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聖書を毎日調べる 2025
調25 88–97ページ

9月

9月1日,月曜日

私たちを夜明けのように照ら[す]。(ルカ 1:78)

エホバは人類の問題全てを解決する力をイエスに与えています。イエスの奇跡から,イエスには私たちがどうにもできない問題を解決する力がある,ということが分かります。例えば,私たちがぶつかる問題の根本原因である罪も,病気や死もなくす力があります。(マタ 9:1-6。ロマ 5:12,18,19)イエスは奇跡によって「あらゆる」病気を治し,亡くなった人を復活させました。(マタ 4:23。ヨハ 11:43,44)暴風を静めたり邪悪な天使を追い出したりしたこともあります。(マル 4:37-39。ルカ 8:2)イエスがエホバからこうした力を与えられていることを考えると,本当に安心できるのではないでしょうか。私たちはイエスが将来神の王国の王として素晴らしいことを行うと確信することができます。イエスが地上で行った奇跡から,将来王国の王として地球規模でどんなことを行うかが分かります。塔研23.04 3ページ5-7節

9月2日,火曜日

聖なる力は全ての事柄を明らかにします。神の奥深い事柄さえもです。(コリ一 2:10)

大きな会衆ではなかなかコメントできないと感じて,「もうコメントするのはやめよう」と思うかもしれません。でも,コメントするのを諦めないでください。幾つかコメントを用意しておくことができます。そうすれば,初めの方で当たらなかったとしても,後の方でコメントできるかもしれません。「ものみの塔」研究の予習をする時には,それぞれの節と主題がどのように関連しているかを考えるようにしましょう。そうすれば,記事のどの部分でもコメントすることができます。さらに,説明しにくい聖書の深い真理について考える節でコメントを用意しておくこともできるでしょう。そうした節では,ほかと比べて手を挙げる人が少ないので,当ててもらいやすいかもしれません。それでもコメントできないことが続く場合はどうしたらいいでしょうか。集会前に,どの質問で答えたいと思っているかを司会者に伝えることができます。塔研23.04 21-22ページ9-10節

9月3日,水曜日

ヨセフは……エホバの天使が指示した通りに行い,妻を迎え入れた。(マタ 1:24)

ヨセフはエホバからの指示に進んで従ったので,良い夫になることができました。少なくとも3回,エホバから家族についての指示を受けました。どの時もすぐに従いました。(マタ 1:20; 2:13-15,19-21)大きな変化が求められるとしても,エホバから言われた通りにしたので,マリアを守り,支え,養うことができました。マリアはそんなヨセフのことをいっそう愛し,尊敬するようになったことでしょう。夫の皆さん,ぜひヨセフの手本に見習ってください。聖書のアドバイスを調べ,それを当てはめましょう。大きな変化が求められるとしてもそうするなら,妻を愛していることを示し,結婚の絆を強めることができます。結婚して20年余りになるバヌアツのある姉妹はこう言います。「夫がエホバのお考えをよく調べて,その通りにしているのを見ると,夫をもっと尊敬できるようになります。安心できますし,夫の決定を信頼して従うことができます」。塔研23.05 21ページ5節

9月4日,木曜日

そこには街道ができる。「神聖な道」と呼ばれる道である。(イザ 35:8)

バビロンからイスラエルに戻ったユダヤ人は,「エホバ神の聖なる民」となるのです。(申 7:6)でも,だからといって,エホバ神に喜んでいただくために変化する必要がなかったわけではありませんでした。バビロンで生まれたユダヤ人のほとんどにはバビロニア人の考え方や基準が染み付いていたことでしょう。ユダヤ人の第1陣がイスラエルに戻ってから数十年後,総督ネヘミヤは,イスラエルで生まれた子供たちがユダヤ人の言語を学んですらいないことに衝撃を受けました。(申 6:6,7。ネヘ 13:23,24)神の言葉は主にヘブライ語で記録されていたのに,その言語を理解できないとしたら,どのようにしてエホバを愛し,エホバに仕えるようになるというのでしょうか。(エズ 10:3,44)それで,ユダヤ人には大きな変化が必要でした。でも,イスラエルでは清い崇拝が回復されつつあったので,バビロンにいるよりもはるかに変化しやすかったことでしょう。(ネヘ 8:8,9)塔研23.05 15ページ6-7節

