8月
8月1日,金曜日
正しい人は多くの苦難に遭う。しかし,エホバがその全てから助け出してくださる。(詩 34:19)
上の聖句から2つの重要な点が分かります。(1)正しい人は問題にぶつかります。(2)エホバは私たちを助け出してくださいます。どのようにでしょうか。エホバは,私たちが今の世の中で現実的な見方を持って生活できるように助けてくださいます。エホバは,ご自分に仕える人は喜びを味わえると約束していますが,何の問題も経験しないで済むと言っているわけではありません。(イザ 66:14)エホバは将来に目を向けるようにと勧めています。私たちに永遠にわたって素晴らしい生活を送ってほしいと思っているのです。(コリ二 4:16-18)そして,その時まで私たちが一日一日頑張ることができるように,力を与えてくださいます。(哀 3:22-24)聖書時代や現代のエホバに仕える人たちの例からどんな教訓を学べるでしょうか。私たちは思いも寄らない問題にぶつかることがありますが,エホバに頼るなら必ず支えていただけます。(詩 55:22)塔研23.04 14-15ページ3-4節
8月2日,土曜日
上位の権威に従わなければなりません。(ロマ 13:1)
ヨセフとマリアは,従うのが難しいと思える命令が出た時にも上位の権威に進んで従いました。(ルカ 2:1-6)マリアが妊娠9カ月の頃,ローマ皇帝アウグストゥスが登録を行うようにという命令を出します。ヨセフとマリアはベツレヘムまで150㌔もの起伏の多い道を移動する必要がありました。妊娠中のマリアにとってはとても大変な旅となったでしょう。母子共に安全に到着できるか心配になったはずです。もし道中で産気づいたら,どうしたらいいのでしょうか。おなかの中には将来のメシアがいたのです。「こういう状況なので,命令には従わなくていい」と2人は思ったでしょうか。ヨセフとマリアは,心配なことがいろいろありましたが,それでも命令に従いました。エホバはその様子を見て喜び,2人を支えました。マリアは無事にベツレヘムに到着し,元気な男の子を産みました。こうして,聖書の預言の実現に貢献することもできました。(ミカ 5:2)塔研23.10 8ページ9節,9ページ11-12節
8月3日,日曜日
励まし合いましょう。(ヘブ 10:25)
集会でコメントすることを考えただけでも緊張するかもしれません。よく準備しましょう。(格 21:5)内容をよく理解しているなら,もっと楽な気持ちでコメントできるでしょう。コメントを短くすることも大切です。(格 15:23; 17:27)短いコメントであれば,それほど緊張せずにできるかもしれません。自分の言葉で短いコメントをすることは,よく準備して内容をしっかり理解していることの証拠です。こうした提案をやってみても,緊張してコメントするのがなかなか難しいと感じるならどうでしょうか。私たちが一生懸命頑張る姿を見てエホバが喜んでくれている,ということを忘れないようにしましょう。(ルカ 21:1-4)エホバは,私たちにできないことまで求めているわけではありません。(フィリ 4:5)自分に何ができるかをよく考え,目標を立てましょう。落ち着いてコメントできるように助けてください,と祈ることもできます。まずは,短いコメントを1回することを目標にしてみましょう。塔研23.04 21ページ6-8節
8月4日,月曜日
胸当てを着け……かぶとをかぶりましょう。(テサ一 5:8)
パウロは私たちのことを,装備を整えた兵士に例えました。兵士は,いつでも戦いに出ていけるように用意をしておく必要があります。私たちも同じです。信仰と愛の胸当てを着け,希望のかぶとをかぶるなら,エホバの日に向けて用意を整えておくことができます。胸当てが兵士の心臓を守るのと同じように,信仰と愛は私たちの心を守ります。そして,エホバに仕え,イエスに従おうという気持ちを強めてくれます。信仰があるなら,エホバがご自分に真剣に頼る人を必ず助けてくださると確信することができます。(ヘブ 11:6)そして,どんな問題があっても,リーダーであるイエスにしっかり付いていこうという気持ちになります。迫害や経済的な問題があってもエホバに仕えるのをやめなかった兄弟姉妹の手本について考えるなら,信仰が強まるでしょう。生活をシンプルにして王国を第一にしている人たちにも見習えます。そうすれば,お金や物を愛し過ぎてしまう危険を避けることができます。塔研23.06 10ページ8-9節
