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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 8/15 483–487ページ

悪魔はほんとうに存在するか

悪い霊者の存在を信ずるのは根拠のあることですか。それともいわれのないことですか。

著名な論説記者デイビッド・ローレンスはかつてこう述べました。「地には平和 ― ほとんどだれもがそれを望んでいる。人には善意 ― 世界のほとんど全部の人が互いにそれを感じている。では一体どうしたのか。人々の内心の願いにもかかわらず,戦雲がたれ込めているのはなぜか」。

このような疑問は人々を考えさせます。平和に暮らすことが,正常な人すべての自然な願いであるのに,憎み合ったり殺し合ったりすることがなぜこうも行なわれているのですか。カナダの元外交官ヒュー・キーンレイサイド博士が何年か前に述べたようにそれは確かに矛盾しています。「われわれは,ふつうならば愛育し,やさしくし,喜びをもって接する女子供を何十万いや何百万人も焼き殺すことを平気で考えることができる」。

今日でも状態は変わっていません。戦争の犠牲者はいつでも見るも無残な仕打ちを受けます。文明人がそういう仕打ちをするのはいったいどうしたことですか。人々を駆って忌むべき行ないをさせ,あるいはそういった行ないもやむを得ないと考える事態に人々を陥れるのは,なんの力ですか。次のようなことをまじめに問うのは,決して的はずれのことではありません。見えない悪の力が人間に働きかけて暴力行為をさせていると言えますか。ほんとうに悪魔がいますか。

人間とはそういうものだと言って,この問いを棚あげにしてはなりません。平和を願うのがふつうの人間の願いなのです。それでこれは慎重な考慮に値する問題です。

現代的な見方

前世紀の末頃,唯物的な考えが盛んになったことは,悪魔に対する今日の多くの人の考え方に大きな影響を及ぼしています。アメリカナ百科事典(1955年)の「唯物論」の項によれば,「徹底的な唯物論は物質および物質の働き以外の存在を認めない」とされています。

この唯物的な見解は多くの分野で優勢になってきており,悪魔に関する多くの宗教指導者の信条にも影響を及ぼしています。宗教雑誌エターニティの1964年8月号に次のように出ていました。「すでに1世紀以上のあいだ,悪魔を信ずることはおとろえつつある……一般に新教の神学者は,人格的な存在としての聖書の悪魔を,崩壊した神話の部類に入れてしまった」。

悪魔に対する現代的な見方について,G・A・ガスケルの聖書および神話辞典(1960年)には次のように出ています。「我々が警戒しなければならない真の悪魔は人間の内部にあり,人間の心の中にいつも存在している。それは人間の性質の中の動物的な部分である」。

大英百科事典(1966年)の「悪魔」の項をみても次のように出ています。「現代の自由主義的な新教主義においては,人格を持つ悪魔を信ずる必要を否定し,聖書その他に出てくる悪魔を悪の本質の人格化と見る傾向がある」。

それではほんとうの悪魔を信ずるよりも「人間の性質の動物的な部分」あるいは「悪の本質」を悪魔と見ることが盛んになっています。悪魔が見えない生き物,霊者であるという考えは,昔と違って今では一般に受け入れられていません。このように見方が変化した原因はどこにありますか。それは正しいことですか。

悪魔の存在が否定された理由

エドワード・ラングトンは「サタン・ア・ポートレイト」の中で悪魔に関する歴史的な信条を述べ,中世の修道僧の文書に表われた悪魔について次のように興味深いことをしるしています。「宗教的な想像がたくましくされ,病的あるいは緊張した心の生み出す幻や幻覚が客観的な現実として受け取られた」。

こうして時のたつうちに,悪魔に関するばかげた迷信的な考えが多くの宗教的な人に受け入れられるようになったのです。今日でさえ悪魔は角と尾を生やし,三つまたを手に持ち,ぴったりした赤い服を着た姿で描かれるのがならわしとなっています。多くの人が悪魔の存在を信じない理由の一つが,このようにばかげた,まちがった考えにあることは疑いありません。

しかしこれらのまちがった考えは聖書から出たものではありません。それにもかかわらず,前世紀の後半において,聖書の教えは唯物論的な考えを主唱する人々によって攻撃されました。とくにこれが原因となって悪魔の存在が否定されるようになってきたことは,大英百科事典第11版(1910-1911年)「悪魔」の項にしるされた次のことばからもわかります。