9月5日,金曜日

エホバは,倒れかけている人を皆支える。うずくまっている人を皆立ち上がらせる。(詩 145:14)

残念なことですが,目標を達成したいという意欲がどれほどあっても,どんなに自分を訓練していたとしても,壁にぶつかることがあります。例えば,「思いも寄らないこと」が起きて,時間を奪われてしまうかもしれません。(伝 9:11)がっかりさせられるような大きな問題にぶつかって,力がなくなることもあります。(格 24:10)不完全さや疲れが壁になることもあるでしょう。(マタ 26:43。ロマ 7:23)では,こうした壁を乗り越えるためにどんなことができるでしょうか。壁にぶつかるとしても,それで終わりではありません。聖書によれば,私たちはたくさんの問題を経験しますが,それを乗り越えていくことができます。壁にぶつかるとしても,諦めてしまわないなら,エホバに喜んでもらいたいと思っていることを示せます。目標に向けて頑張るあなたの姿を見て,エホバは満面の笑みを浮かべているに違いありません。塔研23.05 30ページ14-15節

9月6日,土曜日

群れの模範となりましょう。(ペテ一 5:3)

若い兄弟は,開拓奉仕をすることによって,いろんなタイプの人と協力して働く方法を学ぶことができます。また,生活のためにお金を上手にやりくりする方法も学べます。(フィリ 4:11-13)まずは,補助開拓奉仕をやってみましょう。そうするなら開拓奉仕を始める良い準備をすることができます。開拓奉仕は,建設サーバントやベテル奉仕などのさまざまな全時間奉仕につながるでしょう。兄弟たちが会衆の長老として兄弟姉妹のために働くのを目指すのは大切です。聖書は,それが「立派な仕事を望んでい[る]」ことになると教えています。(テモ一 3:1)まず援助奉仕者になる必要があります。援助奉仕者は長老たちをサポートするためにいろいろな仕事をします。長老も援助奉仕者も,仲間のために一生懸命働き,宣教に熱心に参加します。塔研23.12 28ページ14-16節

9月7日,日曜日

ヨシヤは……まだ少年だった頃,父祖ダビデの神に仕え始めた。(代二 34:3)

ヨシヤ王は10代の頃にエホバに仕え始めました。エホバについて学び,エホバに喜ばれることをしたいと思っていました。でもヨシヤ王はまだ若く,大変な時代に生きていました。多くの人が間違った崇拝を行っている中でそれをやめさせるのは,簡単なことではありませんでした。でも,ヨシヤは勇気を持って清い崇拝を推し進めました。20歳になる前に,間違った崇拝を国から取り除き始めたのです。(代二 34:1,2)ヨシヤのように,若い人もエホバがどんな方かについて学び,エホバとの絆を強めることができます。そうするなら,やがてエホバに献身したいという気持ちになるでしょう。献身するとどんな生き方をすることになりますか。14歳でバプテスマを受けたルーク兄弟はこう言っています。「これからは何よりもまずエホバのことを考えて,エホバに喜ばれることをしていきたいと思います」。(マル 12:30)あなたも同じような生き方がしたいと思いますか。エホバに献身するなら,たくさんの喜びを味わえるでしょう。塔研23.09 11ページ12-13節

9月8日,月曜日

皆さんの中で一生懸命に働き,主に仕えつつ皆さんを監督し……ている人たちに,敬意を払ってください。(テサ一 5:12)

