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  • 『すべての国の民への証言』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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  • トルコ
  • ソビエト社会主義共和国連邦
  • アラブ連合
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 6/15 374–376ページ

『すべての国の民への証言』

エホバの証人の1968年度年鑑より

困難な状況下で働く

トルコ

最高の神に献身した人は皆,ここにわたしがおります,わたしをおつかわしくださいと言いました。これは口先だけのことばではなく深い意味を持つものであり,献身したしもべ各人はこのことばにふさわしく生きなければなりません。献身した時からこのことばをじゅうぶんに認識していたひとりの兄弟は次のように書いています。「献身した時からわたしは,エホバ神に全時間仕えることを理想と考えていました。そこで開拓者になる決心をしたのです。しかし全時間奉仕者の目標を達成できるかどうか不安でした。わたしは休暇開拓奉仕を2回したことがありますが,時間を達成できなかったのです。それで開拓奉仕を始めるのに不安を感じました。しかし仕事を再度,整理し,1年の間エホバの助けを祈り求めていました。そしてふたたびこの奉仕を申し込みました。開拓者になって8か月になりますが,その間ずっと目標を達成し,時には目標を越えることもあります。いま実現したことも,8か月前には夢としか思えなかったのです。生涯,全時間奉仕を続けられると思うと,とても幸福です」。

新しい人の示す専心の献身は,長いあいだ献身したしもべであってもなお弱い人々にとって大きな励みとなります。次に述べるのはそのことを示す経験です。長いあいだ真理にあるのにあまり進歩しない2人の兄弟は,援助や励ましにもかかわらず野外奉仕に不定期となりました。「わたしたちの仕事はとても難しくて,あなたがたには想像もできない」というのが,2人のおきまりの返事でした。彼らの店で全く同じ仕事をしている若い男の人がいます。彼はそれがどんな仕事かを知っており,また正しい考え方をすれば,道が開かれることを知っていました。この人はある伝道者と勉強を始めて良い進歩を見せました。勉強を始めて二,三か月後に,ラマザンと呼ばれる回教の断食の時期になりましたが,この人は真理をかなり理解していたので,それに一致した行動をしました。しかし断食が終わって人々がごちそうを食べる時に,田舎の両親を訪問することに決めていました。そのことを両親に書き送ったあとで聖書の講演会に招待された彼は,認識をすでに深めていたので講演に出席することをためらわず訪問を延期しました。彼はこの集会で初めて注解を述べ,以来ずっと聖書を学ぶ集会に出席しています。そのうちに彼は結婚しましたが,熱意と良い手本を示した結果,回教徒の妻と聖書の勉強を始めることができました。2人は良く進歩しており,同じ信仰を持つ人との交わりを欠かしたことがありません。彼は機会のあり次第バプテスマを受けたい希望さえ表明しています。また以前と同じ仕事ですが,独立して店を持ちました。しかし世俗の仕事を言いわけにして,神に対する責務をなおざりにするようなことはありません。これを見た2人の兄弟は感銘を受け,奉仕に熱心になったばかりでなく,世俗の仕事を言いわけにしなくなりました。そして進歩することに努めています。

ソビエト社会主義共和国連邦

ソ連邦の兄弟たちは,昨年もわざに成功を収めました。その多くは未伝道の新しい土地に行き,神のことばの真理に耳を傾ける大ぜいの人を見いだしています。彼らは次のように伝えてきました。「この国の困難な状態の下にあっても,福音を伝える責任があることを認識しています。わたしたちは,悪魔の挑戦がひき起こした論争とその結果を心にとめています。すなわち真の崇拝とエホバへの奉仕が絶えず攻撃されるのもそのためであり,不法の子らのうちに今も働く悪霊によって残酷な迫害と圧迫がひきおこされています」。

無神論者辞典が昨年モスクワで出版されました。エホバの証人の項には500字に及ぶかなりの分量があてられていますが,エホバの証人はソ連の人々の士気を低下させる,西欧帝国主義者の手先であるとはもはや述べられていず,エホバの証人はソ連のみならずブルジョア諸国においても,社会の指弾をこうむっていると述べています。これから見ても,全世界におけるエホバの証人のゆるがない中立の立場はソ連の指導者の目にもとまったようです。彼らは,エホバの証人が東西を問わず世の一部でないことを認めました。

