あなたは信仰の大いなる競争に参加されていますか
「信仰のりっぱな戦いをたたかい,永遠の命をしっかり捕えなさい」― テモテ前 6:12,新。
1 キリスト教を信じると唱える幾億の人々に関して,どんな時宜にかなった質問が提出されていますか。
今日,キリスト教を奉じると唱える人は,9億2,427万4,000人いると推定されています。そうした人々の大多数は信仰の大いなる競争をしている,とあなたはお考えになりますか。彼らは永遠の命を捕えていますか。それとも,キリスト教世界の人々の大多数は,自分の今の命が進化を通して得られたと信じている,とあなたは考えておられますか。キリスト教世界の学校の多くは,聖書の述べる,神による創造ではなく,進化論を教えています。あなたは,どちらの教えに賛成ですか。
2 キリスト教世界の諸宗派の制度に属する多くの人々は,キリスト・イエス,および創造や洪水の記述をどのようにみていますか。
2 キリスト教世界の諸宗派の制度では,イエスがキリスト教の創始者であったことは一般に理解されていますが,多くのいわゆる近代主義者や,信仰のほとんどない人は,イエス・キリストを死からのあがない主として受け入れません。彼らはイエスを,非常にりっぱな哲学者,多くの良い事柄を教え,模範的な生活を送った,一個の普通の人間とみなします。しかし,イエスが処女マリアから生まれた神のみ子であるとか,全人類のためにあがないの価を備えたとかいうことになると,彼らはもうついてこようとはしません。それに,神によるアダムとエバの創造や,ノアとその箱舟についてもそうです。よほどの信仰がなければ,とてもそんなことは信じられないと,あなたもお考えですか。
3,4 (イ)洪水の記述に関してペテロはどんな見方をしていましたか。そのことは,ローマ・カトリックの教徒にとってどんな意味がありますか。(ロ)イエスは,洪水に関する記述と,人類に対するその意義について信仰を持っていたことをどのように示されましたか。
3 ローマ・カトリック教会の初代の法王であったと多くの人が言う,ペテロについてはどうですか。彼はキリスト・イエスと全く同様,聖書を信じていました。そしてこう語りました。「わたしは,思い出させる意味で,あなたがたの明快な思考能力を覚醒させようとしているのである。あなたがたは,神聖な預言者たちによって前もって語られたことば……を思い起こすべきである。…というのは,彼ら[すなわち,あざける人々]の望みのままに,この事実は彼らに知られていない。すなわち,昔から天があり,神のことばによって地球は水の中から,また水のまん中にかたまって立っていた。そして,それらの手段によって,その時の世界は大水で襲われたとき,滅びを受けた。しかし,その同じことばによって,今ある天と地は火のためにたくわえられており,また,不敬虔な人々のさばきと滅びとの日のために取って置かれているのである」― ペテロ後 3:1-7,新。
4 あなたにはペテロのような信仰はないかもしれません。しかしペテロは,ノアの日の洪水について自分の書いた事柄を信じていました。なぜなら,彼は「神聖な預言者たち」やキリスト・イエス「によって……語られた」ことに信仰を持っていたからです。キリストはこう言われました。「というのは,ノアの日と全く同じように,人の子の臨在もそのとおりであろう。というのは,洪水前のその当時,人々はノアが箱舟にはいる日まで,食べたり,飲んだり,めとったり,とついだりなどして,洪水が来て彼らをすべて流し去るまで気がつかなかった。人の子の臨在もそのとおりであろう」。(マタイ 24:37-39,新)ここでイエスは,ご自分の弟子たちから尋ねられた次の質問に答えておられたのです。「わたしたちに話してください。これらのことはいつあるのですか。また,あなたの臨在とこの事物の体制の終局のしるしはなんですか」。(マタイ 24:3,新)神のみ子,イエス・キリストは,現在の事物の体制の終局,あるいは別の表現のほうがお好きなら,「世の終り」の時に起こる多くの事柄をご自分の弟子たちに詳しく話されました。マタイ伝の24章を読んでごらんなさい。あなたの志気はそれによって再び燃え上がり,信仰の大いなる競争に参加したいと思うようになるかもしれません。神のことばをすでに信じている人であれば,信仰のりっぱな戦いをたたかい続けるように助けられることはまちがいありません。
5,6 イエスは第一にだれの支配に関心を持っていましたか。それをどのように示されましたか。
5 イエスは,現在の事物の体制の終わりの日に全世界で行なわれる大きなできごとの一つに,神の王国に関する大規模な伝道のわざがあるであろうと述べ,次のように預言されました。「そして,王国のこの良いたよりは,すべての国の民に対する証として,人の住む全地で宣べ伝えられるであろう。そして,それから,終わりが来るのである」― マタイ 24:14,新。
6 イエスは,幾百万もの人が今なお口にしていることを語って,人々を驚かせました。「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められん事を。御国の来らんことを。御意の天のごとく,地にも行はれん事を」。(マタイ 6:9,10)あなたはその祈りを教えられましたか。そして今までに時おりその祈りをしたことがありますか。しかし,これらのことばを口にしている人のうちいったい何人が,エホバ神の王国が来て,この地の支配権を取ることを真に願っているでしょうか。神のみ子,イエス・キリストはそう願われたのです。あなたはそう願っておられますか。
あなたは何に関心を持っておられますか
7 神の王国に関心を示すことについて,イエスは自分の弟子たちをどのように教え導かれましたか。
7 イエスの生涯の全関心事は,神の王国にかかわるものでした。今でもそうです。山上の垂訓の中で,彼はこう言われました。「だから,王国と彼の正義とを第一に求めつづけなさい。そうすれば,これら他のものはすべて,あなたがたに加えられるであろう」。(マタイ 6:33,新)イエスは,この王国について話すように人々を訓練し,またご自分の12人の弟子をつかわして,他の人々に王国について告げさせました。彼はこう言いました。「あなたがたは行く際,伝道し,こう言いなさい。『天の王国は近づいた』。病人たちをいやし,死んだ人々をよみがえらせ,らい病人を清め,悪霊たちを追い出しなさい。あなたがたは無料で受けたのだから,無料で与えなさい」。(マタイ 10:7,8,新)自分の弟子たちが至る所で人々を助け,永遠の命をしっかりと捕えるための人類の唯一の希望は,神の王国を通してくることを理解させるようイエスは望まれました。「さて,イエスは自分の十二弟子に指示を与え終えると,彼らの町々で教え,また伝道するためにそこから出かけられた」。(マタイ 11:1,新)カペナウムの会堂で教え,幾つかの不思議なわざをした後,イエスはご自分の弟子たちにこう告げました。「『どこかほかの所,近くのいなか町に行って,そこでも伝道しよう。その目的のためにわたしは出てきたのだから』。そして,彼は実際に行き,ガリラヤ全土にわたって彼らの会堂で伝道し,また,悪霊を追い出された」― マルコ 1:38,39,新。
8 イエスの死と復活ののち,神の王国の重要性は彼の追随者たちの思いから薄れましたか。なぜですか。
8 3年半の間,イエスは教えることと伝道することにみずからをささげました。そしてその唯一の主題は,神の王国と,それが人類にもたらす数々の祝福でした。その後,彼は刑柱の上で死にました。しかし,王国の良いたよりが,現在の事物の体制の終局の時に至るまで伝道されねばならないことを知っておられたのです。死からよみがえらされた後,イエスがご自分の弟子たちに次のように言われたのはそのためです。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名によって彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい。見よ,わたしは事物の体制の終局まで,いつもあなたがたとともにいるのである」― マタイ 28:19,20,新。
9 ペンテコステにペテロは何を,そしてだれに伝道しましたか。その結果は。
