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目ざめよ! 1980
目80 9/8 11–14ページ

「ママ,これ買って!」

お金の賢明な使い方を子供に教える

“ママ,これ買って!” このような言葉を何とよく耳にすることでしょう。子供のころにはわたしたちも恐らくこうした言葉を口にしたことでしょう。母親は“いいですよ”と言うことも,“いけません”と言うこともありました。ときには,時間を割いてそれがなぜかを説明してもらえましたが,大抵の場合,わたしたちは,母親には買いたい物と買いたくないものがあるのだと感じさせられるだけでした。

そのように,大半の子供たちは手本を見てお金の使い方を学びます。事実,調査の示すところによれば,多くの親たちはお金の賢明な使い方を子供たちに計画的に教えてはいないようです。

恐らく皆さんは,何をいつ買うべきか,どのようにして価格を比較し,品質のよしあしを判断するか,また,いかにして現代の物質主義に陥らずにすむかを実際に教えていると思われるでしょう。しかし,こう自問してみることは助けになるかもしれません。「最近,わたしがそうするように意識的に努力したのはいつのことだっただろうか」。それは,意外なほどずっと以前のことである場合があります。

そのような努力を払ってきたかどうかにはかかわらず,この記事の中に載せられる原則や提案はきっと皆さんのお役に立つことでしょう。

こうした事柄は重要なことと言えます。というのは,皆さんがお子さんに守ってもらいたいと思っている原則とは異なるものを子供に教えようと意識的に努めている人々がいるからです。そのような人々は,生涯をかけて説得の術を学び取ってきており,物質の重要性に関して,皆さんの考え方とは異なった見方をしています。それは一体だれのことでしょうか。ではその人たち自身に語ってもらうことにしましょう。

強い購買欲を持つように働きかける人々

数年前,子供たちに受けの良いある広告会社が,商店主や広告主に向けて次のような広告を出しました。「あなたの製品に対する強い購買欲は持たせることができるものです。……あなたの製品を売る広大な市場があるということです。子供たちにあなたの銘柄を売り込めば,子供たちは親が他の銘柄の物を決して買わないようにさせるでしょう。先見の明のある広告主で,強い購買欲を持たせることにより,現在もうけて……将来に備えて……いる人は少なくありません」。

ごく幼いころから,子供たちは広告の的となり,より多くの物を欲しがるよう形造られます。熟練した人々は,子供の“心の中にある要求”にいかにして訴え,自分たちの製品の需要を生み出すかを研究しているのです。

子供用品の広告にテレビが用いられている国々では,テレビが子供たちを説得する主な手段となっています。それは,子供たちが字を読めないうちからすでに影響を及ぼし始めます。バンス・パッカードは「隠れた説得者」の中で,テレビの持つ驚くべき能力について業者に警告を与える広告を引用しています。それは次のようなものでした。「4歳児の心の中ほど銘柄意識が強く根付くところはない。……幼い客たちに迫り,限られた状況の下で来る年も来る年も,果ては一人前の買い手となれる大人に成長するまで,子供たちを説得し続ける業者にとって,そのことはどれほどの価値を持つだろうか」。

米国の3人の大学教授が,5歳から12歳までの子供たちに関する調査を行なった結果,子供たちは週に平均約400,年間約2万ものテレビのコマーシャルにさらされていることが分かりました。それらの教授はこう語りました。「子供たちが,それも非常に幼い子供たちがコマーシャルにこれほどさらされていることを特に考慮に入れるなら……“誤導”されたり欺かれたりしないようにする……能力が子供にどの程度あるかは,現代におけるかなり重要な問題である」。

同教授たちは,幼稚園児の56%が,“なぜテレビにコマーシャルがあるのか”にほとんど気付いておらず,約半数が“コマーシャルは常に真理を語っている”と考えていることを知りました。そうした子供たちが非常に幼いにもかかわらず,広告主たちは多額のお金をつぎこんで子供たちの心に達しようとします。それは,生涯にわたる習慣がすでに形造られつつあると考えているからです。

教授たちはまた,コマーシャルについて子供に話すのは,それら5歳児の母親のわずか半数ほどであることも知りました。そして次のように述べました。「幼稚園児の母親たちの多くは,子供がコマーシャルの意図を理解するように,また,賢明な買い物が行なえるようになるための識別力を授ける機会を逸しているようだ」。しかし,幼い子供たちであっても広告を“選択的に吸収”できること,またそのような能力は“幼稚園児ほどの年齢の子供たちにさえ”与えられ得ることが分かりました。a

