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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 11/15 703–704ページ

読者からの質問

● 箴言 8章22-31節の「知恵」に関する記述は,本当に神の子イエスに当てはまるのですか。

ヘブライ語聖書だけしか受け入れない人やイエス・キリストを信じない人は大抵,箴言 8章22-31節を擬人化された知恵に比喩的な仕方で当てはまるにすぎないものと説明します。しかし,この聖句をそのように当てはめることは,神について知られている事柄と調和しません。その上,箴言を含めて聖書全体は神の霊感を受けたものであるという道理にかなった見解を受け入れるなら,箴言に記されているこの「知恵」に関する記述が,聖書の他の箇所で神のみ子について述べられている事柄と合致していることに気付きます。箴言には次のように書かれています。

『エホバいにしえそのみわざをなしそめたまえる前にその道の始めとして我をつくりたまいき……山いまださだめられず丘いまだあらざりし前に我すでに生まれたり……かれ天をつくり……たまいしとき我かしこにありき……我はその傍らにありて〔熟達した働き手,新〕となり 日々に喜び 常にその前に楽しみ……また世の人を喜べり』― 箴 8:22-31。

この聖句をメシアとしてのイエスに適用することを拒むユダヤ人の聖書注釈者たちは,この聖句は文字通り知恵を擬人化しているにすぎない,と考えるのが常です。ゆえに,W・グンター・プラウトは,自著“箴言の書 ― その注釈”の中で,これらの聖句は「単に比喩的な仕方で擬人化された」知恵に当てはまる,と語っています。しかし,この聖句が神の知恵や抽象的な知恵そのものについて語っているはずはありません。なぜですか。ここに描写されている「知恵」は,エホバの道の初めとして“創造された”もしくは『つくられた』(ヘブライ語,カーナー)a からです。聖書は,エホバ神は常に存在しておられたという点を明らかにしています。(詩 90:2。テモテ第一 1:17)神は永遠であり,常に知恵に満ちておられたのですから,その知恵は常に存在していたことになります。それは,創造されたのでも,つくられたのでもなく,また『生み出された』のでもありません。(ヨブ 9:2,4; 12:9,13; 28:20,23。ローマ 11:33-36)知恵は,それを保持し,それを反映する理知的存在者なしには実在し得ません。したがってここで言う「知恵」は,『神の道の始め』として創造された何者かを表わすために擬人化されたものであるに違いありません。

これらの句が明白に指し示しているのはだれなのかという点を理解する上で,クリスチャン・ギリシャ語聖書は助けになります。クリスチャン・ギリシャ語聖書は,メシアは人間となる以前から,神のみ子として天でエホバとともに存在していたという事実を繰り返し証ししています。(ヨハネ 17:5; 6:62)人間となる以前に,その者はエホバ神と共に働き,他のあらゆるものを創造しました。ヨハネ 1章3節は,その者について次のように述べています。「すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない」。―コロサイ 1:15,16と比較。

神のみ子が,創造された「知恵」として描かれているのは,理解し難いことではありません。ユダヤ人が長い間待ちこがれていたメシアが果たす役割をも含む,エホバの知恵に満ちた目的は,み子を通して明らかにされました。使徒パウロは,イエスについてこう語りました。「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」。(コロサイ 2:3)ソロモン王は,神から与えられた知恵のゆえによく知られていますが,イエスは「ソロモン以上の者」でした。(列王上 4:30-34。マタイ 12:42)イエス・キリストを受け入れて,信仰を働かせた人は,イエスがまさに「神の力また神の知恵」であることを悟りました。―コリント第一 1:24,30。

このように,とこしえの知恵に満ちる神についてわたしたちの知る事柄やクリスチャン・ギリシャ語聖書中のイエスに関する情報は,ともに,箴言 8章22-31節の聖句を,メシアになった神のみ子に当てはめるのが正しいことを明らかにしています。箴言のこの句は,人類に対する喜びゆえに,自ら贖いの犠牲として死ぬことさえいとわなかった方の起源と活動に関する事実に驚くほどよく当てはまります。―テモテ第一 2:5,6。ヨハネ 3:16。

[脚注]

a 過去において,三位一体の教理を奉ずる聖書注釈者や翻訳者たちは,この場合のカーナーという語を「所有していた」と訳出すべきであると論じました。カーナーは,「取得する(所有する)」という意味にも,「つくる」という意味にも取ることができます。(創世 4:1。申命 32:6。詩 139:13。ネヘミヤ 5:16)しかし聖書学者は,この場合,文脈からして,「つくられた」もしくは「創造された」と訳出するほうがよいことを認めています。それは,24,25節で,「知恵」は『生み出された』と述べられているからです。こうした訳し方は,ギリシャ語七十人訳,シリア語ペシタ訳およびタルグム(アラム語部分訳)によっても裏付けられています。そのため,現在では,カトリック・エルサレム訳聖書など,三位一体説を奉じる人々による聖書翻訳でさえ,『つくられた」もしくは“創造された”という訳語を用いています。

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