「サタンを信ずることは,キリスト教の信仰の要諦とは一般に見なされていない。このことはほぼ確言できよう……聖書の霊感に関する現代の見解からすれば,この問題に関する聖書の教えを絶対に正しいものとして受けれることは必ずしも必要ではない。このことに関するイエスの教えも,当時の人々の考え方を容れたものとして説明されるか,あるいはもっとあり得べきこととして,知識の不足を証拠だてるものとして説明される。それは化身の一つの要件であった……」。

それで聖書を文字どおりに真実のものとしては受け入れない“現代的な見解”影響されて,多くの人は人格を持つ者としての悪魔に関する聖書の教えを退けるようになりました。(マタイ 25:41。ルカ 4:1-8。ヨハネ 8:44)宗教指導者でさえ,イエスが悪魔のことを述べたのは知識の不足によるものであると教えはじめました。あるいは生ける実在としての悪魔をご自身では信じなかったイエスも,当時のユダヤで行なわれていた考えと物の言い方を容れたのであると主張されています。

しかし人格的な悪魔の存在を否定する説は納得できるものですか。人間同志がおそろしい仕打ちをすることの説明になりますか。

唯物論的な見方は納得するに足りない

人間は低い動物から進化したという唯物論的な説が,多くの宗教家によってさえ,答えとしてとりあげられました。人間は過去の動物的なものを今なお持っており,そのために戦争をして他の人間を苦しめたり,殺したりするのであると説明されました。また進化をつづけるにつれて,この狂暴さはいつか人間から除かれるとも主張されています。悪魔に関する人間の信条を述べた本の結論にエドワード・ラングトンは次のことを述べています。

「学者は彼らの信条の体系から独断的かつ無遠慮に〔悪魔を〕を追放した。彼らは悪魔をぴしゃりと閉め出して戸に錠をおろし,悪魔を入れないようにした。サタンは昔の迷信の名残りであると,彼らは結論したのである。理性と常識の明らかな光に照らして,サタンの影は永久に薄らいでしまった。明白な事実を言えば,人間は動物から出たものである……しかし文明の力ー教育,文化,知識の普及の及ぼす感化によって,人間はサル,トラ,オオカミをあとに残し,我々は遂に完全な人間を見るであろう。それまで人間は世代を経るごとに向上している」。

しかしこの説明は全く不満足なものです。人類は向上するどころか,かつてなかったほど堕落しています。第一次世界大戦には,人間を窒息させ,焼き殺す悪魔的な毒ガスが使われ,また殺したり不具にしたりする他の新兵器が登場しました。しかしそれは恐るべき兵器の序の口にすぎません。残酷さから言えば,それに輪をかけたものが,その後に出現しています。火炎放射機,強制収容所,ガス室,何百万人に上るユダヤ人の虐殺,原爆,ナパーム爆弾,水爆を考えてごらんなさい。

各世代が向上するどころか,道徳や行為の水準の低下がこれほど大規模に見られたことはかってありません。このような悪の行なわれたことが偶然であると思われますか。平和や幸福を望んでいる人間が,自分自身の考えでこのような悪を人間に対してすることができるでしょうか。人間が人間に対してたくらんでいること,苦しめたり殺したりしようとするたくらみは,人間が獣に劣ることを示しています。

それで全く唯物的な考えに敷かれてはなりません。今世紀の最も偉大な科学者のひとりに数えられる故ロバート・ミリカン博士も,次のような示唆に富むことばを述べたことがあります。「純粋に唯物的な哲学は,わたしにとっては無知の最も甚しいものである」。a 目に見える生きものが生命の最高の形態であると思うのは,全く理にあいません。理に合った考え方からすれば目に見えない霊者が存在し,人間に強力な影響を及ぼしているという事実が浮かびあがってきます。

聖書的な説明

聖書もその事実を指摘しています。ゆえに見えない霊者のことを述べている聖書は非科学的でなく,ばかげてもいません。「神は霊である」と聖書に説明されています。(ヨハネ 4:24)また神は天使を霊者に造られたとも述べられています。(ヘブル 1:7)天使は実在の生けるものです。それで悪魔も霊者です。

「しかし神がすべての霊者を造ったのであれば,なぜそのひとりを悪魔にしたのか」と問う人がいるかもしれません。実を言えば神がそのようにされたことはありません。神はすべての霊者を完全に造られたのです。しかしそのひとりはみずから悪魔になりました。その霊者はみずからの悪い欲望のために堕落したのです。完全な被造物でさえも悪くなることがある道すじは,聖書に次のように説明されています。「人が誘惑に陥るのは,それぞれ,欲に引かれ,さそわれるからである。欲がはらんで罪を生(む)」― ヤコブ 1:14,15。