9 聖書の使徒行伝第2章から,次のことがわかります。すなわち,イエスは天に上った後,西暦33年のペンテコステの日に聖霊を送り,イエスが教え,訓練した120人の弟子が全員,神からのその活動力に満たされました。ペテロが,エルサレムの都にいた大ぜいの群衆の前に出て,幾千人もの人々に雄弁に語ったのはその日のことでした。ペテロがその日に述べた音信を聞いて,多くの人がその時のねじけた世代から救われ,バプテスマを受けました。その日以来,王国の良いたよりは地の果てにまで行き渡りはじめたのです。その時エルサレムには「パルテヤ人,メヂヤ人,エラム人,またメソポタミヤ,ユダヤ,カパドキヤ,ポント,アジヤ,フルギヤ,パンフリヤ,エジプト,リビヤのクレネに近き地方などに住む者,ロマよりの旅人 ― ユダヤ人および改宗者 ― クレテ人およびアラビヤ人」がいました。(使行 2:9-11)当時知られていた世界の各地からそこに来たものとして,実に15の国籍があげられています。そして,記録の示すところによると,その日にペテロの音信を聞いた多くの人々がバプテスマを受けました。それらのユダヤ人や改宗者たちはエホバ神を信じていましたが,今度はキリスト・イエスを受け入れ,自分たちが聞いた音信を携えて,それぞれの異なった国々や土地に喜んで帰って行きました。彼らは今やエホバのクリスチャン証人でした。なぜなら,自分たちを死からあがなってくださった,神のみ子,キリスト・イエスに信仰を置き,神の王国を信じていたからです。彼らもその時から,信仰の大いなる競争に参加しようとしており,自国の人々が信じている多くの異なった宗教に立ち向かわねばならなくなりました。キリスト教は順調なスタートを切りました。それら献身し,バプテスマを受けた人々は,今や福音伝道者,つまり,他の人々をキリスト教に改宗させる努力をする者にならねばなりませんでした。そして,イエスの次のことばが成就しなければならなかったのです。「あなたがたは,エルサレムと,ユダヤおよびサマリヤの全土との両方において,また,地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるであろう」― 使行 1:8,新。
拡大が始まる
10 ペンテコステの後,エルサレム・ユダヤ・サマリヤの人がどのように証言を受けたかを説明しなさい。
10 神のことばの中には,エルサレム,ユダヤ,サマリヤで非常にすぐれた証言がなされたことを示す多くの証拠があります。福音伝道者のピリポはサマリヤの都に下り,そこで群衆は彼の言うことに注意を払いました。ペテロはコルネリオに話すことにより,異邦人の間でのわざを始めました。コルネリオはバプテスマを受け,聖霊によって生み出され,自分もクリスチャンであることを証明しました。また,パウロ,バルナバ,および両人の宣教についてはこうしるされています。「かれら〔会衆〕の人々に見送られてピニケ及びサマリヤを経,異邦人の改宗せしことを具に告げて,凡ての兄弟に大なる喜悦を得させたり」。(使行 15:3〔新〕)キリスト教のそうした初期の時代に,わざは非常な拡大をたどり,神のことばから真理を聞いた人々が集まり会って会衆となり,神の意志をたいへん熱心に行なうようになりました。使徒行伝 9章31節(新)はこう告げています。「会衆はユダヤ,ガリラヤ,サマリヤの全域を通じて平安期にはいり,確立されつつあった。そしてエホバの恐れと聖霊の慰めのうちに歩むにつれ,会衆は増加しつづけた」。この平安な状態は,コルネリオの改宗前に生じました。そして異邦人は,この時よりあとに改宗したとはいえ,その事態はユダヤ人のクリスチャン会衆をなんら乱すものとはなりませんでした。なぜなら彼らはその時には,世界的な福音伝道のわざが推し進められねばならないことを十分に理解していたからです。
11 パウロは伝道のわざに関して,若いテモテにどんな良い忠告を与えましたか。
11 使徒パウロは,若いテモテが真理の側にしっかりした立場を取り,「信仰のりっぱな戦いをたたかうよ(う)」援助した忠実なクリスチャンでした。テモテのような若者が非常に熱心になり,神の会衆内での監督の職を目ざして努力し,自分のわざをりっぱに行なうのを見て,パウロは豊かな満足感を味わったにちがいありません。永遠の命をしっかりと捕えていたので,パウロはテモテにこうもさとすことができました。「順調な時でも,困難な時でも,みことばを宣べ伝えなさい。たゆまずにそれを行ない……すべての事柄に冷静を保ち,悪をしのび,福音伝道者のわざを行ない,あなたの奉仕をじゅうぶんに成し遂げなさい」。(テモテ後 4:2-5,新)そうした初期の時代に,パウロやテモテのように王国の良いたよりを伝道する人は多くいました。今日も同様に,このわざを行なっている献身した男女は大ぜいいます。
12 (イ)「狭い戸口からはいるため,力をこめて努力しなさい」とのイエスのことばに,ある人はどのように答えるかもしれませんか。(ロ)どうすることによってはじめて,キリストの恩恵を受けられますか。
12 町から町,村から村を巡っているイエスにもし会ったとしたら,あなたはどうなさいますか。ある人のように,「主よ,救われる者は少ないのですか」と,彼に尋ねますか。質問した人をも含めて,その場にいた人々に対して,イエスはこう答えられました。「狭い戸口からはいるため,力をこめて努力しなさい。なぜなら,わたしはあなたがたに言うが,多くの者がはいろうと努めるが,はいれないからで(ある)」。その答えを聞いて,あなたは不安に思いますか。そして,今日の多くの人と同じく,次のようにおっしゃいますか。「私はキリスト・イエスを知っているし,教会に通っている。キリストを記念する聖ざん式で飲食している」。前述のある人は,イエスを知っていると唱える者たちに向かって,イエスが次のように言われるのを聞きました。「わたしはあなたがたがどこからの者か知らない。わたしから離れ去れ,あなたがた不義を働くすべての者たちよ!」(ルカ 13:23-27,新)単に話すことや外見よりも,もっと多くの事柄が問題になってくるのです。キリスト・イエスから恩恵を受けるには,信仰と行ないを示さねばなりません。狭い戸口からはいるため,力をこめて努力をしなければならないのです。「永遠の命をしっかりと捕え(る)」ためには,「信仰のりっぱな戦いをたたか」わなければなりません。あなたはそうしていますか。あなたの宗教は安易なものですか。「行為なき信仰(は)死にたるものなり」と,ヤコブは言いました。―ヤコブ 2:26。
13 力をこめて努力する必要に関して,パウロはどう書いていますか。
13 キリスト教世界には今日,言いわけをして拒む人が非常に多くいます。彼らは,キリスト・イエスが地上におられた時に行なっていた仕事も,またその弟子たちが行なった仕事もしたがりません。ヘブル人にあてた手紙の中で,使徒パウロが次のことを強調してしるしたのはそのためです。「言いわけをして,話しているかたを拒むことがないようにしなさい。というのは,もし,地上で神の警告を与えていたかたを,言いわけをして拒んだ彼らがのがれなかったのであるなら,天から話すかたから身をそむけるなら,どうしてわたしたちはのがれうるであろうか」。(ヘブル 12:25,新)あなたは言いわけをして,しるされた神のことばを拒みながら,なおかつ自分自身をクリスチャンと呼びますか。すべての人が言いわけをして拒んでいるわけではなく,信仰のためにりっぱな戦いを続けながら,差し迫った現在の事物の体制の終わりについて諸国民に警告を与え,地上をまもなく完全に支配しようとしている神の王国に関して宣明している人々が今なおいることを,あなたは神に感謝すべきです。
良いたよりはアフリカに達する
14,15 (イ)キリスト教世界が今日,アフリカで神の王国を力強く伝道していないとなぜ言えますか。(ロ)西アフリカでのエホバの証人による王国伝道のわざは,わたしたちの時代にどのように始まりましたか。
14 キリスト教の初期の時代,ペンテコステの日にペテロが話すのを聞いた者の中には,エジプトやリビヤから来た人々がいました。それらの国を考えると,わたしたちはアフリカ大陸を思い出します。今日,神の王国の良いたよりは,アフリカで力強く伝道されているでしょうか。キリスト教世界が,神の王国を人間の唯一の希望として宣明していないことは確かです。なぜなら,彼らは国際連合の組織が人間の唯一の希望であると言っているからです。しかしエホバのクリスチャン証人は,キリスト・イエスと神の王国に対する信仰を築くよう,アフリカ大陸で福音伝道を行なってきたでしょうか。この点を調べてみましょう。
15 “聖書のブラウン”として後に知られるようになった,エホバの証人のN・R・ブラウンが,妻とまだ幼い子どもたちを連れて生まれ故郷,西インド諸島のトリニダードからアフリカに向かったのは1923年のことでした。彼は信仰を持っていました。それはエホバ神と,そのみ子であるキリスト・イエス,そして神の王国に対する信仰でした。彼は西アフリカの人々が神の王国について知ることを望み,良いたよりを伝道するためにその地に出かけて行きました。彼は,シエラレオネ,ガーナ,ナイジェリア,カメルーン,その他多くの西アフリカ諸国を旅行し,多くの苦難に耐えました。
16 1931年から1946年にかけて,ナイジェリアにおける伝道の活動はどんな理由で進展しましたか。
16 1931年,“聖書のブラウン”はナイジェリアのラゴスに定住し,ものみの塔聖書冊子協会の事務所を設置しました。最初の大会にはわずか十人しか出席しませんでした。それでも“聖書のブラウン”は失望しませんでした。ナイジェリアに住む人の多くは英語を話せはするものの,自国語で文書が読めるようにならなければ,彼らが深い感銘を受けることはないと,彼は悟りました。協会はヨルバ語をはじめ,イボ語,イトセキリ語,ハウサ語,エフィク語で,いくらかの出版物を翻訳する取り決めを設けました。彼らのことばに訳されたそれらの出版物のおかげで,良いたよりは一般の人々に伝わり,彼ら自身の家で聖書研究を行なうことができ,その結果,神のことばに対する信仰が築かれました。1939年までには,エホバの証人は636人を数えるようになり,それらのクリスチャンたちは,“聖書のブラウン”とともに定期的に伝道し,王国の良いたよりを宣明しました。ところが第二次世界大戦が起こり,政府は協会の出版物の輸入を禁じました。その禁令は1946年に解かれましたが,1939年から1946年の間に,聖書を用いる働きだけを通して,ナイジェリアのエホバのクリスチャン会衆に属する人は,3,542名に増加しました。
