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  • 反対に直面しても勇気を持つ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 4/15 230–231ページ

反対に直面しても勇気を持つ

創造者を崇拝することが法律で禁じられている国に住んでいるとしたら,あなたはどんな気持ちがしますか。自分の信仰のためにはっきりと大胆に話すでしょうか。良い判断をきかせるにしても,危険を伴う手段を講じてまで,自分がいだいている聖書に基づく希望の理由を人々に話しますか。(ペテロ前 3:15)それとも,自由を失うかもしれない事態に直面して,それを否定するでしょうか。確かに,真理であると自分が知っている事柄を擁護するのは勇気のいることです。ここ数か月間に,エホバのクリスチャン証人の多くは,そうした勇気を表わしてきました。

勇気を保ったために豊かに報われた,西アフリカでの経験

◆ アフリカに住む,あるエホバのクリスチャン証人は,以前に聖書に関心を示した人々を訪問している時,ひとりの婦人が警官のそばに立っているのに気づきました,突然その婦人は大声でこう叫びました。『ちょっと,エホバの証人さん,カバンはどこへ置いてきたの。みんなに伝道しようと,ポケットに小さな本を入れて,こっそり歩きまわっているんでしょう?』。その証人は恐れずに婦人と警官に近づき,彼女にこう尋ねました。『エホバの証人が禁止されていることとカバンとどんな関係があるのですか。わたしたちの業が禁止される以前,戸別に話したのはカバンでしたか,それとも,エホバの証人の口でしたか』。

『エホバの証人の業は禁止されましたが,彼らは今だに口頭で伝道していることを,わたしたちはよく知っています』と警官は言いました。そのことばを聞いて,婦人は証人を警官にまかせて,自分の家にはいってしまいました。

証人はそこで,次のような質問をしました。『もしあなたが警察署長から任務を与えられた後,軍隊の役人がやって来て,あなたに何かほかのことを無理にさせようとしたなら,どうしますか』。『わたしは警察署長から与えられた仕事をやめるわけにはゆきません。わたしは警察のために働いているのであって,軍隊のために働いているのではありません』とその警官は答えました。

その返事にあわせて,証人は,自分がエホバのクリスチャン証人として今行なっているわざは,神のみ子イエス・キリストによって命じられていると説明しました。また,大災害がすべての国々に迫っているので,そのわざは重要であり,隣人が救われるようクリスチャンとして,彼らに語らざるを得ないと説明しました。そして,邪悪な者は立ったままでさえ滅びることを示している聖書の預言のことを話しました。共和国の大統領がエホバの証人のわざを禁じたというだけで,伝道をやめるわけにはいかないし,たとえ今やめたとしても,大統領はわたしに永遠の命という報いを与えうるだろうかと指摘しました。

感銘を受けたその警官は,どうすれば聖書を手にいれることができるかを尋ねました。証人はただちに近くのプロテスタントの牧師のもとへ行き,警官からあずかった金で聖書を買いました。証人が戻ると,警官は,邪悪な者が立ったままで滅びることが聖書のどこに出ているかを知りたいと思いました。証人は聖書のゼカリヤ書 14章12節を開きました。警官はその聖句を自分で読み,びっくりしました。

ついで証人は,「あなたが今お読みになった聖書はエホバの証人のものですか」と尋ねました。「いいえ」と警官は答えました。証人はさらに,「教会で牧師はこの聖書を持ち,あなたがたに説教しているのですから,そのことを教会員に教えたことがあるのではありませんか」と質問しました。警官は再び「いいえ」と答えました。証人は,エホバの証人は聖書を教えるがゆえに全世界で迫害されていることを指摘しました。警官はそのことばに心を動かされ,自分もイエスのために働くことはできないだろうかと誠意をこめて尋ねました。

聖書研究の取り決めが設けられました。3か月後,その警官は,エホバのクリスチャン証人が催している集会に出席しはじめ,今では,聖書の真理を他の人々に宣明しています。

◆ 同じ国で,男子看護員がエホバの証人と聖書を研究しはじめました。その人はたいへん強い関心を持っていたので,1週間に何度も研究したいと思いました。ところが,わずか2週間研究しただけで,120㌔離れた,エホバの証人のひとりもいない土地へ転勤になりました。それにもかかわらず,その人は聖書の真理に対する感謝に動かされて,エホバのクリスチャン証人に対する禁令をものともせず,戸別の伝道をするようになりました。だれかが新興宗教をしているというニュースがいたるとこに広まりました。そのことが副長官の耳にまで達すると,副長官は彼を自分の事務所に呼び,君は看護員として国家の文官なのだから,非合法なわざに携わる権利がないと助言しました。

