「彼らは一致の中に伝道する」
― 1961年のエホバの証者の年鑑より ―
共産国における伝道活動
人口: 3億1449万2000人
伝道者最高数: 12万7717人
比率: 2,462人に1人
共産主義諸国にいるエホバの証者は,キリスト・イエスの他の羊を更に見出して集めるという,生命を救うわざを行なうことができました。共産主義の支配のもとではむずかしいことなのですが,新しい多くの人々は過去12ヵ月にわたりエホバの制度と交わりました。次に共産主義の支配を受けている諸国からの報告を示しますが,兄弟たちが非常な圧迫のもとにいるということがわかります。
多くのものは刑務所や収容所に入れられ,また殺されたものもあります。エホバの証者の群れは,政府の力によって解散させられました。ある国では,スパイを訓練して制度に潜入させました。これらのスパイはエホバの証者がどこで集まるか,どのようにしてわざを行っているか,だれが監督として奉仕しているか,ということを調べ上げてから,忠実な兄弟たちのことを警察に知らせたので,わざに重大な支障をきたしました。このようなことは,特にポーランドとソ連でおこりました。警察ではエホバの証者をなきものにしようとして,やっきになっていますが,成功していません。警察だけではありません。政治的な面からの圧迫も多くのエホバの証者に多大の苦しみや悲しみをもたらしました。しかし,ひとつ,成し得なかったことがあります。それは,エホバ神と正義の新しい世に,絶対的な確信をおいている者たちの信仰を,くつがえすことができなかったということです。
悪の力は各所に見られます。政府の権威もそうです。なぜなら,その目的とするところは,滅ぼすことであり,建ておこすことではありません。それに反して,エホバの証者は善を行なっています。すなわち,人々に正しい生き方を示し,どのようにしてエホバの御名をたたえるかを示しています。エホバの証者は,御国の良いおとずれを伝道することにより,エホバと隣人に対する愛を示してきました。
年鑑の報告をみると,過去1年間共産主義諸国で毎月御国の良いたよりを伝道した者の数は,少し増加したということがわかります。平均12万3383名の者が,昨年これらの国々で毎月善意者を助けて神の御言葉を理解させました。エホバ神に献身し,何年か奉仕してきた者が,制度にとどまったようです。そして,定期的な働き人が2431人ふえました。
共産主義諸国における昨年と今年の伝道者最高数を比較してみると,4278名減っていることがわかります。1959年のある月には,御国を代表する者が13万1996名いました。しかし,今年はそれが,12万7717名に減りました。手元にある報告によれば,この主な理由のひとつは,多くの共産主義者がエホバの証者になってその標準に達しないため,制度の内部で脱落があったということです。これら不忠実な者たちの排斥ということが,何度もおこりました。彼らはクリスチャンであると見せかけながら,実はスパイだったということが分かりました。共産主義の政党によって制度にもぐり込むようにつかわされた者のうち,10人の者は共産党を実際に離れ,忠実なエホバの証者になりました。過ぐる年の間に,不忠実な者の大部分が取り除かれ,鉄のカーテンの背後ならびに地下にある制度が,しっかりと立っているということを希望し祈っています。エホバは御自身の羊を知っており,彼らを祝福し,彼らを守ります。
おぼえている人はたくさんいると思いますが,共産主義諸国のエホバの証者の昨年の増加率は,22パーセントでした。今年は2パーセントだけでした。なおも増加が続いています。神の御国の側に立場を取る者には,ひどい圧迫が課せられますが,これらの国々にも,真理と正義を愛し,神の清い制度を求めている人々がいるのです。エホバの証者は,世界の他の場所におけると同様,共産主義諸国において中立の立場を取り続けており,政治と何のかかわりも持ちません。エホバの証者は,神の御国にその希望を全くかけています。彼らは世界中のすべてのエホバの証者と共に喜びを持って,おりの中の羊のように一致して,前進します。私たちは彼らの兄弟であることを,幸福に思います。次に共産主義国にいる代表者から,協会によせられてきた報告をのせます。
ポーランド