パウロがテサロニケ第一の手紙を書いた頃,テサロニケ会衆はできてから1年もたっていませんでした。責任を委ねられている兄弟たちは経験が浅く,間違いをすることもあったでしょう。それでも,そうした兄弟たちは敬意を受けるのにふさわしい働きをしていました。大患難が近づくにつれて,長老たちに頼ることはますます大切になります。世界本部や支部からの指示を受け取れなくなるかもしれないからです。それで,長老たちへの愛や敬意を今深めておくようにしましょう。どんなことが起きるとしても,目覚めていることが大切です。長老たちのできていないところではなく,エホバがイエスを用いて長老たちを導いている,ということに注目するようにしましょう。また強い希望があるなら,穏やかな気持ちでいることができます。かぶとが兵士の頭を守るのと同じように,希望は私たちの考えを守ってくれます。今の世の中にあるものには何の価値もないということをはっきり理解できます。(フィリ 3:8)塔研23.06 11-12ページ11-12節

9月9日,火曜日

愚かな女性は騒がしい。浅はか[だ]。(格 9:13)

「愚かな女性」の声が聞こえてきたなら,その誘いに応じるか退けるかを決めなければなりません。性的に不道徳な行いを避けるべきなのはどうしてでしょうか。「愚かな女性」は,「盗んだ水は甘[い]」と言っています。(格 9:17)この「盗んだ水」とは何でしょうか。聖書は,夫婦の性関係を爽やかな水に例えています。(格 5:15-18)正式に結婚した夫婦だけが性的な親密さを楽しむことができます。しかし,「盗んだ水」はそれとは全く違います。これは正しくない性関係を指しているようで,多くの場合隠れて行われます。泥棒が人目を避けて家に忍び込むのとよく似ています。誰にも気付かれていないと思っているなら,「盗んだ水」は甘く感じるかもしれません。でも実際には,エホバが全てを見ています。エホバに嫌われてしまうとしたら,それ以上に悲しいことはありません。とても大きなものを失うことになるのです。(コリ一 6:9,10)塔研23.06 22ページ7-9節

9月10日,水曜日

たとえ自分の意志に反して果たすとしても,管理人としての責任があることに変わりはありません。(コリ一 9:17)

自分の祈りに心がこもっていないとか,宣教がマンネリ化していると感じる場合,どうしたらいいでしょうか。バプテスマを受けた後にそうした気持ちになるとしても,今の自分はエホバの聖なる力を受けることができていないとは考えないでください。私たちは完全ではないので,気持ちの浮き沈みを経験することがあります。熱意が冷めているように感じる時には,パウロの例を考えてみてください。パウロはイエスに倣おうと努力していましたが,なかなかやる気が出ないこともありました。パウロは,意欲が湧かない時にも自分の務めを果たそうと心に決めていたのです。私たちも,自分の感情に振り回されないようにしましょう。気持ちが乗らない時にも正しいことを行うと決意してください。努力を続けるなら,やがて意欲が湧いてくるかもしれません。(コリ一 9:16)塔研24.03 11-12ページ12-13節

9月11日,木曜日

彼らに皆さんの愛の証拠を示し……てください。(コリ二 8:24)

私たちは,兄弟姉妹と友達になり,一緒に時間を過ごすことによって,愛を示すことができます。(コリ二 6:11-13)会衆には,育った環境や個性が異なるいろいろな兄弟姉妹がいることでしょう。そうした人たちの良いところに注目するなら,愛を強めることができます。仲間に対してエホバと同じ見方をするなら,仲間に愛を示すことができます。大患難の時,愛は必要不可欠なものになります。エホバはその時,私たちをどのように守ってくださるのでしょうか。古代バビロンが攻撃を受けた時にエホバがどんな指示を出したか考えてみましょう。こうあります。「私の民よ,行って,奥の部屋に入り,扉を閉めなさい。少しの間,隠れていなさい。憤りが過ぎ去るまで」。(イザ 26:20)この言葉は私たちにとっても大切です。大患難が目前に迫っているからです。塔研23.07 6-7ページ14-16節

9月12日,金曜日

今の世のありさまは変わろうとしている。(コリ一 7:31)

