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目ざめよ! 1976
目76 3/8 21–23ページ

信仰の合同は教会を救えるか

一致は非常に望ましいものと考えられています。特に家庭内に一致と調和が見られるのは,有益なことです。聖書も,共通の霊的な背景を持つ人々の示す調和に言及してこう述べています。「見よ,兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう」― 詩 133:1,口。

それでは,宗教の合同を図るのはよいことではありませんか。そのように考える人は少なくありません。例えば,1974年1月20日のこと,法王パウロ六世は,“キリスト教”諸集団すべてがローマ・カトリック教会の下に一致するよう祈り求めることを要請しました。この和解の精神は,カトリック教会の定めた,最近の“聖年”の主題にもなりました。また,世界教会協議会の1975年度の総会も,国籍や信仰を異にする人々の間にかけ橋を渡すことを主な議題として取り上げる予定でした。事実,1975年2月には,ニューヨーク市の聖パトリック大聖堂とユダヤ教のエマヌエル寺院の当局者は,両派の信者の間の関係を緊張させてきた諸問題を処理するために一年にわたる討議を行なう計画を発表しました。その後,初めてのこととして,ユダヤ教のラビが,カトリック教会の同大聖堂の説教壇から話をしました。

今日,信者の減少や財政難といった問題に悩まされる宗教組織が少なくないのは周知のことです。もちろん,土地によってはこうした問題の見られない所もあるかもしれませんが,大抵の所で問題は深刻化しています。そのため,信仰の合同が各派に一層の益をもたらすと考える多くの僧職者は,宗派の合同を促進しています。しかし,種々の宗派を合同するのは,聖書から見てふさわしいことですか。また,信仰の合同が成し遂げられるなら,それは諸教会を救いますか。

教理上の相違は問題とならないか

教理面での妥協が成立すれば,宗派の合同を促進するのに役立つに違いありません。こうした動きについて,人々はどう感じているでしょうか。1974年10月28日付のミルウォーキー・ジャーナル紙は,アメリカのある大都会を中心に行なわれた調査の結果を要約して,「すたれつつある『唯一まことの信仰』の概念」との見出しを掲げました。調査の対象となった1,323人のほぼ八割が,信仰合同の動きに賛意を表わしました。あるカトリック教徒は,「大切なのは何かを信じていることであり,何を信じているかはさほど重要でない」と語り,ルーテル派の一女性は,「基本的には皆同じことを信じているから,教理の解釈など,それほど重要だとは思いません」と述べました。

しかし,教理面で妥協をしてまで宗教の合同を図ろうとすることに関して,聖書に好ましい前例は記されていません。預言者モーセが神からの指示を受けるべくシナイ山に登っている間に,イスラエル人は,エジプトの宗教慣行とエホバ神の崇拝を融合させようとしました。アロンが金の子牛の像を造ったところ,次のようなことが言われました。『イスラエルよこれは汝をエジプトの国より導きのぼりし神なり』。そこでアロンは,その子牛の前に祭壇を築き,『明日はエホバの祭りなり』と人々に告げました。翌日,燔祭と酬恩祭の犠牲がささげられた後,民は飲み食いし,立ち上がって『戯れ』ました。それをご覧になって,エホバ神はどう感じられましたか。非常に不快に思われました。真の崇拝と偽りの宗教を混合させようとする試みは明らかに神の是認を受けませんでした。―出エジプト 31:18–32:10。

信仰の合同を奨励するどころか,神はモーセを通して,古代のご自分の民に向かってこう言われました。「汝かれらおよび彼らの神と何の契約をもなすべからず」。『エホバをおきてほかの神に犠牲をささぐる者をば殺すべし』。(出エジプト 23:32; 22:20)同様に,神のみ子イエス・キリストも,誤った宗教観を抱く者たちと決して妥協しませんでした。例えば,キリストは次のように語っておられます。「偽善者なる書士とパリサイ人たちよ,あなたがたには災いが来ます! あなたがたは人の前で天の王国を閉ざすからです。あなたがた自身がはいらず,またはいる途中の者がはいることをも許さないのです」― マタイ 23:13。

神は何を求めておられるか

“いかなる犠牲を払ってでも”宗派の合同を図ろうとする動きは,明らかに神の是認を受けていません。それでは,エホバ神の是認を求める人々には,何が要求されていますか。『神を崇拝する者は霊と真理をもって崇拝しなければならない』と,イエス・キリストは言われました。(ヨハネ 4:24)この点からも明らかなように,聖書の真理を顧みない信仰合同は,エホバ神に受け入れられません。