過ぐる年の間,ポーランドにおけるエホバの証者のわざは,内部と外部からの攻撃の的になりました。しかし,わざに対する敵のすべての攻撃にもかかわらず ― ある時は非常にひどいものでしたが ― 忠実な伝道者たちの熱心な気持は,くつがえされませんでした。内部からの攻撃というのは,監督の地位についていたある僕たちは,明らかに自分自身と,自分の霊的福祉に注意しませんでした。彼らの心の中に,不満の気持がしのび込み,それが大きくなってゆきました。彼らはそこにいる神の民と共に平和を追い求めることを止め,自分の利己的な目的を達成するために,同僚の僕たちに対して,陰謀を企て,偽証しました。悔い改めなかった者は,公然と反逆するようになり,遂には排斥されるにいたりました。しかし,このようにして内部から制度がくずれてしまうだろう,という敵の予測は,くつがえされました。敵の使ったほかの手も,同じようにみじめに失敗しました。そのひとつは,支部の僕を4月に逮捕した時のことでした。敵は勝利を博したかのように見えました。支部の僕は,すでに何年もの間ヒトラーの収容所にはいっていたことがあったのですが,またもや,真理のために,刑務所に入れられました。今度はポーランドの共産主義の刑務所に,1950年から1956年までいれられました。しかし,御国の忠実な伝道者は,落胆しませんでした。これらの攻撃が,収穫をそこない,主の僕たちの気持をくじく目的でなされているのだ,ということを十分よく理解していました。
この国のある場所では,伝道者がたくさんおり,そこの区域は毎月よく網羅されました。しばしばよい「魚」が「漁師のあみ」にかかりましたが,時には悪い魚もかかりました。魚を取っている者が,よく目を見開いていないと,このような悪い魚が会衆にはいり込み,後になるとはっきり表われてくるのですが,非常によい会衆でもそのような者によって,そこなわれてしまうということがあるのです。
神のめぐみ,ならびにみなさん方の配慮により,霊的食物にこと欠くということはありませんでした。過ぐる年の間,4つの印刷工場が,敵の手に渡ってしまいましたが,それでも私たちは霊的に養なわれています。ポーランドのエホバの証者は,非常に有名になりました。だれでもエホバの証者のことを聞いています。大多数の人は,エホバの証者について,はっきりした態度をとっています。
政府は,エホバの証者のことで大分気をもんでいます。エホバの証者をどう扱うべきか,いつも討議しています。次のように述べている地方裁判所の一判事の言葉からも,その困惑のさまがうかがえます,「実際のところ,政府の高官の多くは,どうしてよいのか分かっていない。」彼らにとって不都合なことには,私たちが正直で,平和を愛しており,良心的で,勤勉であり,人々の間で良い名声をかち得ているということです。衆人環視のうちに,私たちを悪者扱いにすることは,むずかしいことです。激しい迫害のさなかにあって,エホバの証者は,政府あるいはその政治に手を出すようなことはいたしません。非難されることがあるとすれば,それはただ,神に対して非常に熱心に奉仕しているということです。
いくつかの裁判が行なわれている時,検察官はこう言いました,「政府の方針は,すべての宗教を一掃することである。なぜなら,宗教と名のつくものは,非科学的であるからである。しかし,その中でも最悪のものは,エホバの証者の宗教である。それでわれわれは,先ずそれを一掃しなくてはならぬ。」検察官が述べたこの言葉から見て,文化省の役人が保証する自由というのは,全く偽善的なものです。
過去3年間にわたり,裁判沙汰のない時はありませんでした。最初のうちは,裁判のかたがついた時,一息入れることができましたが,今では毎日のできごとになっています。過ぐる年の間,いくつもの裁判が行なわれ,300人の伝道者がそれにまき込まれました。約30の事件は,証拠不十分のため取り消されました。下級裁判所は,150回開廷しました。14人の兄弟は無罪になり,180名の兄弟は合計して160年になる刑期を言いわたされました。一方,課せられた罰金も,全体で約900万円にのぼりました。
全体を通じてみて,当局はこれらの裁判を通して何も得られませんでした。ただ,恐れと暴力による支配だ,という評判を高くしただけです。