2年前にシベリアのあるところで24人のバプテストのグループ全員が真理にはいり,その指導者もバプテスマを受けました。御国伝道者となったこの人は,未伝道の区域が多いある大都市に移り,そこで15人の新しい人,そして間もなくさらに10人の新しい人がバプテスマを受けました。それでこの有望な土地には,いま25人の新しい伝道者がいます。

神の民と交わる時に直面する困難や危険に加えて,個人的な問題も起こりがちです。しかしこれらの問題を克服するのに必要な力が神のことばから与えられるのを見ると,勇気づけられます。2人の子供を持つ若い夫婦がいくらか関心を示しました。しばらくして夫は無関心になり,妻が良い進歩を見せました。エホバの証人が酒に酔わず,ぶらぶらして時をすごすことをしないのを好まなかった夫は,ある日,伝道者が帰ったあとで大騒ぎをしました。彼は消極的な見方をするようになり,酔って帰宅しては妻をたたきました。彼女は身ごもっていましたが,中絶に同意しませんでした。夫は収入の大半を飲んでしまい,生活にも事欠くありさまでしたが,彼女はこのつらい経験から古い世と新しい秩序との相違を明白に見ていっそう信仰を強くしました。そして献身してバプテスマを受けたのです。夫の反対のため定期的には集会に出られませんが隠してある勉強道具を,夫が勤めに出ている間に取り出して勉強したり,訪問する姉妹たちと話をしたりできます。彼女はひとりの婦人と聖書研究を始めました。

2人の若い姉妹は,福音が伝えられたことのない都市で伝道を始めました。公園でひとりの婦人に話しかけたところ,彼女は驚いてこう言いました,「なんという驚くべきことなのでしょう! それに若い人がこんなふうに語るのを聞くのは初めてです」。そして自分の住所を教えました。2人の姉妹がこの婦人の家を訪問すると,その肉身の兄弟にも真理を学ぶ気持ちのあることがわかりました。いまこの家では,家庭聖書研究がよく行なわれており,この都市における最初の足がかりが得られました。

長い刑期に服している兄弟でさえも内攻的になりません。彼らは自分をあわれんだりせず,エホバを喜ぶことにあずかっています。そのひとりは刑務所の外にいる人々に励みとなる手紙を書き,中でも次のように述べています。「わたしたちは偶像,偽りの神々の崇拝者に満ちた世になお住んでいます。そして神の義が行なわれる時まで,そのことは続くでしょう。神の戒めを守るのをやめることはできません。またわたしたちは,神と和解する道を開かれたイエスを信じます。古い世から受ける仕打ちのゆえにどんな結果が身に及ぼうとも,わたしたちはエホバ神に従います……あらゆる試練に打ち勝ってエホバ神に忠実を保ち,イエス・キリストをとおしてエホバ神から永遠の生命を得るために生涯,神を賛めるのは大きな特権です。古い世に対する最後の勝利が得られ,新しい事物の制度を迎えるまで信仰を守り,忍耐されるように祈ります。エホバが皆さんと共にいまして祝福してくださるように」。

アラブ連合

愛の父エホバは御言と約束にたがわず,エジプトの兄弟たちを長年のあいだ強めてこられました。それはこの年の間,彼らに臨んだ激しい迫害や他の試練に備えるものとなりました。かいつまんで言うと,福音の伝道が禁止されたことは2度(1960年と1964年)ありますが,清い崇拝にとって事態が非常に困難になり,残酷な迫害やエホバの証人の大量投獄が起きたのは,1967年が初めてでした。