分別があるという評判を得るようにしてください。次のように考えてみましょう。「私は,分別があり,寛容で融通が利く人として知られているだろうか。それとも,厳しくて頑固な人と見られているだろうか。ほかの人の意見を聞いて,可能なときには合わせるようにしているだろうか」。分別を示せば示すほど,エホバとイエスに倣っていることになります。分別がある人は,状況が変わっても柔軟に対応することができます。そうした変化によって,思いも寄らない問題にぶつかることがあるかもしれません。例えば,健康上の問題を抱えることがあります。経済や政治の情勢が変化して,生活が厳しくなるかもしれません。(伝 9:11)奉仕の割り当てが変わることも大きな変化の一つです。次の4つの点を意識するなら順応することができます。(1)現実を受け入れること,(2)将来に目を向けること,(3)良い面に注目すること,(4)人のためになることを行うことです。塔研23.07 22ページ7-8節

9月13日,土曜日

あなたは大切な人……です。(ダニ 9:23)

預言者ダニエルは,若い頃に故郷から遠く離れたバビロンに捕虜として連れていかれました。バビロニア人は,ダニエルの「目に見えるもの」に注目していました。(サム一 16:7)ダニエルは「欠点がなく,容姿が良く」,良い家柄の人でした。それで,宮殿で仕えるための訓練を受けることになりました。(ダニ 1:3,4,6)エホバはダニエルのことを大切に思っていました。ダニエルの内面に注目したからです。実際,ダニエルが20歳ぐらいの時,エホバはダニエルの名前をノアやヨブと一緒に挙げました。このことから,エホバが長年ご自分に忠実に仕えたノアやヨブと同じように,ダニエルのことを正しい人と見ていたことが分かります。(創 5:32; 6:9,10。ヨブ 42:16,17。エゼ 14:14)エホバはダニエルの生涯中ずっと,ダニエルのことを大切にし続けました。(ダニ 10:11,19)塔研23.08 2ページ1-2節

9月14日,日曜日

真理の幅と長さと高さと深さがどれほどかを十分に理解[する]。(エフェ 3:18)

家を買うかどうかを考えている場合,自分が住むことになる家について,できるだけ多くのことを実際に見て調べておきたいと思うことでしょう。聖書を読んで学ぶ時も,同じようにすることができます。ざっと読むだけでは,「神の神聖な宣言の基礎的な事柄」しか知ることができないでしょう。(ヘブ 5:12)家の場合と同じように,“中に入って”細かいところまでじっくり調べることが大切です。聖書を学ぶ時は,読んでいる部分が別の部分とどのように関係しているかに注目しましょう。どんな真理を学べるかだけでなく,どうしてそれを信じられるかも考えます。聖書をしっかり理解するためには,深く掘り下げて学ぶ必要があります。パウロは仲間のクリスチャンに,聖書を真剣に学ぶようにと勧めました。「真理の幅と長さと高さと深さがどれほどかを十分に理解」するためです。そうするなら,信仰面で「しっかりと根を張り,強固な土台の上に建てられ」た建物のようになることができます。(エフェ 3:14-19)私たちもこうした面で努力する必要があります。塔研23.10 18ページ1-3節

9月15日,月曜日

兄弟たち,苦しみに耐え,辛抱する点で,エホバの名によって語った預言者たちを模範としてください。(ヤコ 5:10)

聖書には,辛抱を示した人たちの記録がたくさん収められています。そうした人たちの手本について調べてみるのはどうですか。例えばダビデは,とても若い時に王として選ばれましたが,実際に統治を始めることができたのは何年も後になってからでした。シメオンとアンナは,メシアが来るのを待ちつつエホバに忠実に仕えました。(ルカ 2:25,36-38)こうした記録を調べるときには,次のような点を考えてみましょう。「この人が辛抱できたのはどうしてだろうか。辛抱してどんな良い結果になっただろうか。どのように倣えるだろうか」。辛抱できなかった人たちの例からも学ぶことができます。(サム一 13:8-14)こう考えてみましょう。「この人が辛抱できなかったのはどうしてだろうか。どんな悪い結果になっただろうか」。塔研23.08 25ページ15節

