦人たちの胸や耳には,大きなネックレスや金色の手造りの装身具が重そうに下がっています。つやのある黒髪は,暖色の糸と一緒に編み合わされています。頭には,縁の回りを金糸で美しく縫い取りをした,丈の高い上品な毛皮の帽子をかぶっています。それは,同じほど人目を引く長ぐつとよく調和しています。その長ぐつは普通,黒か赤あるいは青緑色です。

朝の八時には出発の用意が整いました。男も女も,バター,チーズ,玉子,そしてお金などを十分に携えて行き,僧院の祭司長に差し出します。坂を登り下りしながら二時間歩いて,チウォン僧院に着くと,そこには,バルコニーからあふれる人,正門から出入りする人など非常なにぎわいが見られました。

午前十一時ごろに踊りが始まりますが,祭司長がながめる中でもっぱら僧院の祭司たちが踊ります。踊り手のかぶっている仮面には,想像を絶するほどにどう猛で冷酷な表情の描かれたものもあります。シンバルが打ち鳴らされ,ラッパが吹かれ,リズムに乗った僧院の大太鼓の音が鳴り響きます。その間,精力的なラマ(祭司)たちは,一つの物語の一部始終を踊りで表現するのです。それが終わるのは,午後六時ごろになります。

昼はラマたちだけが踊りますが,夜はすべて平信徒たちに開放されます。そうです,三日三晩は,シェルパ族の男女はほとんど眠りません。静けさを感じさせる青みがかった月は,地上の気違いじみたお祭り騒ぎに,まゆをひそめているかのようです。よく通る大きな声で民謡が歌われ,女性の高い声が男性のよく響く低い声と混じり合って聞こえてきます。老人や子供たちは,夜が更けるにつれてうたた寝を始めます。

別れを告げる

もう帰らねばならないと言われるのでしたら,無理にお引き止めするわけにはゆきません。では,シェルパ式の別れのあいさつをこの土地の人々にさせてください。彼らは,古風な白いスカーフであなたの頭を飾りたいと願っているのです。それは,深い敬意の表われです。わたしはカトマンズまでご一緒いたします。料理人のソナムと二人の荷かつぎの友人たちも同行します。ソナムと二人の荷かつぎの者,そしてわたしは,間もなくこの村に戻りますが,あなたにもまた来ていただきたいと思います。是非ともそうしてください。このヒマラヤのジュンベシの谷にある,笑顔の絶えないシェルパ族の村にまたおいでください。

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