離れた所にある区域でわざを行なったいくつかの会衆は,非常に良い結果を得て,はげまされました。このような遠出は,たいてい非常によく支持されました。それで時には,とても多くの伝道者がこれらの区域にはいりました。ちょうどこのような遠出の時でしたが93名の伝道者が勢ぞろいしました。6人のグループのリーダーのもとに,ふたりづつ組んで42組になりました。通行人のひとりが,グループのリーダーにたずねました,「この人たちは何を探しているのですか。」「羊です」とその兄弟は答えました。「お金持なんですね。」「ええ,本当にゆたかな人たちです。でも霊的に富んでいるという意味です。」それで兄弟は,この人にどんな種類の羊を探しているのか,説明する機会を得ました。
彼らは3時間働きました。それから森の中にはいって行き,水で囲まれた美しい開墾地で集合しました。肌寒い日でしたが,9名の者が,エホバ神に献身を表明するため,進み出ました。これら9名の人たちを見て,そこにいた者はすべて喜びにあふれました。それから,ひとりの兄弟が「神の全き御心を行なうため自由になれ」という話をしました。興味のある人やお百姓さんたちも,近くの家から来ていました。彼らは話が始まった時,川の向う岸や,近くの岩から,集まりを眺めていましたが,後になってから,講演者が話していることの要旨をのがすまいと非常に近くによってきて,注意ぶかく聞きました。その日の働きの結果として,3つの村は網羅され,24の家族はおとずれに興味を示しました。
また,小さい子供たちも真理を伝えて,自分の分を果たしています。12歳の男の子は,学校で宗教のクラスがある時はいつでも,家に帰ることにしていました。ある日のこと,いつものように帰ろうとした時,ひとりの生徒が,お前は「猫の信仰」―「異端者」という意味 ― を持っているのだと言って,彼をののしり出しました。すると,もうひとりの生徒が,そんなことを言うものではないとさとしました。その小さい伝道者は,すばやくこの機会をとらえ,この好意的な生徒と宗教のことを話し始めました。その少年は君と同じ信仰を持ちたい,と言いました。ベルがちょうど鳴りだしたので,また後で話し合うという約束をしました。授業が終わってから,その生徒は,この若い兄弟の家を訪問しました。そして御国にかんする証言を聞きました。少年は聞いたこと全部を,家に帰って母親と姉に話しました。そして自分もエホバの証者になりたいと母親に言いました。その若い兄弟の家で話し合ってから,今後は自分の家に来て,母親が納得するように話してくれと,その少年は若い伝道者にたのみました。1時間ぐらい話し合いました。聖餐式のことが話題に出ました。その母親はそれについて質問があったからです。また告白ということについても話し合いました。それからふたりの少年は,「神を真とすべし」という本を共に定期的に勉強しはじめました。後になってふたりは「聖徒祭日」に,墓地のところで一緒にパンフレットを配りました。
ブルガリア
ブルガリアにも,聖書の研究を目的として集まりあっているグループがいくつかあります。しかしわざはあまり発展していません。この人々の,聖書にもとづいた信仰を建て起こし強化するには,忍耐と多くの教えるわざが必要です。共産主義の国は,聖書の教えに好意をもっていません。ですから,ブルガリアでは聖書は非常に高価で,普通の人が聖書を手に入れることはむずかしい状態です。しかし最後には聖書は,神を求める人々の手にはいることでしょう。ブルガリアの人々は,親しみやすく人をよくもてなします。彼らの間に善意者がいることはまちがいありません。しかし,その善意者は見つけ出す必要があります。そしてそれは,ただ神の御国のよいたよりをひろめることだけによってできることです。
チェコスロバキア
私たちは,伝道者が増加したことを喜んでいます。なぜなら,新しい伝道者たちは,神の民の努力に対する生きた証人であるからです。この国に住む,最高者の僕たちは,この生きた証人をもっていることを喜ぶことができます。
もう一つ励ましになることがあります。それは,年の終りに,クリスチャンとしての仕事をひそかになしとげることができたことです。伝道者たちは,『御国のよいたより』を宣べ伝えよというイエスの指示に従うことができ,しかも以前よりもっと平穏のうちにそれを行なうことができて,感謝しています。私たちは再訪問と聖書研究のわざに特に努力を集中しました。いくつかの巡回区は,この分野で非常によい結果を収め,ひとりの伝道者が一つ以上の家庭聖書研究という平均を出しています。兄弟たちが野外奉仕で得た多くの経験から一つをお話ししましょう。