17,18 ギレアデ学校の卒業生はわざの進歩をどのように助けましたか。
17 第二次世界大戦中,ものみの塔聖書冊子協会は,ものみの塔ギレアデ聖書学校を開設しました。1943年,この宣教者学校は,世界のすべての場所で福音伝道のわざを遂行する目的で,第1回の卒業生を送り出す用意を整えました。1947年になって,ギレアデ学校の卒業生は初めてナイジェリアのラゴスに入国を許可されました。
18 文盲率が高いために,多くのアフリカ人に読み書きを教えることが必要でした。そこで1948年,エホバの証人の諸会衆で開かれる読み方のクラスを通して,人々に読み書きを身につけさせる運動が着手されました。読み方と書き方を教えるこれら無料のクラスのおかげで,文字どおり何千人ものアフリカ人が読むことと書くことを教わりました。今では,さらに大ぜいの弟子たちがクリスチャン宣教に加わり,神の王国の良いたよりを伝道しています。
19 ナイジェリアの,心臓の正直な人たちは,聖書の真理を学ぶにおよんでどんな変化を遂げましたか。
19 聖書の音信を伝えられた幾万人もの人々は,カトリック教徒や新教徒でしたが,それにもかかわらず,多くの人は一夫多妻の生活を送っていました。それらの人がエホバのクリスチャン証人となるには,その前に,自分の生活を調整して,受け入れられる状態にならねばなりませんでした。聖書によると,男は「ひとりの妻の夫であ(る)」べきであり,男は各,自分の妻を,女は各,自分の夫を持つべきです。(テモテ前 3:2,新。コリント前 7:2)聖書が一夫多妻を非難しているのに,キリスト教世界の諸宗派はなぜその成員にこの習慣を許すのでしょうか。エホバの証人になったナイジェリア人,また,信仰のりっぱな戦いをたたかうために同様な決定をした,アフリカ全土の他の国々の民の生活には,なんと驚くべき変化が起きたのでしょう。自分たちが以前属していたキリスト教世界の宗教指導者たちから嘲笑されようと,それら真のクリスチャンは少しも動じませんでした。なぜなら,その人たちはパウロと同じく,次のように言うことを願ったからです。「わたしはりっぱな戦いをたたかい,走路を最後まで走り,信仰を守った」― テモテ後 4:7,新。
20 過去50年間に,王国が告げ知らされた結果,西アフリカにはどんなことが起こりましたか。
20 “聖書のブラウン”が,真のクリスチャンの信仰を促進させるため,アフリカに行ってから50年近くたった今日,西アフリカの七つの国で神の王国の良いたよりを宣べ伝えているエホバのクリスチャン証人の数は,11万8,000名を越えています。
21,22 ザンビアのエホバの証人はどんな問題に直面しましたか。そうした問題は神のしもべたちの活動にどう影響しましたか。
21 中央アフリカにある国,ザンビアを見てみましょう。そこでは1924年に,神の王国の伝道が始まりました。エホバの証人に対する不当な禁令・迫害・妨害が多年続いたため,わざははかどりませんでした。わざが真の意味で進展しはじめたのは1947年になってからです。当時,6,114人が王国の良いたよりを伝道しており,同国はまだ北ローデシアとして知られていました。1948年,ルサカに支部事務所が設置され,わずか1年間に,伝道者は1万1,606人に増加しました。同1948年は,ギレアデの卒業生が初めて到着した年でもありました。彼らは福音伝道の活動を援助し,クリスチャンのわざを組織するのを助けるために来ました。また,読み方と書き方を教える面でも会衆を援助しました。
22 最近になって同国政府は,ものみの塔宣教者の国外退去を命じました。そして昨年,役人は,エホバの証人は今後,クリスチャン信仰の改宗者を作るための戸別訪問をしてはいけないと発表しました。現在のところ,エホバの証人には,自分たちの仲間の信仰を建て起こすためと,また,クリスチャンのわざに関して尋ねる人たちだけに,聖書の話をすることが許されています。家から家また村から村を訪れるわざにそうした制限が課されているにもかかわらず,1970奉仕年度に関するサンビアからの報告によると,ザンビアの人々はエホバの証人の言うことを聞きたがっており,新しく関心を持つようになった人々で,証人の王国会館に来る人の数は,幾千名にも上ります。昨年,エホバの証人に来てもらって,毎週,聖書の研究をすることに関心を示した人と家族の実数は3万3,699に上り,1970年度中,この王国の良いたよりを宣明するわざにあずかったエホバのクリスチャン証人は5万655人でした。1970年3月22日の夜に行なわれたキリスト・イエスの死の記念式には,実に15万7,013人のザンビア人が出席しました。
23 王国の音信がどのように人々を変えるかについて,ジ・アフリカン,ウィクリー誌はどのような外部の人々の証言を伝えていますか。
23 ザンビアの人々の思いを聖書に向けるわざは,道徳の面で良い影響を及ぼしてきました。1950年8月30日号,ジ・アフリカン・ウィークリー誌には次のような報告が載りました。「町区内のものみの塔クリスチャンは……非常に活発に働いている。しかし,彼らの働きがきわめて良いものであり,そのおかげで,町区内のアフリカ人同志のけんかが少なくなっていることを報告できるのは喜ばしい。彼らがひとたびものみの塔に入会すると…それらのクリスチャン[エホバの証人]は仲間げんかをしない。彼らは,ビヤホールに行って他の連中や女たちとかかり合いをもつようなことをしない」。ザンビアのエホバの証人の道徳規準は聖書に基づいていて,世界じゅうのエホバの証人が守っている道徳規準と同じものです。ザンビアには今日,89人につきひとりのエホバの証人がいます。ザンビアでは,すべての家族が神の王国の良いたよりを聞いた,と確かに言いえます。信仰のりっぱな戦いをたたかい,永遠の命をしっかりと捕えるかどうかは,彼らが各自決定すべきことです。この人たちは決して,『良いたよりを聞く機会がなかった』とは言うことができません。
24 過去30年間,アフリカにおいて,どの点で進歩が遂げられたかを説明しなさい。
24 1,900年前,ペテロの話を聞いた後にエルサレムを去ったクリスチャンのある者は,エジプトとリビヤに行きましたが,アフリカ大陸の他の場所にも行ったかもしれません。ピリポは,自国に帰る途中のエチオピアの宦官と話をしました。イエスの証は,アフリカをも含めて,地の最も遠いところにまで行なわれてきたとは言えませんか。次の表はエホバの証人が何を行なってきたかを示すものです。
アフリカ
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 11 6,612 -
1950 29 53,787 46
1960 42 131,321 177
1970 51 250,915 328
アジアへ
25 王国の音信をアジアにもたらすに当たって,クリスチャンはどんな問題に直面しますか。
25 西暦33年のペンテコステの日に,パルテヤ,メヂヤ,エラム,カパドキヤ,また,アジアの地域から来た人々が,ペテロの話したことを聞きました。今日はどうですか。アジアの住民の大半は非キリスト教徒です。回教の支配下にある人は約3億7,400万人です。神道信者は7,000万人,道教信者は5,400万人,儒教徒は3億7,100万人,仏教徒は1億7,600万人,ヒンズー教徒は4億3,500万人います。アジア全土にわたって約1億2,000万人が,キリスト教を奉じていると唱えています。しかし,それらの人は神の王国に信仰を示していますか。それを伝道していますか。いいえ! 彼らはキリスト教世界の一宗派に属しているにすぎず,たいていの場合,キリスト教でないもう一つの宗教を奉じているのです。それにしても,アジアでは今日,神の王国の良いたよりがいったい聞かれるのでしょうか。確かに聞かれます。
26,27 どんな種類の迫害にもかかわらず,韓国におけるエホバの証人は前進しつづけましたか。その結果,1970年までにはどんな進展が見られましたか。
26 1949年,ものみの塔協会は韓国に初めての宣教者を送りました。当時,エホバの証人のわざ,すなわち,家から家に神の王国の良いたよりを伝道する仕事に携わっていた人は,全国にわずか13人しかいませんでした。そのころ宣教者たちは,強制収容所に入れられてもなお自分の立場を堅持した5人のクリスチャンの婦人に会いました。日本人が韓国を支配していた間,その5人のクリスチャン婦人はくさりで縛られながらも,天皇を拝しその宗教を受け入れることを拒みました。彼女たちはひどい拷問を受けましたが,信仰のためにりっぱな戦いをたたかい続けました。第二次世界大戦後釈放されたこの婦人たちは,さっそく熱心に王国の良いたよりを宣明しつづけ,今日に至るまでそのわざを行なっています。