大抵の場合,そうした教育は行なわれてきませんでした。十代の少女を対象とした米国の雑誌セブンティーンの編集長は,若い読者たちはまだ「広告を疑うようにはなっていない」ので良い市場であると語ったと言われています。

先手を打つのは賢明なことです。広告についてお子さんと話し合ってください。広告は非常に多くの情報を提供できても,本来の目的は,人々にお金を使わせることにあるという点を指摘してください。売り手は,新しい機械装置や新しいスタイルの物など実際には必要でない製品を人々が欲しがるようにさせれば,利益を上げることができるのです。重要なのは,お金を浪費させることよりも物質主義的な見方,つまり買うことが幸福につながるという見方を植え付けることです。

積極的な訓練

お金に対する正しい態度や,お金の賢明な用い方をお子さんにどのように教えることができるでしょうか。一つの方法は,買い物に行くときにお子さんを連れてゆき,購入する物について話すことです。励ますなら,多くの子供は値段を覚える遊びをするようになります。子供がほかより安い店を教えてくれるなら,親は歩く計算機を持っているようなものです。

次の段階は品質について教えることです。次のように尋ねることができるでしょう。「どうしてこのセーターはほかのより安いと思う?」「あれは特別に高いお金を出すだけの価値があるかしら?」「あの赤いのはどのくらいもつと思う?」 お子さんは価格を検討し品質を確かめる方法を学び,あとあとお子さんの役に立つ能力を身につけるのです。

若い人々にとっては,よくできた製品と“駄物”とを見分けるのは困難なことです。それは,若い人たちが,駄物を買わされたという経験を皆さんほどしていないからにすぎません。ですから,なぜあれではなくてそれを選ぶのか理由を指摘し,他のものは長持ちしないがそれは長く持つとなぜ思うのかを説明するなら,お子さんの助けになります。

このようにして多くの事柄を教えることができます。新しい車を買おうとしていたある父親が幼い娘の方を向いて,どの色がいいと思うか尋ねました。娘は「黒」と答えました。父親は「黒はほこりが目立つんだよ。洗車をしたいかい」と言いました。娘は,「いいえ,もっと明るい色のほうがいいみたい」と答えました。後で,そばに立っていた婦人は,「まあ,子供に色を選ばせるなんて」と言いました。しかし,その子が色を選んだわけではありません。その父親は,短い時間を利用して,選択に関する事柄を娘に教えただけでした。もっと多くの親たちが時間をとって子供に教えるなら,愚かな決定をすることは少なくなるでしょう。

何かを購入できるかどうかを判断することについてはいかがですか。買いたいと思うドレスか道具がある場合,皆さんは恐らく,食料品を買うのに必要なお金や家賃もしくは住宅ローンの支払い,その他今月かかる費用からそれを買うお金を捻出できるかどうかをお考えになるでしょう。しかし,お子さんは,皆さんがそうした様々な要素を考慮したということを知りません。どんなことを考慮に入れたか,なぜそのように決定したかを,店の中を歩きながら説明してあげてはいかがですか。お子さんはそうした責任を負っていないだけに,自分の小遣いを衝動的に使いかねません。しかし,そうした決定がどのようになされたかを知ることは,お子さんにとって今でも有益なことです。

恐らく皆さんは,広告の特売が値うちのあるものかどうかを即座に決定されるでしょう。では,なぜそのように決定したかをお子さんに教えてはいかがですか。それには時間がかかりますが,それは,お子さんの現在の態度に,また成長してからの能力に資するものとなります。

愛ある教えと良い模範は批判よりずっと効果があるということを忘れないでください。どのように決定をくだすかをお子さんに示してください。そうすれば,お子さんが下す決定は喜ばしいものとなるでしょう。

真の満足

もう一つの非常に重要な事柄は,物を所有するだけが人生のすべてではないことをお子さんが理解しているかどうかということです。それともお子さんは,製造業者や広告主や商店,また友人によってさえ,幸福は買う物から生じると信じ込まされていますか。

昔の人々は自分で作った物に満足していました。男の人はりっぱな家具を作り,女の人はおいしいパイを焼いたり,美しい刺し子の掛けぶとんを作ったりしました。少年はラジオを組み立て,品評会で入賞するような子牛を育てたものです。