9月16日,火曜日

私たちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,知るようになりました。(ヨハ 6:69)

ペテロは揺るぎない愛を持っていました。だからこそ,どんなことがあってもイエスに従い続けることができました。ある時,弟子たちはイエスの話を理解できないことがありました。(ヨハ 6:68)多くの人は説明を待つのではなく,イエスに従うのをやめてしまいました。でも,ペテロはそうはしませんでした。イエスだけが「永遠の命の言葉」を持っている,と信じていたからです。イエスはペテロや使徒たちが自分を見捨てるということを知っていました。それでも,ペテロが立ち直り,また忠実に奉仕すると信じていることを伝えました。(ルカ 22:31,32)イエスは,「心は強く願っていても,肉体は弱い」ということをよく理解していました。(マル 14:38)それで,イエスのことを知らないと言ったペテロのことを見限ることはしませんでした。復活した後,イエスは1人でいたと思われるペテロの前に現れます。(マル 16:7。ルカ 24:34。コリ一 15:5)気落ちしていたペテロはとても力づけられたに違いありません。塔研23.09 22ページ9-10節

9月17日,水曜日

不法な行いを許され,罪を覆われた人は幸せだ。(ロマ 4:7)

エホバは,ご自分に信仰を持つ人たちの罪を完全に許し,それを後で持ち出したりはしません。(詩 32:1,2)そうした人たちの信仰に注目して,罪がない正しい人と見なしてくださるのです。エホバから正しいと認められたアブラハムやダビデなどの忠実な人たちも,不完全な罪人でした。でも,エホバはそれらの人たちの信仰に注目して,非難されるところがない人と見なしました。周囲の人たちに比べると,それらの人たちの信仰は確かに際立ったものでした。(エフェ 2:12)パウロは「ローマのクリスチャンへの手紙」の中で,神の友になるためには信仰が欠かせないということを説明しました。私たちも信仰があるなら,アブラハムやダビデと同じようにエホバと友になることができます。塔研23.12 3ページ6-7節

9月18日,木曜日

絶えず神に賛美の犠牲を捧げましょう。神の名を人々に伝えて,言葉で神を賛美するのです。(ヘブ 13:15)

私たちは皆,神の王国の活動を推し進めるために,自分の時間や体力,資産を用いることができます。自分のベストを尽くして仕えることによって,エホバへの崇拝を大切にしていることを示せるのです。パウロはエホバを崇拝する上で大切にするべき点を教えています。(ヘブ 10:22-25)それは,エホバに祈ること,良い知らせを伝えること,会衆の仲間と集まること,励まし合うことです。「[エホバの]日が近づいているのですから,ますますこうしたことを行っていきましょう」とパウロは言っています。そして「啓示」の書の最後の方で,エホバの天使は「神を崇拝しなさい!」と言っています。(啓 19:10; 22:9)これはとても大切なことだったので,天使は同じ言葉を2回繰り返しました。では,エホバの偉大な神殿に関する深い真理を決して忘れないようにしましょう。そして,エホバを崇拝するという素晴らしい機会をこれからも大切にしていきましょう。塔研23.10 29ページ17-18節

9月19日,金曜日

引き続き愛し合いましょう。(ヨハ一 4:7)

私たちは皆,「引き続き愛し合い」たいと思っています。とはいえ,イエスが言った通り,「大半の人の愛が冷え[る]」ということを忘れてはいけません。(マタ 24:12)もちろんイエスは,弟子たちの多くが愛を示さなくなると言っていたわけではありません。でも,愛のない人たちに影響されてしまわないように注意する必要があります。では,次の大切な点を考えてみましょう。仲間への愛が強いものかどうか,どうすれば確かめられるでしょうか。仲間への愛の強さを確かめるために,生活のさまざまな場面で自分がどのように反応しているかに注目することができます。(コリ二 8:8)ペテロはこう言っています。「何よりも,熱烈に愛し合ってください。愛は多くの罪を覆うからです」。(ペテ一 4:8)仲間の弱さを目にしたり,傷つけられたりしたとき,私たちの愛は試されます。塔研23.11 10ページ12-13節