27 韓国人は良いたよりにどう応じましたか。1960年までに,ものみの塔協会は22人の宣教者を送り,3,800人以上の韓国人が彼らに加わってわざにあずかりました。1970年には,1万2,267人が神の王国の良いたよりを伝道し,教えました。過去3年間に6,575人の韓国人がバプテスマを受けたという事実はまさに驚くべきことです。これは韓国のすべてのエホバの証人の半数が,1967年以降,信仰のための大いなる競争に参加したことを意味しています。
28,29 インドで王国の証言をするのに,エホバのしもべたちはなぜ力をこめて努力しなければなりませんでしたか。
28 アジアの別の国,インドを考えてみることにしましょう。そこではどんなことが起きていますか。1914年,インドにはエホバの証人の代表者が4人いました。しかし,ものみの塔協会がボンベイに事務所を開設したのは1926年になってからのことです。それは,インドでも福音伝道のわざが行なわれるべきだと信じた,英国出身の非常に熱心な数人の若い男子のクリスチャンによって行なわれました。この人たちは,聖書が真の神のことばであることをヒンズー教徒に確信させるのは,並みたいていのわざではないという経験をさせられました。ヒンズー教徒には何世紀にもわたる自分たちの宗教信条が深くしみ込んでいるからです。それでも進歩は見られ,1947年4月にはギレアデの卒業生がふたり初めて,信仰のためのりっぱな戦いをすでにしていた人たちを助けるために入国することができました。
29 インドという国にはたくさんの神々や言語があり,習慣も生活の仕方も多様です。宣教者はいろいろな人格の持ち主を動かすことができるよう,自分自身を調整しなければなりません。エホバの創造になる人間には,あらゆる種類の人々がいます。ですから,地上のどこにいる人であろうと,たとえそれを受け入れる人がはなはだ少数であっても,神の王国について聞く機会を与えられねばなりません。彼らのわざは報われてきました。なぜなら,今日,非常に大きな障害があるにもかかわらず,3,347名の人が神の王国を告げ知らせているからです。あなたはインドのような国でキリストを代表し,『その代理をする』ことができますか。それは確かに戦う能力をためすものとなるでしょう。―コリント後 5:20,新。
30 (イ)日本を訪れた後のラッセル兄弟の結論はなんでしたか。(ロ)日本でいったん伝道のわざが進行しはじめるや,エホバの証人はどんな問題に直面しなければなりませんでしたか。
30 地の他の多くのところに比べて,日本は王国の良いたよりを聞くのに長い間待たねばなりませんでした。1912年,ものみの塔聖書冊子協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルは,国際聖書研究生協会の委員長として日本を訪れ,東洋における宗教事情を視察しました。彼らは,正統的キリスト教の宣教師たちが失望を味わっているのを見てとり,パスター・ラッセルは,日本国民が必要としているのは王国の福音であり,キリストの再来とその正義の王国の設立を宣明することであると結論しました。しかし,わざを開始するため,在米日本人が日本に派遣されたのは,1927年になってからのことです。かなりの開拓者が熱心に働いたかいがあって,1938年には奉仕者の数は110名の最高数に達しました。同年,「目ざめよ!」誌の前身であった「黄金時代」という雑誌が,日本人の間に112万5,817部配布されました。ところが,1939年6月21日,エホバの証人全員が逮捕されました。いわゆるクリスチャンの諸組織に属する他の成員たちは逮捕されませんでした。というのは,一般の教会に属する人たちが,神道の八百万の神々をも同時に崇拝するかぎり,政府から反対を受けなかったからです。しかし,エホバの証人は神道の神々を崇拝することに応じなかったため監視され,その結果,「エホバ一神教を提唱する」として告発されました。秘密裏に長期の審理を受けたすえ,自分たちの神エホバを否認することを拒んだ者たちは5年の禁固刑を言い渡され,第1回の服役期間が済んだ後,再び刑の宣告を受けた人もいます。アメリカの占領下に置かれた1945年,当時まだ監禁されていた人々は,釈放されました。
31,32 (イ)エホバの証人のわざが1949年以来進展していることを示す証拠をあげなさい。(ロ)過去30年間,アジアにおいてどの点で進歩が遂げられたかを説明しなさい。
31 ものみの塔協会は日本の8,200万人以上の人々の間で,クリスチャンの仕事を再開しようとの希望を持っていましたが,1949年にそれを実行に移すことができました。同年,ギレアデ宣教学校で訓練を受けた数人の日系ハワイ人が日本に到着したのです。1950年までに協会は26人の宣教者を日本に送り,その数は1960年までには70人,1970年には80人となりました。王国の良いたよりを伝道しているそれらの人は良い成功を収めていますか。今日,イエスが言われたわざの遂行に携わっている日本人の数は,合計9,478名に達しています。
32 協会は日本語の「ものみの塔」誌を1951年に,次いで「目ざめよ!」誌を1956年に印刷しはじめました。そして今日,日本では毎年740万部以上の雑誌を印刷しています。現在,日本にはエホバの証人のクリスチャン会衆が228あります。次の表からアジア全体の状態を見,30年間に何が起きたかを知ってください。
アジア
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 7 541 -
1950 15 1,485 69
1960 26 11,568 265
1970 28 30,693 257
ヨーロッパへ
33 今日,ヨーロッパで神の王国はどの程度伝道されていますか。エホバの証人がキリスト教世界の諸宗派の人々と異なっていることは,どのように証明されてきましたか。
33 西暦33年のペンテコステの日,エルサレムにはローマから来た人が幾人かいました。この人たちはローマにいる他の人々に伝えるため,王国の音信を携えて帰ったにちがいありません。しかしそれからずっと後になって,パウロや,キリスト・イエスの他の弟子たちが,ギリシア,イタリア,それにたぶんスペイン,またヨーロッパの他のところにまで音信を携えて行きました。今日,神の王国の良いたよりはヨーロッパじゅう,同大陸のすべての国々で伝道されています。キリスト教世界の全宗派の人々が互いどうし戦い,殺し合いをしていた第一次世界大戦の時にも,また第二次世界大戦の間じゅう,エホバの真のクリスチャン証人は神の王国の良いたよりを忙しく伝道していたのです。彼らはそのために,苦難にあいました。自分たちの隣人を殺すことに加わろうとはしなかったからです。ドイツでは幾千人もが投獄されたり,ヒトラーの強制収容所に送られたりしました。
34 ヒトラーと彼の政府はエホバの証人に対してどんな立場を取りましたか。
34 1933年1月,ヒトラーが権力を握ると,彼はその権力を行使して,無情なやり方でエホバの証人に対処する決意をしていることが明らかになりました。ヒトラーは1933年にエホバの証人のわざを禁じ,幾千人もの証人が動物のように執ように追跡され,逮捕されました。なんら悪い行為をしたことがなく,それ以前に出廷したことなど一度もない人々に刑を宣告するため,特別法廷は何か月もの長い間,忙しく手続きに追い回されました。懲役の期限は5年,あるいはそれ以上に及ぶものもあり,後には多くの人が強制収容所に送られました。こうして,エホバのクリスチャン証人はどう見ても絶滅するかに思えました。
35 (イ)1932年から1946年にかけて,ドイツのエホバの証人には何が起こりましたか。(ロ)その時から,エホバはこの国のご自分の民を,鉄のカーテンの両側でどのように祝福されてきましたか。
35 ドイツから最後の報告が送られた年,つまりエホバの証人が禁令下に置かれる前の1932年には,1万4,453人が王国の宣明に携わっていました。ドイツの戦争機関が崩壊し,強制収容所の門が開かれた ― しかし墓場の門は開かれなかった ― 後の1946年,1万1,415名の献身したクリスチャンが,依然として信仰のための大いなる競争を行なっていたのです。10年後にその数は5万530人に増加し,1970年には,西ドイツのエホバのクリスチャン証人は8万6,252人になりました。生き残った人たちは決して断念しませんでした。彼らは伝道したのです。西ベルリンには別の群れがあります。そこでは今や5,396名を数えるクリスチャン証人が,家から家に伝道しています。また東ドイツでは,ベルリンの壁と鉄のカーテンの背後で証言のわざが行なわれており,現在,共産主義の支配下にある東ドイツ人に,さらに何千名ものエホバの証人が神の王国について語っています。しかも彼らは,鉄のカーテンの西側にいるエホバのクリスチャン証人が享受していると同様な言論の自由を与えられていません。正義の原則に対する忠実さを実証したため,ドイツでエホバの証人が何千名も殺されましたが,生き残った人たちは幾万人もの人々に救いをもたらし,永遠の命をしっかりと捕えるよう今なお人々を助けています。
36 フランス国民は王国の良いたよりを聞く点でどのように助けられてきましたか。