8月5日,火曜日
雲を眺めている者は刈り取らない。(伝 11:4)
自制とは,感情や行動をコントロールする力のことです。目標を達成するためには自制が必要です。達成するのが難しい目標だったり,意欲が湧かなかったりする場合には,特にそうです。自制は聖なる力が生み出すものなので,自制をもっと示せるよう聖なる力の助けを求めましょう。(ルカ 11:13。ガラ 5:22,23)また,状況が完璧に整うのを待たないようにすることも大切です。今の世の中では,状況が完璧に整うことは期待できません。それで,そうした期待を持っているなら,目標を達成することはできないでしょう。目標があまりにも大き過ぎると,意欲が湧かないかもしれません。そういう場合には,小さな目標から始めてみるのはどうでしょうか。例えば,何かの性質を身に付けようと思っている場合,それをちょっとしたところから始めてみることができます。聖書全体を読むことを目標にしているなら,短い時間読むことから始められるでしょう。塔研23.05 29ページ11-13節
8月6日,水曜日
正しい人たちの道は夜明けの光のようだ。真昼になるまで明るさを増していく。(格 4:18)
終わりの時代の間ずっと,エホバは組織を通して信仰を強める食物を与えてくださっています。そのおかげで,私たちは皆「神聖な道」を歩み続けることができています。(イザ 35:8; 48:17; 60:17)私たちが誰かと聖書レッスンを始める時,その人は「神聖な道」に足を踏み入れることになります。この道を少しの間歩んですぐにやめてしまう人もいれば,目的地まで歩み続ける決意でいる人もいます。では,この道はどこに続いているのでしょうか。天で生きる希望を持つ人たちにとって,「神聖な道」は天にある「神のパラダイス」につながっています。(啓 2:7)地上で生きる希望を持つ人たちには,千年統治の終わりに完全になるという見込みがあります。では,後ろを振り返ることなく,新しい世界へと続くこの道を最後まで歩み続けていきましょう。塔研23.05 17ページ15節,19ページ16-18節
8月7日,木曜日
私たちが愛するのは,神がまず愛してくださったからです。(ヨハ一 4:19)
エホバが自分にしてくれた全てのことを考えると,感謝の気持ちが湧いてきて,エホバに献身したいという気持ちになります。(詩 116:12-14)聖書には「良い贈り物,完全な贈り物」は全てエホバから来るとあります。(ヤコ 1:17)その中でも最大のものは,イエスの贖いの犠牲です。この贈り物がどれほど素晴らしいものか考えてみてください。贖いのおかげで,エホバとの絆や永遠に生きるという希望を持てるようになりました。(ヨハ一 4:9,10)エホバに献身するなら,エホバがこれほど大きな愛を示してくれたことや,エホバがしてくれた全ての良いことに対する感謝の気持ちを表すことができます。(申 16:17。コリ二 5:15)塔研24.03 5ページ8節
8月8日,金曜日
正直に歩む人はエホバを畏れている。(格 14:2)
今の世の中の道徳基準について考えると,私たちは正しい人ロトと同じような気持ちになります。ロトは,お父さんエホバが悪い行いを嫌っていることを知っていたので,「不法な人々の恥知らずな行いに非常に苦しんでい」ました。(ペテ二 2:7,8)でも,エホバを畏れ,愛していたので,周りの人たちの低い道徳基準に染まってしまうことはありませんでした。私たちもエホバの基準を守ろうとしない人たちに囲まれて生活しています。それでも,エホバを愛し,畏れているなら,道徳的に清い人でいることができます。エホバは,この点で役立つアドバイスを「格言の書」に収めてくださっています。年齢や性別に関係なく,全てのクリスチャンはここから大切なことを学べます。エホバを畏れているなら,悪い行いを一切避けるように努力するのです。塔研23.06 20ページ1-2節,21ページ5節
8月9日,土曜日
誰でも私に付いてきたいと思うなら,自分を捨て,日々苦しみの杭を持ち上げ,絶えず私の後に従いなさい。(ルカ 9:23)