9月20日,土曜日

互いに愛し合う。(ヨハ 13:34)

もし会衆の一部の人にしか愛を示していないなら,愛に関するイエスのおきてに従っているとは言えません。もちろん,誰かにより親しみを感じることはあるものです。イエスもそうでした。(ヨハ 13:23; 20:2)でもペテロが教えている通り,全ての兄弟姉妹に,家族に対するような温かい愛を持てるよう努力しましょう。(ペテ一 2:17)ペテロは,「心から熱烈に愛し合」うようにと勧めました。(ペテ一 1:22)この「熱烈に」愛するという表現には,愛を示すのが難しいと思える相手にも努力して愛を示す,という考えが含まれています。例えば,誰かから嫌な思いをさせられた時,愛を示すよりそっけない態度を取りたくなるかもしれません。でもイエスはペテロに,仕返しは神に喜ばれないと教えました。(ヨハ 18:10,11)ペテロはこう書きました。「傷つけられたり侮辱されたりしても,仕返しをしてはなりません。かえって,相手に親切にしてください」。(ペテ一 3:9)熱烈な愛を示すよう努力するなら,親切で思いやり深い人になれるでしょう。塔研23.09 29ページ9-11節

9月21日,日曜日

女性たちも,……節度をわきまえ,あらゆる点で忠実であるべきです。(テモ一 3:11)

子供はあっという間に大きくなります。でも,体の成長とは違い,クリスチャンとしての成長には努力が欠かせません。(コリ一 13:11。ヘブ 6:1)私たちはエホバとの絆を強めていく必要があります。また,聖なる力の助けによって内面を磨き,生活に役立つスキルを身に付け,将来に向けて備えることも大切です。(格 1:5)エホバは男性と女性を創造しました。(創 1:27)男性と女性には体の造りだけでなく,ほかにも違いがあります。それぞれエホバから異なる役割を与えられています。その役割を果たすためには,内面を磨き,役立つスキルを身に付ける必要があります。(創 2:18)塔研23.12 18ページ1-2節

9月22日,月曜日

全ての国の人々を弟子としなさい。父と子……の名によってバプテスマを施し[なさい]。(マタ 28:19)

イエスは人々にエホバの名前を使ってほしいと思っていたでしょうか。確かにそう思っていました。当時の偽善的な宗教指導者の中には,神の名前はあまりにも神聖なものなので発音するべきではないと考える人たちもいました。でもイエスは,聖書に基づかないそうした伝統に影響されることなく,エホバの名を賛美しました。ゲラサの人たちの地域で邪悪な天使に取りつかれた男性を癒やした時のことを考えてみましょう。起きたことを見聞きした人たちはイエスのことを恐れ,その地域から去ってほしいとお願いしました。それでイエスはその通りにしました。(マル 5:16,17)でもイエスはエホバの名がその地域の人たちにも知られることを願っていました。それでイエスは癒やされた男性に1つの務めを与えます。イエスではなくエホバがしたことを人々に伝える,という務めです。(マル 5:19)イエスの願いは今も変わっていません。私たちに世界中でエホバの名を知らせてほしいと思っています。(マタ 24:14; 28:20)それで,私たちが一生懸命に努力する時,王であるイエスに喜んでもらうことができます。塔研24.02 10ページ10節

9月23日,火曜日

あなたは……私の名のために辛抱してきました。(啓 2:3)