36 フランスは常にカトリック教の堅固な中心地でした。歴史を調べると,勢力のある枢機卿がしばしばフランスの政治を支配したことがわかります。しかし,「終わりの日」に神の王国の良いたよりは伝道されなければならず,それは1904年に始まりました。小規模な出発ではありましたが,1919年8月27日には,エホバの証人の活動は法的に認められました。1940年,ヒトラーの占領下に置かれたため,良いたよりの伝道者320人は地下運動を余儀なくされました。しかし終戦後,1947年に禁令が解かれると,2,380人が行動を開始しました。困難な状況が何年間も続いたにもかかわらず,伝道はりっぱな成果をあげながら続けられたのです。1951年,パリのパレ・デ・スポールで開かれた第1回国際大会には,「宗教は世界の危機に対処しうるか」と題する,ものみの塔協会の会長による講演を聞くため1万456人が集まりました。同年,フランス全土には7,136名のエホバの証人が神の王国を伝道していました。エホバの証人が再び法的に認められた1947年から約23年を経た今日,この組織は急速に発展しており,3万6,721人の奉仕者が,エホバ神とそのみ子キリスト・イエスについて,力強い証言を行なっています。
37 イタリアで伝道のわざが進展しはじめたのはいつですか。エホバの証人が直面し,克服しなければならなかった問題はなんですか。
37 第二次世界大戦の直後,イタリアではエホバの証人にとって,新しい繁栄の時代が始まりました。第二次世界大戦中でさえ,ものみの塔協会は数人のイタリア系アメリカ人をギレアデ学校に招待し,福音伝道者を派遣することが可能になりしだい,彼らがイタリアで奉仕ができるよう準備をさせました。最初のギレアデ卒業生が到着したのは,1946年10月です。当時この国で伝道をしていたエホバのクリスチャン証人は120名にすぎませんでした。共産主義が非常ないきおいで広まっている,このカトリックの勢力の強い国では,国民はたいへん動揺しており,奇妙に思えるかもしれませんが,聖書が実際に何を教えているかを知りたがっています。1970年には,長ぐつの形をしたイタリヤの南端からスイスの国境に至るまで,全国に372のエホバの証人の会衆が散在するようになり,1万8,636名のエホバのクリスチャン証人が人々に神のことばから真理を告げ,崩壊するキリスト教世界の組織の誤りを暴露するわざに携わりました。バチカンの教階制度に対抗して,神の王国に立場を取るには信仰がいります。
38 (イ)ダニエルのどんな預言が今,成就の途上にありますか。(ロ)ヨーロッパでは過去30年間に,どんな進歩が遂げられましたか。
38 ヨーロッパでカトリックの勢力の最も強い三つの国で,エホバの証人は急速にふえています。しかし,それは全ヨーロッパについて言えることです。イエスはご自分が弟子たちに与えた音信が,地の最も遠いところにまで伝道されねばならないと言われました。それは今日行なわれており,現在,何千人もの人々が次から次へと,ダニエルの預言が成就していることを知るようになっています。その預言はこう述べています。「それこの王たちの日に,天の神は,決して破滅に至らされることのないひとつの王国を建てられます。そして,その王国自体は,ほかのどんな民にも渡されることはありません。それは,これらの王国すべてを打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立つでしょう」。(ダニエル 2:44,新)あなたはエホバ神がダニエルに霊感を与えてしるさせたことを信じておられますか。次の表は幾十万人もの献身した人々がそう信じていることを,あなたに理解させる助けとなるはずです。
ヨーロッパ
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 13 17,414 -
1950 24 142,675 101
1960 26 337,053 305
1970 30 442,707 339
大西洋,カリブ海,地中海諸島へ
39,40 現代,その他どこに王国の音信は伝えられましたか。この点でエホバの証人が強い責任感をいだいているのはなぜですか。
39 キリスト・イエスの弟子たちは地中海の島々を訪れました。しかし,大西洋やカリブ海,さらに西半球の島々となると,それは当時まだ聞いたこともない世界にあった場所です。しかし今日,これらすべての場所は「地の最も遠いところ」に含まれています。
40 エホバの証人は伝道し,教えることに責任を感じており,『すべての国の人々を弟子とし,彼らにバプテスマを施し,キリストが命じた事柄すべてを守るように教える』という願いをいだいています。(マタイ 28:19,20,新)ですから,大々的な伝道と教えるわざがそれらの島々にも行き渡らねばなりません。
41,42 (イ)ドミニカ共和国でエホバの証人の王国の伝道はどのような妨害を受けましたか。(ロ)その国で彼らはどの程度迫害を受けましたか。
41 ものみの塔ギレアデ聖書学校からドミニカ共和国に宣教者が最初に送られたのは,1945年です。その宣教者たちが着いた当時,この島にはエホバの証人として知られる人はひとりもいませんでした。1949年まで,福音伝道のわざに対する反対らしい反対はほとんどありませんでした。が,その年になって,ひとりのローマ・カトリックの司祭が伝道のわざに反対し,宣教者のある者を国外に追い出すとおどしました。この時までには,島の各都市に22人の宣教者が住んでいましたが,カトリックの司祭たちは教区民にエホバの証人といっさい関係しないよう警告を与えていました。その後,司祭たちは警察を誘導して,エホバの証人の集会に出席する教会員の名前を控えさせました。1950年6月に支部のしもべは国務長官の事務所に呼び出され,エホバの証人の布教活動は同国の法律に触れるので禁止された旨通達を受けました。
42 この禁令下に置かれた間,証人たちは関心のある人々の家で個人的に集まりました。1956年,しばらくの間迫害が緩和した,と思うまもなく突然,大規模な迫害がドミニカ共和国全土のすべてのエホバの証人の上に降りかかりました。証人たちは捜索され,殴打され,投獄されました。先頭に立ってエホバの証人に非難を浴びせたのは,ローマ・カトリックの司祭たちでした。彼らは拡声器を備えた自動車を使って,エホバの証人と話をしないよう,彼らの文書を焼くか,焼いてもらうため司祭に渡すよう,早朝から人々に告げてまわりました。司祭にそそのかされたカトリックの青年たちが,エホバの証人の家に石を投げつけたこともあります。宣教者たちは追放されました。理由は,イエスが1世紀当時話された真理を語った,というものでした。
43 その後どんな変化が起こって証言は拡大をみましたか。
43 数年後,政府は交替し,カトリック教会は政府ばかりでなく,国民に対してもその勢力と影響力とを多分に失ってしまいました。ものみの塔の宣教者たちは1960年に帰還を許されました。ドミニカ共和国には今35人の宣教者と,3,591人からなるりっぱなクリスチャンの組織があり,しかも人々は耳を傾けています。カリブ海のこの小島でエホバの証人は多くの苦難にあいましたが,帰還の喜びと人々を啓発する喜びを考えると,苦しんだかいがあったと言えます。彼らは信仰のための大いなる競争に参加し,その競争にとどまり続けたのです。エホバはご自分の証人を祝福され,今日,彼らはこの島の至る所で神の王国の良いたよりを伝道しています。
44 (イ)キューバでエホバの証人の会衆が最初に組織されたのはいつですか。1959年に至るまでどんな進歩が遂げられましたか。(ロ)その後の報告は何を示していますか。
44 カトリック教国としてのキューバの歴史も興味深いものです。かなり昔のことになりますが,1918年に,エホバ神の王国の良いたよりはこの国に伝えられました。1922年に最初の会衆が組織され,オリエンテのパルマソリアーノで開かれた大会には100人が出席しました。良いたよりの伝道は着実な進歩を続け,1944年には,ものみの塔ギレアデ学校の卒業生を数人キューバに送ることができたほどです。その年の終わりまでには1,260名の証人がいましたが,わざは着々と発展して,1959年までに,この島のエホバの証人は1万2,140名になり,そのほかに,22人の宣教者がいました。それから,政府の交替がありましたが,数年間,別にこれといった問題は起こりませんでした。しかし,ついにすべての文書の輸入が差し止められ,国内での印刷が停止させられました。それにもかかわらず,神の王国について証言をするわざは,聖書研究の活動を通して個人の家々で続けられました。神の王国の伝道に敵対する圧力は強くなり,王国会館の多くは閉鎖され,焼かれたものもあります。それでも,宣教は続けられました。最後の報告が「エホバの証人の年鑑」に載せられた1965年当時より,さらに多くのエホバの証人が今日キューバにいます。その時の定期的な働き人は1万8,078人でしたが,1959年から1965年にかけて,証人の数は1万2,000人から1万8,000人に増加しました。一国の中の障害がどんなものであろうとも,真の生きたクリスチャンは伝道し,教え,命を堅く捕えて離しません。