その人は,自分の行なっているわざは重要であり,神がその創始者であると穏やかに答えました。どんな状況下にあっても活動をやめようとは思わないともいいました。

その人の恐れを知らない態度に腹を立てた副長官は,彼を非難する長文の報告を上司に送りました。どんな結果になりましたか。その看護員ではなくて,副長官が転任になりました。そして看護員は,エホバのクリスチャン証人の,旅行する一監督奉仕者の訪問中,夜ふけにバプテスマを受けました。

家族の反対にもかかわらず忍耐を示す

◆ エホバ神を崇拝することが法律で禁じられている土地で,エホバ神に忠実を保つのは,激しい家族の反対がある場合はとりわけ容易なことではありません。ハンガリーのある村に住む,4人の実の姉妹の経験を次に紹介します。そのうちの3人はエホバのクリスチャン証人でした。残りのひとりはエホバの音信に真の関心を持っていましたが,彼女の夫の親族は強いカトリック教徒でした。

その夫が親族を訪問すると,彼らはきまって,エホバの証人に反対するよう彼をそそのかしました。ある時そうした訪問から帰った夫は,妻に,りっぱなカトリックの宗教を捨てた家族の一員と結婚している恥辱にもはや耐えられないと言いました。別の時,夫はポケットからひもを取り出して,自殺するとおどしました。また他の機会にしばしばほとんど妻の首を絞めんばかりにして,その宗教をやめろと命じました。そうした困難な状態は2年間続きました。

その期間中ずっと,家にいた姉妹たちはクリスチャン愛と忍耐をあらわすよう努力しました。くり返し拒絶されたにもかかわらず,彼女たちはその人に聖書の音信を伝えようとしました。そして,自分たちの忍耐と愛が実を結ぶよう,引き続き祈りました。

ある晩,その人は両親のところへ行って帰って来ましたが,エホバの証人に対してすっかり激怒していました。彼は手に包丁を持ち,妻と幼い娘のベッドにおおいかぶさるようにして立つと,『さあ,家族みんなで死ぬ時が来た』と言いました。『エホバがお許しになるのでしたら,あなたの思いどうりにしてください。でも,わたしたちは真の崇拝を捨てません』と彼の妻は穏やかに答えました。その時他の姉妹たちがはいって来て,声を出して祈り,助けを求めてエホバの名を呼びはじめました。すると,その人は包丁をにぎっていた手をゆっくりとおろしました。しばらくして彼は,静かに話しはじめました。そして,自分がそのような行動に出た理由が説明できないと言いながら,起きた事に対して後悔の念を表わしました。

その後まもなく,夫はしばらくの間他の土地へ行かねばならなくなりました。彼はしばしば妻に手紙を書き,許しを求め,帰宅したら新しい生活をはじめることを約束しました。彼の約束はうそではありませんでした。その人は聖書の研究を始め,やがて妻とともにバプテスマを受けました。現在彼はかつて自分が激しく反対していた生活の仕方が真の崇拝であることを,他の人々が認識するのを助けています。

聖書の真理を受け入れるには勇気が必要

◆ 正義を深く愛している人は,逆境に陥ることが予想されても聖書の真理の側に立つことができます。一例として,東ドイツの一技師の場合があります。共産党のある集会でその人は脱党する意向を仲間の党員に話しました。その理由を問われて,勇敢にも,エホバの証人になるつもりだと答えました。そのことばに,有力な一幹部は飛び上がり,『君は地域局の前でそのことをもう一度言わねばならないだろう。ぼくがそのように取り計らうからな』と叫びました。

警察隊よりも大きな権限を持つ,共産党の組織である地域局の党大会の日が来ました。しかし,技師とその家族はどんなことがあっても新しい生活の仕方を続けることを決意していました。大会場で,技師は,自分に反対した男の人に会いませんでした。そのことを隣りの人に尋ねると,『あなたは知らないのですか。彼は来ませんよ。気が狂って,きのう精神病院に入れられたんです』と言われました。技師は,不幸な事態に陥るかもしれないという圧迫に屈しなかったことをたいへん喜びました。

確かに,エホバ神の側に立つ人々は祝福を受ける立ち場にあります。常に事態が逆転するとは限りませんが,彼らは,宇宙の至高の主権者に対する忠実を証明したことを知って,深い満足を得ます。しかもエホバは受けた苦しみが無に等しく思えるほど豊かな報いをそれらの人に与えることのできるかたです。天の報いに関して,パウロは次のように書きしるしています。「今の時期の苦しみは,わたしたちの中に表わされようとしている栄光に比べれば,何ほどのこともないとわたしは考えます」― ロマ 8:18,新。

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