もしかすると,あなたも家族に反対されたり,生活の中で王国を第一にするためにお金や物を犠牲にしたりしてきたかもしれません。(マタ 6:33)エホバは,これまであなたがエホバのためにしてきたことを全部見ていて覚えてくださっています。(ヘブ 6:10)イエスはこう言いました。「私のため,また良い知らせのために,家,兄弟,姉妹,母親,父親,子供,あるいは畑に別れを告げた人は皆,今この時期に百倍を,家,兄弟,姉妹,母親,子供,畑を迫害と共に得て,新しい体制で永遠の命を得ます」。あなたもこの言葉の通りのことを経験してきたかもしれません。(マル 10:29,30)確かに,エホバが与えてくださる良いものは,私たちが犠牲にするどんなものよりもはるかに素晴らしいといえます。(詩 37:4)塔研24.03 9ページ5節
8月10日,日曜日
真の友はどんな時にも愛を示す。苦難の時に頼れる兄弟である。(格 17:17)
ユダヤのクリスチャンが大飢饉に見舞われた時,アンティオキアの兄弟姉妹は「それぞれが提供可能なものを提供し,ユダヤに住む兄弟たちを救援することに」しました。(使徒 11:27-30)アンティオキアのクリスチャンはユダヤから遠く離れた所に住んでいましたが,仲間を助けることにしたのです。(ヨハ一 3:17,18)私たちも,仲間の兄弟姉妹が災害に遭って困っている時,思いやりを示せます。例えば,救援活動に参加できるかどうか長老に尋ねることができます。世界的な活動のために寄付することや,被災している仲間のために祈ることもできます。毎日の生活に必要な物も手に入らず,助けを必要とする兄弟姉妹もいるかもしれません。王であるキリスト・イエスが裁きを行うために来る時,私たちは思いやりを示した人として認められ,「王国を受け」る人になりたいものです。(マタ 25:34-40)塔研23.07 4ページ9-10節,6ページ12節
8月11日,月曜日
分別があることが全ての人に知られるようにしてください。(フィリ 4:5)
イエスの手本を考えてみましょう。イエスが地上に遣わされたのは,「イスラエル国民の迷い出た羊」に良い知らせを伝えるためでした。でも,イエスはエホバのように分別を示しました。ある時,イスラエル人ではない女性がやって来て,「邪悪な天使に取りつかれ,ひどく苦しめられて」いる娘を癒やしてほしいと頼みました。イエスは思いやりを示し,この女性の願いを聞き入れて娘を癒やしました。(マタ 15:21-28)別の例も考えてみましょう。イエスは「人前で私を認めない人を,私も……認めません」と言っていました。(マタ 10:33)では,後にイエスのことを知らないと3回言ったペテロにどう接したでしょうか。ペテロが悔い改めていることや信仰を失っていないことに注目しました。復活した後,ペテロの前に現れました。そして,ペテロを許し,愛していることを伝えて安心させたことでしょう。(ルカ 24:33,34)エホバ神とイエス・キリストは柔軟で分別がある方です。エホバは私たちにも分別がある人になってほしいと思っています。塔研23.07 21-22ページ6-7節
8月12日,火曜日
もはや死はなくなり……ます。(啓 21:4)
地球が将来パラダイスになるというエホバの約束を信じられないと言う人がいるなら,次の3つの点について話すことができます。1つ目は,エホバご自身が約束しているということです。「啓示」の書には次のように書かれています。「王座に座っている方が,『見なさい! 私は全てのものを新しくしている』と言[った]」。将来の約束を実現させるための知恵や力や願いを持っている方がそのように言っているのです。2つ目は,この約束が実現することは確実なので,エホバの目から見てすでに起きたも同然であるということです。それでエホバは次のように言っています。「これらの言葉は信頼でき,真実である。……これらの言葉は実現した!」 3つ目は,エホバが始めたことは必ず成功に終わるということです。そのことは,「私はアルファであり,オメガである」という言葉から分かります。(啓 21:6)このようにして,エホバはサタンのたくらみを失敗に終わらせ,サタンこそうそつきであることが明らかになります。もし「そんなことが起きるとはとても思えない」と言われたら,啓示 21章5,6節を読んで説明することができます。エホバの署名付きの保証の言葉について一緒に考えることができるでしょう。(イザ 65:16)塔研23.11 7ページ18-19節