45-47 (イ)キプロスに関してはどんな初期の記録が歴史に残っていますか。第1回目の宣教旅行でそこに行ったのはだれですか。(ロ)現代では何が起こりましたか。(ハ)大西洋,地中海,カリブ海の島々における,過去30年間の伝道のわざの概容を述べなさい。
45 キプロスは地中海にあり,初期クリスチャンはたびたびここを訪れ,会衆が設立されました。ステパノの殉教後に起こったクリスチャンに対する迫害と,それにつぐ彼らの離散の結果,弟子たちのある者はキプロスに行き,そこに在住していたユダヤ人に証言をしました。キプロス島人のあるクリスチャンたちは,キプロスの向かい側にある,シリア海岸近くの都市アンテオケに行き,彼らと同様にギリシア語を話す人々の間で伝道し,大きな成果を収めました。(使行 11:19,20)ヨハネ・マルコを伴ったパウロとバルナバが,アンテオケから第1回目の最初の宣教旅行に派遣された時,彼らの区域はバルナバの郷里,すなわちキプロス島でした。
46 現在までに8人の福音伝道者が,ギレアデ学校からこの島に送られています。12の会衆が設立されており,神の王国の奉仕者562人が,紛争の絶えない島の住民に平和を伝えています。
47 次の報告は大西洋,カリブ海,地中海の島々における,30年間にわたる進歩を物語るものです。
大西洋,地中海,およびカリブ海の島々
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 6 803 -
1950 16 12,938 148
1960 43 25,508 187
1970 42 49,337 163
太平洋の島々
48 1912年にチャールズ・T・ラッセルがフィリピンで伝道した後,人々はどのように応じましたか。
48 太平洋の島々は相当の数にのぼり,エホバの証人はそれらすべてを伝道するところまでまだいっていません。最初にフィリピン諸島を見てみると,この国は7,100の島々から成っていて,その広がりは,南北約1,840キロ,東西約1,090キロです。その島々のうちの11が大半の地域を占めています。面積が1平方マイル(約2・5平方キロ)以上の島はわずか462しかありません。1912年の昔にさかのぼりますが,チャールズ・T・ラッセルはマニラを訪れてマニラのオペラハウスで公開講演を行ないました。彼の講演で関心を呼び起こされて多くの人は,自分たちのために文書を求める手紙をアメリカのものみの塔協会に送りました。そして,それらの人々の多くは自分たちの聞いたことが真理であると確信し,受け取った本を友人に配布しはじめるほどでした。
49 第二次世界大戦中,エホバの証人はフィリピン諸島でどのように伝道しましたか。
49 1941年12月7日,太平洋で戦争が勃発し,日本人がフィリピン諸島に侵入しました。アメリカ市民であった支部のしもべは日本人によって拘禁され,支部事務所は閉鎖されました。エホバの証人は捜査されましたが,多くの人は監禁を免れ,大ぜいの証人が,避難民といっしょにのがれた小さな町や山で,戦争中ずっと王国の良いたよりを宣明しつづけ,りっぱな働きがなされました。
50 1947年以降,フィリピンにおける王国のわざの拡大に貢献したものはなんですか。
50 1947年,ものみの塔協会会長N・H・ノアは,新しく再建された支部事務所を訪れ,4,200人の出席者を前にして公開講演を行ないました。その年には2,902人の奉仕者が家から家のわざに携わっていました。ほどなくして,協会の出版物の多くがフィリピン共和国の数多くの言語で出版されるようになり,次いでフィリピン人の兄弟が大ぜいギレアデ学校に招待されました。彼らは訓練を受けた後,伝道のわざをよりよく組織することを助けるため,フィリピン諸島に送り帰されました。1960年までには,エホバの証人と交わって良いたよりを伝道する人の数は3万1,608名,1970年には5万4,789名になりました。彼らの間には1,309の会衆が設立されています。
51,52 (イ)フィジー諸島におけるエホバの証人のわざに敵対して,どのように圧力が加えられましたか。(ロ)1945年以降の状態はどうですか。
51 南太平洋のフィジー諸島はよく知られています。そしてこの島を訪れる旅行者はフィジー人が興味深い人々であることに気づきます。“20年代”にエホバの証人が数人オーストラリアからこの諸島を訪れ,やがて健全な会衆が設立されました。聖書の真理に反対する人たちは,このクリスチャンの小さな群れの存在を黙って見てはいませんでした。僧職者たちは音信を公然と非難しはじめました。1932年には群島の総督が,証人のひとりをクリスチャンであるというかどで投獄したほどです。まもなく,ものみの塔協会の聖書文書を島内に持ち込むことを禁止する法律が可決され,国内にすでに船で運び込まれていた本まで集められて,全部焼かれました。ところが1941年1月には,協会の文書の輸入に対する禁止命令はいっそう厳重になり,文書を所有していることを発見された人には,重い罰が加えられることになりました。
52 第二次世界大戦後,文書に関する禁止は緩和され,1945年,政府が認可した文書は国内に持ち込んでもよいとの布告が政府から出されました。今では公開集会を自由に開くことができます。それはフィジーのエホバの証人にとって,堅実さと不屈の精神を要する,信仰のための長い戦いではありましたが,良い証言が現在なされており,1969年11月9日から12日にかけてのスバでの国際大会には,1,621人が出席しました。
53 南太平洋では過去30年間に,どの点で進歩が遂げられたかを説明しなさい。
53 南太平洋の人々は正義に対する愛と,命に対する愛を持っています。彼らは,永遠の命について学ぶ機会を与えられる権利を持っています。あなたの信仰は,彼らに援助の手を差し伸べるべく,あなたを動かしますか。次の表は,多くの人に,地の最も遠いところと思えるこの地域における,エホバの証人の進歩ぶりを明らかにしています。
太平洋の島々
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 4 3,819 -
1950 6 16,807 25
1960 17 52,671 82
1970 30 91,782 150
北アメリカへ
54 (イ)15世紀以降,多くの人々がヨーロッパからアメリカにのがれはじめたのはなぜですか。その結果,宗教の面では何が起こりましたか。(ロ)1884年に始まったものはなんですか。その結果,宗教の面で何が起こりましたか。
54 15世紀に“新世界”が発見され,その時以来幾世紀にもわたり,ヨーロッパの住民は西方に旅をしました。信教の自由に関心のある多くの人々が北アメリカにのがれてきました。彼らは教会と国家が懇意にし,手を結んで人民を圧制するというような支配形態に束縛されない新しい土地を求めたのです。何年間かのうちに多くの新しい宗派が組織され,現在,合衆国だけでも270以上の宗派があり,それらのほとんどは強力な宗教指導者の伝統から自由になることを求めています。1884年,真剣な聖書の研究生たちから成る小さな群れは,現在,ベンシルベニアのものみの塔聖書冊子協会である法人を組織しました。同法人は,神の王国の良いたよりの伝道に重きを置きながら,聖書の真理をいろいろな言語で広めることを公認されました。ものみの塔協会の始まりはきわめて小規模なものでしたが,86年間に拡大を続け,それにつらなる人々は現在,イエスがこの「終わりの日」に行なわれねばならないと言われた,世界的な証言をすることができます。初代会長のチャールズ・T・ラッセルは偉大な説教者であり,真の信仰の戦い手でした。彼は合衆国各地を旅し,世界じゅうの多くの国々で講演を行ない,キリストの再臨と,キリスト・イエスによる神の王国を救いのための人間の唯一の希望として宣明しました。同時に,プロテスタント,カトリック,ユダヤ教を問わず,正統的な僧職者の宗教上の教えが人間の伝統に基づいていることを明らかにしました。彼は死後の人間の魂のためには地獄の火も硫黄もないことを聖書から証明しました。ラッセルは地獄から火を消したとさえ,しばしば書きたてられたほどです。彼は人間が魂を持っていないこと,人間が魂であること,また,死ぬと人間は人類共通の墓に行き,楽園の地に死人が復活する時までそこにとどまることを聖書から証明しました。三位一体が存在しないことも証明しました。パスター・ラッセルが成し遂げたのは聖書研究を再び盛んにしたことです。そして人々に,人間のいろいろな理論や虚構ではなく,神およびしるされた神のことばに信仰を持たせました。その結果,彼とその共働者全員は僧職者の憤りを買うことになりましたが,エホバのクリスチャン証人は今日もこの地におり,今なお聖書の真理を宣明しています。
55 第一次世界大戦のもたらした圧力は,エホバの証人による神の王国の伝道にどのような影響を与えましたか。
55 第一次世界大戦中,ものみの塔協会の2代目の会長J・F・ラザフォードは,神の王国を人間の唯一の希望として精力的に伝道したため,協会の他の重要な成員とともに1918年投獄されました。この処置は僧職者の扇動で取られたものですが,彼らに対してなされた治安攪乱の告発は,1919-20年までには控訴院を通してすべて却下され,それら忠実な人々は再び公に,何千人もの人々に神の王国の良いたよりを宣明するようになりました。