私たちは終わりの時代に住んでいるので,いろいろな難しい問題を経験します。そんな中で,エホバの家族の一員でいられるのは素晴らしいことです。エホバは互いに支え合える兄弟姉妹を与えてくださっています。(詩 133:1)幸せな結婚生活を送れるようにも助けてくださっています。(エフェ 5:33–6:1)また,穏やかな気持ちでいられるように,洞察力や知恵も与えてくださっています。それでも,エホバに仕え続けるのはいつも簡単というわけではありません。なぜでしょうか。他の人にいらいらさせられたり,傷つけられたりすることがあるからです。自分の弱さにがっかりすることもあるかもしれません。同じ失敗を繰り返してしまった時には特にそうです。でも,(1)仲間の兄弟姉妹に傷つけられた時,(2)夫や妻にがっかりさせられた時,(3)自分の失敗に落ち込む時にも,エホバに仕え続ける必要があります。塔研24.03 14ページ1-2節

9月24日,水曜日

私たちはこれまで進歩してきたのですから,この同じ道をきちんと歩んでいきましょう。(フィリ 3:16)

時には,エホバにもっと仕えようと努力している兄弟姉妹の話を聞くことがあるかもしれません。王国福音伝道者のための学校に出席した人や,さらに伝道者が必要な区域に移動した人たちの話です。もし同じような目標を立てられるなら,それは素晴らしいことです。私たちはみんな,もっと宣教を行いたいという熱意にあふれています。(使徒 16:9)でも,今はそうできないとしたらどうでしょうか。そのような人たちと比べて,自分は劣っているなどと考えないでください。クリスチャンの競走で大切なのは,最後まで走り続けることです。(マタ 10:22)エホバが喜ばれるのは,あなたが自分の状況でできる限りのことをして,精いっぱいエホバにお仕えすることです。それがバプテスマの後もイエスに従い続ける上で大切です。(詩 26:1)塔研24.03 10ページ11節

9月25日,木曜日

私たちの過ち全てを優しく許し[た]。(コロ 2:13)

エホバは,私たちが悔い改めるなら快く許す,と約束してくださっています。(詩 86:5)それで,してしまったことを心から反省しているなら,エホバが許してくださっていることを信じましょう。エホバが厳しい方ではなく,私たちにできる以上のことを求めたりはしないということを思い出しましょう。どんなにわずかであっても,ベストを尽くしているなら喜んでくださいます。また,聖書に書かれている,心を込めてエホバに仕えた人たちの例を考えることもできます。例えば,パウロは長い間一生懸命働き,何千キロも旅をしてたくさんの会衆をつくりました。でもその後,状況が変わって伝道をあまり行えなくなった時,パウロに対するエホバの見方は変わってしまったでしょうか。そんなことはありません。できることを行い続けたパウロをエホバは喜びました。(使徒 28:30,31)私たちがエホバのために行えることも状況によって変わります。でもエホバが注目しているのは,私たちがどんな気持ちで行うかです。塔研24.03 27ページ7,9節

9月26日,金曜日

朝早くまだ暗いうちに,イエスは……静かな場所へ行って,祈りを始めた。(マル 1:35)

イエスは手本によっても祈りの大切さを弟子たちに教えました。イエスは宣教期間中,何度も祈りました。とても忙しく,たくさんの人たちに囲まれることもよくあったので,祈るために時間を取る必要がありました。(マル 6:31,45,46)朝早く起きて,独りで祈りを捧げたこともあれば,重要な決定をする前に一晩中祈ったこともあります。(ルカ 6:12,13)亡くなる前の晩には,地上での最も難しい務めを果たせるように,何度も祈りを捧げました。(マタ 26:39,42,44)イエスの手本から分かる通り,どんなに忙しくても祈りのために時間を取るのは大切なことです。朝早く起きたり,寝る時間を少し遅らせたりできるかもしれません。そのようにして祈るための時間を確実に取るようにするなら,祈りを大切にしていることを示せます。塔研23.05 3ページ4-5節

9月27日,土曜日

私たちに与えられた聖なる力によって,神の愛が心の中に注がれている。(ロマ 5:5)