8月13日,水曜日
私は,あなたから偉大な国民が生まれるように[しよう]。(創 12:2)
エホバがこのように約束したのは,アブラハムが75歳でまだ子供がいなかった時でした。アブラハムはこの言葉が実現するのを見たでしょうか。一部は見ることができました。ユーフラテス川を渡ってから25年後に息子イサクが生まれ,その60年後に孫のエサウとヤコブが生まれました。(ヘブ 6:15)アブラハムは,自分の子孫が偉大な国民となって約束の地を受け継ぐのを見ることはありませんでした。とはいえ,アブラハムはエホバとの強い友情を築くことができました。(ヤコ 2:23)そして復活してきた時には,自分の示した信仰と辛抱強さが全ての人の祝福につながったことを知って,どんなにか喜ぶことでしょう。(創 22:18)何が学べますか。私たちもエホバの約束全てが実現するのを今すぐに見ることはできないかもしれません。でも,アブラハムのように辛抱するなら,エホバは今だけでなく,新しい世界でさらに大きな祝福を与えてくださいます。(マル 10:29,30)塔研23.08 24ページ14節
8月14日,木曜日
彼がエホバに仕えた間,真の神は彼を成功させた。(代二 26:5)
ウジヤ王は若い頃,謙虚な人でした。「真の神を畏れ」ていました。68年の生涯のほとんどの間,エホバに支えられてたくさんの成功を収めました。(代二 26:1-4)多くの戦いで勝利を収め,エルサレムの防備を固めました。(代二 26:6-15)ウジヤはエホバの助けでさまざまな良いことを行うことができて,幸せを感じていたに違いありません。(伝 3:12,13)ウジヤは王として民に命令を与える立場にありました。それで,何でも自分のしたいようにできると思い違いをするようになったのかもしれません。ある日,ウジヤはエホバの神殿に入って祭壇で香をたこうとしました。これは出過ぎた行動でした。王には許されていないことだったからです。(代二 26:16-18)ウジヤは大祭司アザリヤに正されると激怒します。残念なことに,ウジヤはエホバに忠実に仕え続けなかったために罰せられ,重い皮膚病になりました。(代二 26:19-21)謙虚な心を忘れずにいたなら,このような結果にはならなかったはずです。塔研23.09 10ページ9-10節
8月15日,金曜日
ケファは……離れていきました。割礼を受けた人たちを恐れたからです。(ガラ 2:12)
ペテロは天に行くよう選ばれた後も,自分の弱さと闘い続ける必要がありました。西暦36年,ペテロはコルネリオが聖なる力によって天に行くよう選ばれるのを目撃します。コルネリオは無割礼の異国人でした。これによって,「神が不公平ではな[く]」,異国の人たちもクリスチャン会衆に加われるということがはっきりしました。(使徒 10:34,44,45)ペテロは異国の兄弟たちと一緒に食事をするようになります。以前では考えられなかったことです。でも,ユダヤ人のクリスチャンの中には,ユダヤ人と異国人が一緒に食事をすべきではないと考えていた人たちもいました。そうした人たちがアンティオキアに来た時,ペテロは異国人の兄弟たちと食事をするのをやめてしまいます。おそらく,ユダヤ人のクリスチャンの目を気にしてしまったのでしょう。パウロはこの偽善的な行動を見て,ペテロをみんなの前で正します。(ガラ 2:13,14)このように失敗したこともありましたが,ペテロは諦めませんでした。塔研23.09 22ページ8節
8月16日,土曜日
神が,皆さんを……揺らぐことのない人にしてくださるのです。(ペテ一 5:10)