56 エホバのクリスチャン証人に対する迫害のために,第二次世界大戦中およびそれ以後の彼らの伝道のわざはとだえましたか。なぜですか。
56 第二次世界大戦中,エホバの証人は再び迫害を受けました。合衆国では多くの人が投獄されました。王国会館は焼かれ,家から家を訪れて聖書の音信を伝えたという理由で,エホバの証人の多くは都市や町から追い出されました。1939年から1945年にかけて,エホバの証人は最も困難な時代を乗り越えねばなりませんでしたが,それにもめげず彼らは信仰のりっぱな戦いをたたかいました。1939年に第二次世界大戦が始まった時,合衆国には4万1,902人の王国の伝道者がいましたが,1946年までには6万5,922人が交わるようになり,今では38万8,920名の証人がいます。そのうちのだれかに会ったことがありますか。彼らがお宅を訪問した際,話を聞いたことがありますか。証人たちは1971年も,そして「王国のこの良いたより」が伝道されねばならないかぎり,皆さんのところをお尋ねするよう続けて努力をすることでしょう。
57 カナダの場合は,合衆国で起こったこととどのように似ていますか。エホバはどのような祝福を与えられましたか。
57 カナダの場合を調べてみると,やはり同様なことが言えます。カナダ政府は1940年7月4日,わざを禁じました。当時カナダには6,813名のエホバの証人がいました。トロントの支部事務所は閉鎖され,文書は全部押収されました。しかしクリスチャン証人は聖書だけを使って宣教に携わりました。自宅に出版物がある場合には,それも全部用いました。カナダでの協会に対する禁令は,1944年ついに解かれ,全会衆から再び報告が寄せられた時には,さらに多くの人が組織の一員になっていることが明らかになりました。その時には1万345人が交わっていたからです。4年にわたる地下運動の間,彼らは信仰のためのきびしい戦いを続け,しかも成功を収めていたのです。記録によると,彼らは今なお同じ熱心さで働いており,真の信仰を示しています。カナダには現在,4万6,808名のエホバの証人がいます。
58 北アメリカにおける30年間の伝道の結果,信仰の大いなる競争に参加するようになった人数はどのように大きく増加したかを説明しなさい。
58 しばらくの間,北アメリカにおける増加を考えてみてください。そうすれば,家から家の伝道と家庭聖書研究の司会のわざが良い成果をあげていることがわかります。神のことばを注意深く聞くならば,あなたも信仰のための大いなる競争に参加することを望むようになるかもしれません。
北アメリカ
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれている国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 7 65,577 -
1950 12 138,108 492
1960 12 319,560 858
1970 12 498,736 823
南アメリカへ
59 南アメリカで王国の伝道をするに当たり,エホバの証人はどんな教育上の問題に直面しましたか。彼らはその問題をどのように克服してきましたか。
59 宗教の観点からすると,南アメリカは常にカトリック教会の本拠でしたが,その要塞はくずれかかっています。カトリックの組織は,合衆国やヨーロッパでカトリックに属する民に与えた教育を,南アメリカの人々には与えませんでした。何世紀もの間,なぜカトリック教会は故意にその民を教育しないで,文盲のまま放置してきたのですか。ものみの塔ギレアデ聖書学校出身の幾百人もの福音伝道者は,スペイン語やポルトガル語を学び,それからラテンアメリカにいるカトリック教徒が,しるされた神のことばに信仰を持てるよう,何千人もの人々に読み書きを教えました。彼らは今でも同じ仕事を行なっています。南アメリカにおけるエホバの証人の組織を構成する人々は,ほとんど全員が以前,カトリック教徒でした。彼らは,今では信仰のりっぱな戦いをたたかっています。
60 アルゼンチンでの働きはどのように増大しましたか。
60 1945年,アルゼンチンには415名の人々がエホバの証人と交わっていました。初めて宣教者が派遣された1947年当時,わざはきわめて急速に進展しました。宗教的圧力が加わって1950年にわざは禁止されたものの,すばらしい進歩が遂げられました。次いで1955年,国内に革命が起こり,その後エホバの証人はもっと自由に家から家へ伝道できるようになりました。1970年には,1万8,763名の人々が家から家へ良いたよりを告げ知らせました。
61 (イ)1923年から今日に至るまでの,ブラジルにおける神の王国の伝道者の人数の増加を簡単に述べなさい。(ロ)30年間の伝道の結果,南アメリカはどのような影響を受けましたか。
61 ブラジルのカトリック教徒は,神のことばからの真理に飢えています。1923年,この広大な国で神の王国を人間の唯一の希望として伝道していた人はわずか8名でした。ものみの塔協会の福音伝道者は1945年にブラジルに入国することができ,当時の記録によると,この国には394名のエホバの証人がいました。それら少数の奉仕者たちはあらゆる方面に出かけて行ってはカトリック教徒に伝道を続け,一方,カトリック教徒たちはエホバの証人の話に耳を傾けました。真理を愛する者たちにとって,ブラジルでの取り入れはほんとうにすばらしいものでした。1960年までにエホバの証人の会衆は,2万321名の人々を擁するまでになっていました。1970年,組織の人員は6万4,199名に増加しました。これはカトリック教会にとって大きな損失です。しかも今では,それら新しい人の多くが,神のことばに信仰を築き信仰のりっぱな戦いをたたかうよう,他のカトリック教徒を助けているのです。南アメリカも地の最も遠いところの一部と言えましょう。しかし,キリストの証人をそれほど遠い所にまで送った結果,どんな進歩が遂げられたかは,次の表を見るだけで明白です。
南アメリカ
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 8 561 -
1950 13 7,630 205
1960 13 38,651 381
1970 13 119,260 501
1970年における世界各地での証言
62 (イ)神の王国を伝道する人々には,どんな特質が必要とされていますか。(ロ)世界各地からの報告は次の点に関して何を明らかにしていますか。王国の音信を聞いている国々。信仰を表明して伝道している人々。(ハ)昨年,無償の家庭聖書研究はどの程度司会されましたか。その研究はどのような方法で行なわれましたか。(ニ)新しくバプテスマを受けた人は何名ですか。それは,その人たちの私生活にとって何を意味するものでしたか。
62 畑は世界である,とイエスは言われました。(マタイ 13:38)したがって,エホバの証人は世界じゅうで王国の良いたよりを宣明する責任を帯びています。このわざに来る年も来る年も従事する男女には,節操,忠実性,それに堅固な態度が必要です。パウロはテモテに手紙で次のように書き送りました。「正義,敬虔な恵念,信仰,愛,忍耐,気質の桑和さを追い求めなさい。信仰の戦いをりっぱにたたかい,永遠の命をしっかりと捕えなさい。そのために,あなたは召されて,多くの証人の前でりっぱな公の宣明を行なったのである」。(テモテ前 6:11,12,新)これは良い勧めであり,エホバの証人は「多くの証人の前でりっぱな公の宣明を行なっ(て)」きました。彼らが1970年にそうしたことは証明できるでしょうか。エホバの証人の活動に関する全世界の報告から,その答えを得ることにしましょう。それらクリスチャン証人は今日,イエスが命じられたことを行なっていますか。すなわち,「地の最も遠いところにまで,わたしの証人」となっていますか。(使行 1:8,新)最初に注目していただきたい点は,エホバの証人は206の国々で活発に働いており,その中に世界のすべての主要な国が含まれているという報告です。第二に,少なくとも148万3,430名の人々が1970年の間,この世界的な証言のわざに従事し,家から家を訪問して,2億6,758万1,120時間を聖書について話すことに費やしました。そして,彼らの音信には神の王国の良いたよりが含まれていたのです。しかしそれ以上に,もっと多くのことが行なわれました。聖書に真に関心を持つ人々は,エホバのクリスチャン証人の司会する,無償の家庭聖書研究から助けを得ました。そうした研究は数多く取り決められ,年報によれば,各週114万6,378軒の家庭聖書研究が司会されました。つまり,教える者が家庭に招かれ,関心を持つ人といっしょにすわって聖書を開き,6か月,すなわち26週間,毎週少なくとも1時間,聖書のある主題をともに研究するのです。これらのクリスチャンは,聖書にしるされていることを説明し,質問に答えるために時間をさきます。この家庭聖書研究という方法による伝道を通して,1970年にはどんな結果が得られたでしょうか,驚くべき結果が得られました。16万4,193名の人々が以前の宗教関係を断ち,生活様式を変え,エホバの側に立場を取り,エホバの意志を行なうために献身しました。彼らはイエス・キリストの弟子となり,当然のことながら,イエスと全く同様,水のバプテスマを受けました。最近バプテスマを受けたそれら16万4,193名のエホバの証人は,神の王国の良いたよりをすでに世界じゅうで伝道しています。彼らはあらゆる人種,民族,国民から成っており,世界各地にある2万6,524の会衆で証人たちと週に3度集まり,五つの聖書研究の集会からさらに多くの事柄を学びます。あなたはそうした週ごとのプログラムに関心がありますか。信仰のためのりっぱな戦いを維持するためには,聖書を教えるわざに熱心に関与しなければなりません。