上の聖句の「注がれている」という表現に注目してみましょう。ある参考文献はそれを「勢いよく流れる川のようだ」と説明しています。天に行くよう選ばれた人たちのことをエホバがどれほど愛しているかをイメージすることができます。天に行くよう選ばれた人たちも,「神に愛され」ていることを確信しています。(ユダ 1)そのことについて使徒ヨハネは,「天の父が私たちにどのような愛を示してくださったかを考えてください。私たちは神の子供と呼ばれるほど愛されて[います]」と書きました。(ヨハ一 3:1)では,エホバが愛しているのは天に行くよう選ばれた人たちだけなのでしょうか。そうではありません。エホバは私たち全てのことを愛しています。エホバが私たちを愛しているといえる最大の証拠は何でしょうか。贖いです。これほど大きな愛が示されたことはありません。(ヨハ 3:16。ロマ 5:8)塔研24.01 28ページ9-10節

9月28日,日曜日

私が助けを求めるその日に,敵は退却する。私は確信している。神が味方であることを。(詩 56:9)

上の聖句から,ダビデが恐れの気持ちを乗り越えるためにどんなことをしたかが分かります。命が危険な状況にありましたが,エホバがこれからどんなことをしてくれるかに目を向けました。ダビデは,エホバがふさわしい時に助け出してくださると確信していました。エホバから,イスラエルの次の王になると言われていたからです。(サム一 16:1,13)ダビデはエホバの約束が全てその通りになることを信じていました。エホバは,私たちのためにどんなことをすると約束していますか。どんな問題も経験しないで済むようにしてくれるわけではありません。でも,この体制で経験するどんな試練も新しい世界で取り除くと約束しています。(イザ 25:7-9)エホバは私たちを造った方なので,亡くなった人を復活させたり,病気や心の傷を癒やしたりする力を持っています。そして,私たちを攻撃する人たちを除き去ることもできます。(ヨハ一 4:4)塔研24.01 6ページ12-13節

9月29日,月曜日

違反を許され,罪を覆われる人は幸せだ。(詩 32:1)

献身しバプテスマを受けた理由をじっくり考えましょう。あなたは,エホバに仕え続けたいという気持ちから,この重要なステップを踏んだことでしょう。真理を見つけたと確信することができたのはどうしてだったでしょうか。エホバについて知るにつれて,エホバを愛し,尊敬するようになったはずです。だんだんと信仰が育っていき,それまで行ったことを悔い改めました。良くない習慣をやめ,エホバの考えに沿った生き方をしたいと思うようになりました。そして,エホバが許してくださったと実感して,とても安心したことでしょう。(詩 32:2)集会に出席し,学んだことをほかの人に伝えるようになりました。今では,献身しバプテスマを受けたクリスチャンとして,命に至る道を歩み続けたいと思っています。(マタ 7:13,14)エホバへの献身の思いを貫き,どんな時もエホバの命令に従うことができますように。塔研23.07 17ページ14節,19ページ19節

9月30日,火曜日

神は信頼できる方で,皆さんが耐えられないほど誘惑を受けるままにはしません。出口を設けて,誘惑に耐え切れるようにしてくださいます。(コリ一 10:13)

献身した時にエホバに捧げた祈りを思い返すことは,良くない考えをはねのける力になります。例えば,結婚している誰かのことが気になってしまったらどうしますか。その気持ちをそのままにしたり,相手の気を引こうとしたりはしないはずです。エホバを悲しませるようなことはしない,と約束したからです。欲望が膨らんでからではなく,最初からきっぱり退けるならつらい思いをせずに済みます。「悪人が通る道」から「離れ」ることができるのです。(格 4:14,15)この点でイエスの手本についてじっくり考えることは助けになります。イエスは,エホバに喜ばれることをしようと決意していました。私たちも,エホバに献身したことを考えるなら,エホバを悲しませるようなことはどんなことであれきっぱり退けることができます。(マタ 4:10。ヨハ 8:29)試練や誘惑に遭う時,それは「絶えず[イエス]の後に従い」たいと思っていることを証明するチャンスになります。エホバは頑張る私たちのことを必ず助けてくださいます。塔研24.03 9-10ページ8-10節

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