正直に自分を分析するなら,努力すべき点に気付くかもしれません。でも,がっかりしないでください。「主[は]親切で」,私たちが頑張れるように助けてくださいます。(ペテ一 2:3)そして,ペテロが言っている通り,「神は,皆さんの訓練を終え……皆さんをしっかりした人……にしてくださ」います。ペテロは,自分がイエスと一緒にいるのはふさわしくない,と感じたことがありました。(ルカ 5:8)でも,エホバとイエスの優しい支えによって,キリストの弟子として頑張り続けることができました。そして,「救い主である主イエス・キリストの永遠の王国に入る」ことができました。(ペテ二 1:11)素晴らしい報いです。私たちもペテロと同じように諦めずに頑張り続け,エホバに訓練していただくなら,永遠の命を得ることができます。「信仰の結果として救いを得られる」のです。(ペテ一 1:9)塔研23.09 31ページ16-17節
8月17日,日曜日
天と地……を造った方を崇拝しなさい。(啓 14:7)
古代の幕屋の庭は,囲われた広い場所で,そこでは祭司たちが奉仕を行っていました。全焼の犠牲を捧げるための大きな銅の祭壇や,銅の水盤も置かれていました。この水盤は,祭司たちが神聖な奉仕を捧げるために身を清めるためのものでした。(出 30:17-20; 40:6-8)今日,天に行くクリスチャンのうち地上に残っている人たちは,エホバの神殿の内側の庭で忠実に奉仕します。大きな水盤は,それらの兄弟たちを含め,全てのクリスチャンにとって大切なことを思い起こさせます。それは,道徳面でも崇拝の面でも清い状態でいなければならない,ということです。では「大群衆」はどこでエホバを崇拝するのでしょうか。使徒ヨハネは,大群衆が「王座……の前に立って……神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をして」いるのを見ました。地上で生きる希望を持つ大群衆は,外側の庭で奉仕しています。(啓 7:9,13-15)私たちには,エホバの取り決めの下で清い崇拝を行えるという素晴らしい機会があります。このことに本当に感謝できるのではないでしょうか。塔研23.10 28ページ15-16節
8月18日,月曜日
神の約束があったので,……信仰によって強くなりました。(ロマ 4:20)
エホバは長老たちを通して私たちを力づけることもあります。(イザ 32:1,2)心配事があるときには,長老に伝えてください。長老からの助けをためらわずに受け入れましょう。エホバは長老を用いて私たちを強い人にしてくれます。聖書に書かれている永遠に生きるという希望からも力をもらうことができます。楽園になった地球か天の王国で生きるという希望です。(ロマ 4:3,18,19)この希望は,試練を忍耐し,良い知らせを伝え,会衆でのさまざまな務めを果たす力になります。(テサ一 1:3)パウロにとってもこの希望は力になりました。パウロは,「圧迫され」,「困惑させられ」,「迫害され」,「倒され」るといった大変な経験をしました。命が危険にさらされたこともあります。(コリ二 4:8-10)パウロは希望に目を向けることによって力を得ました。(コリ二 4:16-18)天での永遠の命という希望に目を向けていました。パウロは希望についてじっくり考えたので,内面が「日々新しくされていく」のを感じました。塔研23.10 15-16ページ14-17節
8月19日,火曜日
エホバはご自分の民に力を与える。エホバはその民に平和を与えて祝福する。(詩 29:11)
祈る時には,「エホバから見て今は一番良い時なのだろうか」と考えてみましょう。私たちは,すぐにでも自分の祈りを聞いてほしいと思うことがあります。でも,エホバは助けるのに一番良い時を知っています。(ヘブ 4:16)祈りがすぐに聞かれないと,エホバから「だめです」と言われているように感じるかもしれません。でも,もしかするとエホバは,「今はまだだめです」と言っているのかもしれません。ある若い兄弟は,病気を治してほしいと祈っていました。でも,そうはなりませんでした。もしエホバが病気を奇跡的に治したなら,サタンはこの兄弟がエホバに仕え続けているのは病気を治してもらったからだ,と言うかもしれません。(ヨブ 1:9-11; 2:4)エホバは全ての病気を取り除く時をすでに決めています。(イザ 33:24。啓 21:3,4)その時までは,病気が奇跡的に治ることを期待することはできません。それで先ほどの兄弟は,病気に耐え,エホバに忠実に仕え続けるための力や穏やかな心を与えてください,と祈ることができます。塔研23.11 24ページ13節