真の崇拝にとって肝要なもう一つの点は,神のみ子イエス・キリストを受け入れることです。その点に関して,イエスはこう述べました。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」。(ヨハネ 14:6)しかし,キリスト教世界の分裂した諸宗派が,たとえキリストの名の下に統一されたとしても,それはエホバ神やイエスを喜ばせるものとはなりません。なぜですか。キリストはこう言われました。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。でもその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」― マタイ 7:21-23。

考慮に値する別の点は,キリスト教世界の諸宗派が,他の宗教の場合と同様,世の一部となっていることです。例えば,カトリックの一僧職者は,「戦争と平和,民族主義や国家主義,少数者の権利,人類の進歩,貧困といった,重要な問題における合意と行動」にまで及ぶ教会合同運動を唱道しています。しかし,キリスト教は,戦争や国家主義といった世の事柄にかかわりを持つべきでしょうか。キリスト教の創始者イエス・キリストによると,そうではありません。イエスは追随者たちにこう言われました。「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」― ヨハネ 17:16。ヤコブ 1:27; 4:4と比較。

地上での生涯を終えようとしておられたイエス・キリストは,神への祈りの中でこう言うことができました。「わたしはみ名を……知らせました。またこれからも知らせます」(ヨハネ 17:26)イエスは,エホバという神の名を自由に用いましたが,今日の名ばかりのクリスチャンは,聖書の翻訳その他に際して,神のお名前を用いようとはしません。一方,真のクリスチャンは,『なんぢらはわが証人なり われは神なり これエホバのたまえるなり』という聖書の言葉を心に銘記しています。(イザヤ 43:12)ご自分の名が全地で宣明されることはエホバ神のご意志であり,み父のお名前を知らしめたイエスに倣って,その業を推し進めているのは,エホバの証人だけです。―出エジプト 9:16。

神のお名前と密接な関係があるのは,王国にかかわるエホバの目的です。地上におられたとき,イエス・キリストは各地で王国の音信を宣べ伝え,ある時こう言われました。「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」。(ルカ 4:43; 8:1)王イエス・キリストが天の王座で支配する,設立された神の王国の良いたよりを今日宣明しているのは,やはりエホバの証人だけです。エホバの証人だけが,イエスの次の預言の言葉の成就にあずかっています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

神のお名前を宣明し,設立されたその天の王国について証しをしている宗教組織は,エホバの証人をほかにしてどこにもありません。ですから,こうした点だけを見ても,エホバの証人は他の宗教団体と何一つ共通する要素を持ち合わせていないことが分かります。エホバの証人が彼らと提携することは,とうてい不可能です。それらの宗教組織は,エホバの証人と同じ立場を取ろうとしないからです。

近い将来に何が予想されるか

しかし,他の宗派との合同を避ける別の重要な理由があります。聖書は,絶対不可避の極めて劇的な事態が,まさにこの世代のうちに,これら宗教組織の上に臨もうとしていることを示しています。宗派の合同は,諸教会を滅びから救うものとはなりません。次の点を考慮してください。

聖書の啓示の書には,『地の王たち[この世の政治勢力]が淫行を犯した』,象徴的な女,大いなるバビロンのことが書かれています。(啓示 17:1,2,5)また,「十本の角」や「野獣」という比喩的な言葉で,政治勢力にも言及し,こう述べています。「これらは娼婦[大いなるバビロン]を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。(啓示 17:12,16)その預言の中には,商業勢力のことも取り上げられています。「地の旅商人」は,大いなるバビロンの滅びのゆえに「泣いたり嘆いたりする」と記されているからです。(啓示 18:11)この預言の中で,商業および政治勢力を見定めるのは容易なことですから,大いなるバビロンが偽りの宗教の世界帝国を表わしていることも明白です。

それでは,このことは何を意味していますか。偽りの宗教の世界帝国が滅ぼされることを意味しています。しかも,聖書預言は,その滅びがまさにわたしたちの時代に生じようとしていることを示しています。(マタイ 24:34)ですから,聖書を信じる人は,教会合同運動や教会の合併そして種々の宗派の統一を図る動きに対して関心を示しません。そうした関心は,全くの徒労に終わるでしょう。

むしろ,心の正直な人々は天からの威厳のある声に答え応じて,ふさわしい行動を取ります。滅びに定められた大いなるバビロンに関連して,その声は次のように告げています。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」― 啓示 18:4。

宗教に対する無関心な態度が広まっていることから容易に推察できるように,世の偽りの宗教が滅びに面しても,特別に困るような人は多くいないでしょう。大いなるバビロンの滅びは絶対に避けられないものです。「エホバ神,彼女を裁いたかたは強いから」です。(啓示 18:8)このように,信仰の合同は教会を救うものとはなりません。むしろ,真の崇拝に携わり,『助けをもたらす神』エホバの是認を享受するようお勧め致します。―詩 68:20。

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