現在,わたしたちはあまり物を作らなくなっています。所有している物の大部分は機械によって作られたものです。製造業者や売り手はそれを知っていて,浪費によってその埋め合わせをするように促します。それらの人たちは,りっぱで正直な人格を培うことによってではなく,買う物によって“ひとかどの人物になれる”と思わせるのです。

デビッド・クラインとメアリーメイ・クラインは,その共著「スーパーショッパー」の中でこう述べています。「多くの若者が,隣保内やグループの中でまっ先に新しいレコードやエレキギター,サーフボードやトランシーバーなど,創作ではなく消費を表わすようなものばかりを買うことにより人に抜きん出ようとするのも驚くには値しない。また,もっと若い人々でさえ,本当に欲しいからではなく,“みんなが持っている”からというだけでそうしたものを買いに群がる。それによって子供たちは同等の意識を持つ。しかしそれは,また,ひどく高くつく。後れをとらないためには絶えず買い続けなければならないからである」。

“所有している物即自分”という考えが幸福な生活の確かな土台でないことを知るようどうすれば若い人々を助けられるでしょうか。

大きく左右するのは親の態度です。あなたは親として,人格的霊的発育よりも物質の方を心配していますか。何を持っているかではなく,どんな人であるかということのゆえに自分が重要な存在であるという点を知るようお子さんを助けておられますか。お子さんが所有物を見せびらかさなくても自分自身に満足を見いだせるようにしてあげていますか。

エホバの証人の多くの子供たちはこの点に関してとりわけ有利な立場にあります。それらの子供たちは会衆の集会で注解するよう励まされます。会衆の前で話をすることを学ぶ神権学校に参加できます。王国会館のまわりの仕事をすることを自発的に申し出る子供たちもいます。どの子供たちも,神の来たるべき新秩序についての良いたよりを広める業の一端にあずかることができます。そうした子供たちは人生の真の目標を持つようになります。

聖書の原則が適用される家庭では,子供たちは親の愛を確信します。子供たちは,親が愛を実践し正しい事柄を行なおうと努力する人であるゆえに他の人々から高く評価されていることを知っています。真の喜びと満足は,持っている物のゆえに一時注目されて浅薄な優越感を感じることによってではなく,物事を成し遂げることによって得られるものですが,それらの子供たちの生活にはそのような喜びと満足を得る基盤があります。

わたしたちの心から愛している若い人々,また人生を形造る際にわたしたちの模範に目を向ける若い人々の前に,そうした真に価値ある事柄を置くのは重要なことと言えます。

[脚注]

a スコット・ウォード,ダニエル・B・ワックマン,エレン・ウォーテッラ共著,「子供は買い物の仕方をどのように学ぶか」。

[14ページの囲み記事]

大人になった子供を甘やかさない

子供の欲しがる物を何でも与えることは,子供を甘やかし,よりわがままにするようです。成人した“子供”に欲しがる物を何でも与え続ける年配の親は,子供が親を,尊敬と愛情を受けるにふさわしい人としてではなく,主として贈り物の源泉と見るようにさせてしまいます。

ある婦人はこの事実に直面して幻滅を感じました。その婦人は,夫と自分は「幾年もの間,機会さえあれば二人の子供たちに与え続け,自分たち両親のためにはお金を使わないようにと言って」きたと書きました。しかし,その両親は,大人になった娘に高価な彫像を贈ったあとでショックを受けました。娘は「かまわないで,こういう物は全部いつかはわたしの物になるんだから,そうしたら売るわ」と言いました。母親は悲しんで,「このことでわたしがどれほど傷付いたかとても口では言えません」と語りました。その後,成人した息子と娘の両方から,両親が死んだときにはいくらくらい相続できるのかと尋ねられたときには,さらに衝撃を受けました。母親は悲しげにこう語りました。「自分の息子と娘の口からそんな言葉を聞くとは思ってもみませんでした」。

大人になった子供が,親から物質的な面で多くを与えられている場合,甘やかされるだけでなく,両親に与えること,あるいは両親のために何かをすることからどれほど喜びが得られるかという貴重な教訓を学び取ることができません。子供に多くを与えすぎない親は,後になって,予期せぬ贈り物をするならそれが感謝されるということをしばしば経験します。そして,そのような親は,与える物のゆえにではなく,どんな親かということのゆえに感謝されることでしょう。

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