8月20日,水曜日
私たちの罪に応じて私たちを扱うことはしなかった。過ちの当然の報いを私たちにもたらさなかった。(詩 103:10)
サムソンは大きな失敗をしましたが,諦めませんでした。フィリスティア人と戦うというエホバから任された使命を果たすチャンスを探していました。(裁 16:28-30)それで,エホバに「フィリスティア人に復讐させてください」と祈りました。エホバはサムソンのこの祈りに答え,特別な力を再び与えました。この時,サムソンはそれまでに倒したよりも多くのフィリスティア人を倒すことができました。サムソンは自分の失敗によってつらい経験をしましたが,諦めずにエホバのために働こうとしました。私たちも,何かの間違いをして矯正されたり奉仕の機会を失ったりするかもしれません。でも,諦めないようにしましょう。エホバが私たちのことを諦めていないということを忘れないでください。(詩 103:8,9)たとえ私たちが失敗したとしても,エホバのために働く力を必ず与えてくださいます。塔研23.09 6ページ15-16節
8月21日,木曜日
忍耐すると神から良いと認められ,神から良いと認められると希望を持てます。(ロマ 5:4)
忍耐すると神から良いと認められます。でも,これは私たちが試練を経験するのをエホバが喜ぶという意味ではありません。私たちが忍耐し,忠実に仕え続ける姿を見て,エホバは喜んでくださるのです。とてもうれしいことではないでしょうか。(詩 5:12)アブラハムは試練を経験してもエホバに忠実に仕え続けたので,エホバに喜ばれました。エホバはアブラハムを正しい人と見なし,ご自分の友と呼びました。(創 15:6。ロマ 4:13,22)私たちについても同じことがいえます。エホバは,私たちがどんな奉仕をどれぐらい行うかに注目しているのではありません。私たちが信仰を持って忍耐するなら喜んでくれます。私たちは年齢,状況,能力に関わりなく,忍耐してエホバに喜んでもらうことができます。あなたは今まさに忍耐しながらエホバに仕えていますか。もしそうなら,エホバがあなたのことを喜んでいるということを忘れないでください。エホバから良いと認められているという自覚があるなら,エホバが将来の約束を自分のために必ず果たしてくれるという確信を深めていくことができるでしょう。塔研23.12 11ページ13-14節
8月22日,金曜日
男らしくありなさい。(王一 2:2)
兄弟たちにとってコミュニケーションのスキルはとても大切です。それには,話をよく聞き,相手の考えや感情を理解することが含まれます。(格 20:5)コミュニケーションが上手に取れるようになると,声の調子や顔の表情や身振りの微妙な変化を見て取ることができるようになります。でも,そのためには一緒に過ごす時間を取る必要があります。メールやメッセージなど電子的なツールにいつも頼っているなら,人と話すのが苦手になってしまうかもしれません。それで,人と直接会って話す機会をつくるようにしましょう。(ヨハ二 12)クリスチャンとして成長した兄弟は,自活し,自分の家族を養います。(テモ一 5:8)働くためのスキルを身に付けることが大切です。よく働いて仕事を最後までやり遂げましょう。そうすれば,良い評判を得て,仕事を見つけたり続けたりできるでしょう。(使徒 18:2,3; 20:34。エフェ 4:28)塔研23.12 27ページ12-13節
8月23日,土曜日
エホバの日[は]夜に忍び込む泥棒のように来る。(テサ一 5:2)
聖書の中で「エホバの日」とは,エホバが敵たちを滅ぼし,ご自分に仕える人たちを救い出す時のことを指しています。こうしたことは過去にも起きましたが,近い将来にも起きることが予告されています。(イザ 13:1,6。エゼ 13:5。ゼパ 1:8)「エホバの日」は大いなるバビロンに対する攻撃で始まり,ハルマゲドンの戦いで終わりを迎えます。この「日」を生き残るためには,今準備をしておく必要があります。イエスは「大患難」のために「用意をしていなさい」と教えました。これは,いつでも用意ができている状態にしておくということです。(マタ 24:21。ルカ 12:40)使徒パウロは,テサロニケのクリスチャンに宛てた最初の手紙の中で,エホバの日のために用意をしておくことの大切さをいろいろな例えを使って教えました。パウロはこの裁きの日がすぐに来るわけではないということを知っていました。(テサ二 2:1-3)でも,その日が明日にでも来るかのように考えて用意をしておくようにと勧めました。私たちもその勧めに従うことができます。塔研23.06 8ページ1-2節