ひとりの姉妹が年配のある御夫婦を訪問しました。それは3回目の訪問でした。家には娘さんがいました。その娘さんは学生だということでした。しばらくの間彼女は話されることを聞いていましたが,突然嘲笑的な態度で口をはさみました。「無神論の科学によると,神はありません。だれも見た者がいないからです。それに ― いったいだれが神をつくりましたか。そんなことについて話すのは時間の浪費です。」その姉妹はにっこり微笑して言いました。「神の存在を確信していなかったら,私もあなたの意見に同意しますでしょう。神を見ることができないということは,神が存在しないことを証明するものではありません。電気も無線電波も目には見えませんが,私たちはとにかくそれがあることは信じます。それらの影響によって,それに相当する証拠を見ることができ,それを理解することができるからです。しかし,キリスト教国の諸宗派が信じているような方法では,たとえば,神は愛であるといいながら同時に,神はある人々が,火の燃える地獄で永久に苦しむままにしておかれると言ったり,聖書も科学もそれが間違っていることを証明しているのに,神は地球を6日 ― 1日24時間 ― のうちに創造されたなどと言っていたのでは,神を信ずることができないのは当然です」というふうなことを話しました。
2,3回訪問しているうちに,反対は興味に変わり,娘さんも非常な進歩を見せて,いまではこの家で定期的な聖書研究が行なわれています。本は「神を真とすべし」を使っています。その娘さんの真理に関する知識はどんどん増して,両親よりもすすんでいます。そして,真の神エホバの存在と,聖書が真理の本であることを証明することができまた,そのことを無神論者,カトリック教徒,新教徒に示すことができるのをうれしく思っています。
5月には特赦が適用されて,兄弟たちの獄屋のとびらが開放されました。ほんとうに何年振かでほとんど全部の兄弟が家族のところに帰りました。
つぎに述べる経験は,宣教において即座に結果が表われなくても落胆すべきでないことをよく物語っています。私たちが伝道によってまく種は,何年ものちに芽を出すことがあります。ある伝道者は,年配の御夫婦と定期的に聖書の研究をしていました。ところがその御夫婦は重い病気にかかり,最初に御主人が,しばらくたって奥さんの方が,どちらも神の御国に対する希望を抱いて死にました。それで,そのアパートには若い御夫婦が住むようになりましたが,若い婦人は,重い病気にかかったために,ものを言うことができない人でした。その伝道者は,神の御国がもたらす祝福を告げるためにこの新しい家族を訪ねた時,預言者イザヤのつぎの言葉を引用しました。「こうして,見る者の目は開かれ,聞く者の耳はよく聞き…どもりの舌はたやすく,あざやかに語ることができる。」ものが言えないのでその若い婦人はもちろんこれについて意見を述べることはできませんでした。
3年が過ぎ去りました。ところが伝道者は,偶然その婦人にであいました。その時までに婦人は,再びものが言えるようになっていました。そして,3年まえに聞いた言葉を何回くりかえして自分に言い聞かせたか,神にもっと近づけるよう援助してくれる人に会うことをどんなに望んでいたかを喜びをこめて語りました。彼女の願いはかなえられました。エホバが彼女の心からの祈りを聞かれたからです。伝道者はその婦人と「神を真とすべし」を勉強しており,無神論者であった御主人も一緒に研究するようになりました。どちらも熱心に学んでおり,新世社会と交わることの幸福を味わっています。
ソ連
人々は党の機関紙を通して,エホバの証者が神のことを語る時,そのことを報告するように,また彼らの名前を告げるように言われています。そういう人々は聞いているようなふりをしながら,報告をつくって秘密警察に提出します。いく人かの兄弟が,そのような報告で逮捕されました。しかし神の民は話すことを決して止めません。彼らは,信仰によって義とされるが,口で公けに言い表わして救われるということをよく知っているからです。
兄弟たちに対する迫害からも,彼らの活動分野に対する猛烈な攻撃からも,共産主義者たちが期待したような成果はあがりませんでした。ソ連第3の大新聞「トラド」は「アメリカ人のボスたちの指令に従って行動する」この「反ソビエト宗派」が,依然としてアルハンゲルスクからウラル山脈に至るへんぴな北部コミ地方で活躍していることを認めています。