11月以降,会衆の組織されている都市の大多数において,官憲の前に呼び出された兄弟,姉妹たちは100人以上に上ります。関心を持つ人々のグループの研究と,建てられた神の国の宣明をやめさせるためにおどすのが,その目的でした。しかし意図されたのとは反対の結果が生じています。関心を持つ人の数は増加し,その活動は増大しました。そこで「上にある権威」は,偽りの宗教の指導者から絶えず働きかけられながら,逮捕をつづけ,また拘留した者たちを手ひどく扱っています。そのためにわざはやみましたか。そうではありません。それはイエスのことばどおり,官憲また一般の人に対してさらに証言が行なわれる結果となりました。「人々はあなたがたに手をかけて迫害をし,会堂や獄に引き渡し,わたしの名のゆえに,王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは,あなたがたがあかしをする機会となるであろう」― ルカ 21:12,13。

大きな事件は,3月25日の記念式の時に初めて起きました。ある家で主イエス・キリストの死を記念していた平和な男女子供15人が,秘密警察により逮捕され,彼らの持っていた,あるいは家にあった宗教文書,写真,通信物が押収されました。それは彼らを罪に定め,シオン主義者であることを証明するためです。15人のうち11人は13日間,拘留され,指導者と目された4人はなお投獄されています。彼らはまた残酷な仕打ちを受けました。

その後,エホバの証人であるというだけの理由で2組の夫婦が逮捕されています。6月5日にアラブ-イスラエル戦争が勃発すると,迫害は激化しました。官憲は多くの都市で怒りを爆発させ,約20軒の兄弟たちの家に行って18歳以上の兄弟をいっせいに逮捕し,投獄しました。これらの兄弟たちおよび記念式の時に逮捕された4人は,この報告を書いている現在,まだ釈放されていません。

証言のわざを沈黙させようと努めている当局は,エジプトにおける協会の伝道活動の発展に最も責任があり,また最も活動的と思われるヨーロッパ人の兄弟の一部を追放しました。

4月と5月には,アラビア語の2つの週刊誌アル・ムサワールとサバ・エル・ケール誌にエホバの証人に反対する5頁から8頁の記事がそれぞれ掲載され,またアル・アラム,アル・ゴウモウリア,アル・イサの日刊紙にも同様な2つの記事が出ました。これらには逮捕された人々やまだ逮捕されていない人の名前や写真がのせられています。これはエホバの証人をシオン主義者また国家の安全を危険にする者としてあやまり伝え,大量逮捕を正当化し,終極的には,エホバの証人を家に入れないように一般の人を説得することです。しかしそれは成功しましたか。次の経験はそれを明らかにしています。

激しい迫害が始まってのちにエホバの証人と接した人の中には,かつてなかったほどエホバの証人の見解を熱心に聞きたがっている人がかなりいます。コプト派の一牧師の指示によってその一部が書かれたアル・ムサワール誌の記事を読んで,エホバの証人のほうに真理があるのを確信したと語った人もいました。この牧師は物質主義者として知られており,強要の疑いで最近,裁判を受け,投獄されそうになったことがあるからです。

この記事についてひとりの兄弟は次のように報告しています。「わたしは,『神を真とすべし』を使って,関心を持つ人と聖書研究をしています。いつも勉強する部屋にはいると,テーブルの上には聖書と研究の本のほかに,エホバの証人を攻撃した雑誌と新聞がおいてありました。雑誌の記事のことでエホバの証人を非難し,勉強をつづけることを断わるものと思っていると,案に相違してその人はこう語りました,「以前はこの研究のことでどうすべきかに迷っていましたが,牧師の中傷を読んでからというもの,わたしもバプテスマを受けて真にエホバの証人になることを決心しました」。それで牧師の中傷は,意図したこととは反対に,ひとりの人がエホバの御国の側に立つという結果を招きました」。

以上から明らかなように,わたしたちの同労者は以前も今も激しい迫害や困難に遭遇しながらも,エホバの御名をほめることをやめていません。それで,すすんで,あるいは追放されてやむなく国を去った人がかなりあり,また妥協した人もいくらかありますが,兄弟たちの人数は昨年とほとんど同じです。もっとも正確な報告を得ることは困難な事情の下にあります。わたしたちはエホバの助けによって,みずからの立場を堅く守るのみならず,この国に残された「他の羊」を集めることを望んでいます。

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