8月24日,日曜日
私の愛する兄弟たち,しっかり立って,動じ[ないようにし]てください。(コリ一 15:58)
1970年代の終わりごろ,東京に60階建ての超高層ビルが建てられました。人々は,頻繁に起こる地震に耐えられるんだろうかと思いました。でも,このビルは頑丈でありながらも揺れを吸収できるように設計されていました。私たちクリスチャンも,この建物のようになる必要があります。どうしてそう言えますか。クリスチャンは,確固とした態度と柔軟性のバランスを取る必要があります。エホバのおきてや基準を守ることに関しては,動じない強さが必要です。「進んで従い」,妥協することはしません。その一方で,状況が許す時や必要が生じた場合には「分別」を示し,柔軟である必要があります。(ヤコ 3:17)こうしたバランスが取れているなら,過度に厳しくなったり,何でも許容したりはしないはずです。塔研23.07 14ページ1-2節
8月25日,月曜日
皆さんはキリストを見たことはありませんが,キリストを愛しています。(ペテ一 1:8)
イエスは悪魔サタンからのさまざまな誘惑に立ち向かう必要がありました。(マタ 4:1-11)サタンはイエスに罪を犯させ,神に仕えるのをやめさせようとしていました。そのようにして,イエスが完全な人間として贖いの犠牲を捧げるのを阻止しようとしていたのです。イエスは伝道を始めた後もさまざまな試練を経験しました。迫害に遭い,命を狙われることさえありました。(ルカ 4:28,29; 13:31)弟子たちがたびたび失敗することも忍耐しなければなりませんでした。(マル 9:33,34)裁判にかけられた時には虐待され,ばかにされました。その後,大きな痛みを伴う屈辱的な仕方で処刑されました。(ヘブ 12:1-3)最終的には,それをエホバからの保護がない状態で耐える必要がありました。(マタ 27:46)このように,イエスは私たちのために大きな犠牲を払って自分の命を贖いとして差し出してくださいました。そのことを考えると,イエスへの愛が深まるのではないでしょうか。塔研24.01 10-11ページ7-9節
8月26日,火曜日
せっかちな人は必ず貧乏へと向かう。(格 21:5)
人と良い関係を保つ上で辛抱強さは大切です。辛抱強い人はほかの人の話をよく聞きます。(ヤコ 1:19)また,平和な雰囲気をつくり出すこともできます。過敏に反応したり,ストレスを感じている時に不親切なことを言ったりしないようにします。辛抱強い人は,誰かから傷つけられてもすぐに怒ったり仕返ししたりはしません。「引き続き互いに我慢し,寛大に許し合い」ます。(コロ 3:12,13)辛抱強さは,良い決定をするのに助けになります。せっかちになったり衝動的に決めたりするのではなく,時間を取って調査し,選択肢をよく考えましょう。仕事を探している場合,とにかく決めてしまいたいと思うかもしれません。でも辛抱強い人は,家族やクリスチャンとしての活動への影響をじっくり考えます。確かに,辛抱強さは良くない決定を避ける助けになります。塔研23.08 22ページ8-9節
8月27日,水曜日
体の中で別の律法が,考えを導く律法と戦い,私を捕らえて体の中にある罪の律法に従わせているのが分かります。(ロマ 7:23)
間違ったことをしたくなる自分にがっかりする場合は,献身した時にエホバにした約束について考えることが誘惑に立ち向かう助けになります。エホバに献身すると,自分を捨てることになります。つまり,間違った欲求を満たそうとしたり,エホバを悲しませるようなことをしたりしないということです。(マタ 16:24)誘惑に遭った時,どうしようかと迷うことはありません。エホバを喜ばせ,忠実に仕え続けることを心に決めているからです。それで,たとえ難しい試練に遭ったとしても,「私は……忠誠を貫く!」と言ったヨブと同じ決意を保つことができます。(ヨブ 27:5)塔研24.03 9ページ6-7節