大きな力を持つこの霊者がいだいた悪い欲望は,他の被造物から崇拝を受けることでした。それは創造者エホバ神のみが受けるに値するものです。彼は,エデンの園の特定の木の実を食べることに関して神が言われたことを偽わって伝え,最初の二人の人間を自分に仕えさせることに成功しました。彼はこうして中傷する者すなわち「悪魔」になったのです。彼はまた聖書の中で「サタン」「竜」「年を経たへび」とも呼ばれています。時がたつうちに他の霊者もサタンに加わって神に反逆し,悪霊となりました。―創世 3:1-6。黙示 12:9。マルコ 3:22。

「しかし神はなぜ悪魔と,悪魔に惑わされて神の律法を破った二人の人間を直ちに滅ぼさなかったのですか」と尋ねる人がいるかもしれません。エホバ神はあえてそのことをされませんでした。反逆によって論争が生じたのです。その中には次の問題も含まれています。悪魔はすべての被造物を神からひき離すことに成功しますか。アダムとエバは子孫を生み出すことを許されました。それは彼らの子孫の中の忠実な者たちが忠節な行ないによって創造者の正しいことを立証し,悪魔の偽り者であることを証明するためです。それで神はこの論争を解決するに必要な時間的な猶予を与えました。―ヨブ記 1,2章。

その間にサタン悪魔は人類の上に見えない力を及ぼしてきました。ほとんどすべての人が地に平和を望んでいるのに,人間が互いに戦い,何百万人の殺りくを行なっているのは,悪魔のせいです。世界のほとんどすべての人が互いに善意をいだいているのに,永続する平和を実現しようとする努力がことごとく無に帰しているのは,悪魔の及ぼしている悪い影響のためです。

悪魔は「この世の君」であると聖書に説明されています。また「この世の神」とも呼ばれています。(ヨハネ 12:31。コリント第二 4:4)聖書のこれらのことばの真実は全く明白です。人間の歴史は,人間の支配者の背後に,汚れた悪の力があって言語に絶した恐ろしい行為に彼らをかりたてていることを示しています。

しかし次のような疑問が心に浮かぶかもしれません。唯物論的な考えの人に言わせれば世代を経るごとに向上が見られるはずなのに,今日,人間関係が今までになく悪化しているのはなぜか。不法の増加がこれほどひろがり,多くの都市では夜間の外出が危険にさえなっているのはなぜか。聖書はそのわけも述べています。

悪魔の時は短い

聖書が明らかにしているところによれば,わたしたちは現存する事物の制度の終わりの時に臨んでいます。聖書の預言と,その成就となる出来事とに照らしてみる時,神の御子イエス・キリストは権を執り,敵の只中で治めはじめられたことがわかります。(詩 110:1,2)聖書に示されているように,サタンはキリストによって決定的な敗北をこうむりました。それはこの時代に起こったことです。聖書はそのことを次のように説明しています。

「この巨大な竜,すなわち,悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへびは,地に投げ落された……それゆえに,天とその中に住む者たちよ,大いに喜べ。しかし,地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもって,おまえたちのところに下ってきたからである」― 黙示 12:9,12。

第一次世界大戦以来,不法が著しく増加したわけもこれでわかります。サタン悪魔が天を追われ,今や人類を破壊の淵に沈めようとやっきになっています。確かにわたしたちは,聖書の述べている短い災いの時期に遭遇しているのです。ゆえに悪魔によって破壊に陥れられるのを防ぐため,全力をつくすことが肝要です。

まず肝要なのは,悪魔の実在を認め,悪魔と悪霊は目に見えない,しかし現実の敵であるという事実を知ることです。(エペソ 6:12)また人々を惑わす悪魔の手だてを知ることも重要です。悪魔は狡猾です。「サタンも光の天使に擬装する」と聖書に述べられています。(コリント第二 11:14)人々を欺くその手だては罪のないものに見えることがあります。すでに見たように,悪魔は宗教指導者をさえ用いて,悪魔が存在しないということを人々に信じ込ませています。

ゆえに宗教指導者から離れてください。彼らはますます聖書を神話と見るようになっています。知識を得て身の守りとしてください。調べて知ってください。聖書を真実のものとしている人々の助けを得て聖書を学んでください。エホバの証人は喜んでご援助します。そして聖書の次の警告に是非とも注意を払ってください。「身を慎み,目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が,ほえたけるししのように,食いつくすべきものを求めて歩き回っている」― ペテロ第一 5:8。

[脚注]

a 1948年4月30日付ニューヨーク・タイムズ

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