8月28日,木曜日
エホバは,ご自分に呼び掛ける全ての人の近くにいる。ご自分に誠実に呼び掛ける全ての人の近くにいる。(詩 145:18)
「愛……の神」であるエホバは私たちと共にいてくださいます。(コリ二 13:11)エホバは,私たち一人一人のことを気に掛け,「揺るぎない愛」で包んでくださいます。(詩 32:10)エホバがどのように愛を示してくださっているかについて考えれば考えるほど,エホバがもっと身近な存在になり,そばにいてくださることを確信できるでしょう。私たちにはエホバの愛が必要です。いつでも祈り,そのことをエホバに伝えましょう。また,心配事を全てエホバに委ねることができます。エホバが私たちのことをよく理解し,助けたいと思ってくださっていることを信じているからです。(詩 145:19)寒い日にたき火の近くに行きたいと思うのと同じように,私たちはエホバの愛に引き寄せられます。エホバの愛は,強くて温かいものです。毎日の生活の中で,エホバに愛されているという幸せを感じるようにしましょう。そして,私たちもエホバを心から愛していることをエホバにぜひ伝えていきましょう。(詩 116:1)塔研24.01 31ページ19-20節
8月29日,金曜日
私はあなたのお名前を彼らに知らせました。(ヨハ 17:26)
イエスは神の名前がエホバだということをただ人に伝えただけではありません。当時のユダヤ人は神の名前をすでに知っていたからです。イエスは進んで「神について説明し[まし]た」。(ヨハ 1:17,18)ヘブライ語聖書は,エホバが憐れみ深く,思いやりがある神であることを明らかにしています。(出 34:5-7)イエスはそのことを,好き放題の生活をした息子と父親の例え話でさらに分かりやすく教えました。父親は,本心に立ち返った息子を「まだ遠くにいる間に」見つけ,走っていって抱き締め,心から許しました。私たちはこの話を読むと,エホバが思いやりがあって,憐れみ深い神であることをはっきりとイメージすることができます。(ルカ 15:11-32)このように,イエスは天のお父さんがどんな方かを明らかにしたのです。塔研24.02 10ページ8-9節
8月30日,土曜日
神からの慰めにより……人[を]慰める。(コリ二 1:4)
つらい経験をしている人は,エホバから力や慰めを得ることができます。では,人を思いやり,慰める点で,私たちはどのようにエホバに倣うことができますか。1つの方法は,心の優しい人になるよう努力することです。仲間に愛を示し,「慰め合[う]」ことを続けるには,仲間をいたわる気持ちや兄弟愛,親切を身に付ける必要があります。(テサ一 4:18。コロ 3:12。ペテ一 3:8)仲間を心から気遣うようになるなら,苦しい状況にある人を慰めたいという気持ちが強くなります。イエスはこう言いました。「心に満ちあふれているものが口から出ます。善い人は,蓄えている善いものの中から善いものを出し……ます」。(マタ 12:34,35)助けを必要としている兄弟姉妹を慰めることはとても大切です。そうするなら,その人を愛していることを伝えられます。塔研23.11 10ページ10-11節
8月31日,日曜日
洞察力がある人たちは理解します。(ダニ 12:10)
聖書の預言を理解するためには助けが必要です。例えば,行ったことがない場所に旅行に行くとしましょう。一緒に行く友達がその場所のことや道をよく知っているとしたら,とても心強く感じるのではないでしょうか。同じように,エホバは私たちが時代の流れの中でどこにいるか,将来どんなことが起きるかをよく知っています。それで,聖書の預言を理解するためには,謙遜にエホバに助けを求めることが大切です。(ダニ 2:28。ペテ二 1:19,20)エホバは愛情深い親のように,ご自分の子供たちに幸せな人生を送ってほしいと思っています。(エレ 29:11)でも,人間の親とは違い,エホバは将来どんなことが起きるかを正確に見通すことができます。それで,私たちが重要な出来事について前もって知ることができるように,聖書に預言を記録させました。(イザ 46:10)塔研23.08 8-9ページ3-4節