63 (イ)キリスト教世界の宗教とエホバの証人との相違を述べなさい。(ロ)弟子のわざを行なう人の中にはだれが含まれていますか。
63 キリスト教世界の諸教会に属する人々とエホバの証人の間には大きな相違があります。キリスト教世界は,教会に寄付をすること以外,教会員にほとんど何も要求しません。クリスマスやイースター時には,いつもよりずっと多くの人々が教会の礼拝に出席します。しかし,信条や道徳習慣になると,それは問題にされません。神の意志を行なうために人々が献身することもなければ,イエス・キリストの足跡に従って歩むということもありません。カトリックおよびプロテスタント諸宗派の教会員は,僧職者も同じく,イエスの次のことばの意味を理解しているとはいえません。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,……彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい」。(マタイ 28:19,20,新)キリスト・イエスはここで無意味な発言をされたのではありません。ご自分のすべての追随者が,どこに住んでいようと,自分の証人となるべきこと,そして,多くの人が地の最も遠いところにまで行って,伝道し,弟子を作るであろうということを意味しておられたのです。エホバの証人はそう感じています。自分たちの使命を重大に考えています。それゆえに彼らすべては『信仰の戦いをりっぱにたたかって,永遠の命をしっかりと捕え』ねばならないのです。
64 (イ)エホバのクリスチャン証人としての特別開拓者,会衆の伝道者,正規開拓者の活動はなんですか。(ロ)彼らのわざに多くの人が関心を持っていることは何からわかりますか。
64 エホバの証人の多くの男女は,王国の良いたよりの伝道に,全時間を費やす必要性を痛感しており,1万3,426名の人々が,特別開拓と命ばれているわざを割り当てられました。特別開拓者は自分を必要とする区域,多くの場合,エホバの証人の会衆がないところで,毎月150時間以上を良いたよりの伝道に費やします。それに加えて,全部の時間を宣教に費やすことはできませんが,会衆の伝道者として働く人が平均129万5,911名いました。実際には,これらの人たちが全地のわざの大部分を行なっているのです。なぜなら,彼らは月に平均10時間から20時間,聖書の音信について人々に語るからです。世俗の仕事や家事を済ませた後に,彼らはできるだけ多くの時間をさいて神の王国の良いたよりを伝道します。さらに,神から割り当てられたこのわざに毎月約100時間を費やす開拓者が,7万5,445人いました。以上合計すると,平均138万4,782名の証人が毎月,宣教に携わっていることになります。これは驚嘆すべきことではありませんか。そのほかにもさらに多くの人々が,エホバの証人とその活動に関心を持っています。彼らがキリスト・イエスの死の記念式に出席したことは,その関心の現われです。その記念式は1970年3月22日に祝われ,全世界での出席者数は322万6,168名でした。
65,66 (イ)エホバの証人のわざの中で,聖書文書と訪問を繰り返す活動が演ずる役割はなんですか。(ロ)過去30年間にわたる全世界の報告は何を示していますか。
65 「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の読者には関心があると思いますが,昨年,エホバの証人は世界各地で,それらの雑誌の新予約を246万4,196得ました。それに加えて,これら二つのすぐれた出版物の予約者でない,関心ある人々に,2億475万8,521冊の雑誌を個々に配布しました。
66 エホバの証人から文書を求めた人々は,質問がある場合,それに対する答えを得るため,再び証人に訪問してもらう権利を持っています。この働きにおいてエホバの証人は,昨年,全部で1億2,122万6,605回訪問を繰り返しました。この働きは信仰を築き,永遠の命をしっかりと捕えるよう他の人々を助けるために行なわれます。これは多年にわたって行なわれてきたことです。(活動の詳細については,218-221ページに載せられている全表をごらんください。)
全世界の報告
年度 わざの エホバの証人 ギレアデ
行なわれた国 の伝道者の数 卒業生の数
1940 56 95,327 -
1950 115 373,430 1,086
1960 179 916,332 2,255
1970 206 1,483,430 2,561
67,68 (イ)エホバの証人のための聖書出版物の印刷はだれが行なっていますか。(ロ)聖書文書の印刷の規模はどの程度のものでしたか。(ハ)このわざを行なうのに信仰はどうしてそれほど必要ですか。
67 ものみの塔聖書冊子協会は世界各地に数多くの印刷工場を持っており,各工場の人員は全部がエホバの証人です。主要な工場はニューヨークのブルックリンにあります。また,カナダ,英国,スウェーデン,フィンランド,ドイツ,スイス,南アフリカ,オーストラリアにも印刷工場があり,他の場所にも小さな工場があります。ある国々では,外部の印刷工場を使って配布用の文書を印刷しています。
68 1970奉仕年度の12か月間に生産された聖書研究用の本の総数は,2,913万8,291冊,小冊子1,396万5,784冊,「ものみの塔」誌1億7,703万8,027冊,「目ざめよ!」誌は1億7,171万9,337冊に達しました。そうした文書を印刷し,その配布を助けたクリスチャンたちはなんと大きな喜びを味わったことでしょう。彼らは,次のように言った使徒パウロと同じ思いをいだいています。『わたしは良いたよりを恥じてはいない。実にそれは,信仰を持っているものすべてに対する救いのための神の力なのである』。(ロマ 1:16,17,新)今日,正義を愛する人たちは神のことばに注意を向け,それを研究しつづけねばなりません。しりごみすることは許されないのです。パウロはこう述べました。「『しかし,わたしの義人は信仰のゆえに生きるであろう』。そして,『しりごみするなら,わたしの魂は彼を喜ばない』。ところで,わたしたちはしりごみして滅びるような者ではなく,魂を生きながらえさせるための信仰を持つものである」。(ヘブル 10:38,39,新)そうした種類の信仰が,以後何世紀もの間必要となることをパウロは知っていました。そして,その種類の信仰が今必要なのです。今は進歩をおくらせる時でも,まして断念する時でもありません。ハバククの次のことばを忘れないでください。「比黙示はなほ決まれる時をまちてその終を急ぐなり偽ならず若し遅くあらば待べし必ず臨むべしとどこほりはせじ」― ハバクク 2:3。
69 (イ)エホバの預言なさることは真実になるとどうして確信できますか。(ロ)しかし,わたしたちに要求されていることはなんですか。
69 少し過去を振り返って見ましょう。バビロンによるユダヤの滅亡に関する預言は,まちがいなく真実となりました。そしてバビロンみずからは,まちがいなくメデア人とペルシア人の手に落ちました。イスラエルの子孫はまちがいなく解放されて,母国に帰還しました。ユダヤ人が退けて刑柱にくぎづけにした者,すなわち神のみ子は,御父エホバによってまちがいなく死からよみがえらされました。ペテロはエルサレムの神殿のソロモンの回廊にいたユダヤ人たちに向かって,彼らが命の主要な代理者を殺したこと,しかし神は彼を死からよみがえらせ,弟子たちはその事実に関する証人であることをおくせずに告げました。(使行 3:15,新)エルサレムの神殿とエルサレムの都はまちがいなく破壊させられました。まさしくイエスの言われたとおりでした。「ほんとうにわたしはあなたがたに言う。ここで一つの石がもう一つの石の上に残されたまま,投げ落とされないでいることは決してないであろう」。(マタイ 24:2,新)それらすべての事柄は真実とはなりませんでしたか。過ぎ去った時代においてエホバが起こると言われた事柄は実際に起きました。しかし,神のことばを研究したことがなければ,どうしてそうした事柄がわかりますか。
70 どのように自分を吟味することがわたしたちに要求されていますか。
70 弟子たちが次の質問をした時のイエスの答えは,十分なものではありませんでしたか。「これらのことはいつあるのですか。あなたの臨在と,この事物の体制の終局のしるしはなんですか」。(マタイ 24:3,新)あなたはマタイ伝 24章をお読みになりましたか。そしてそれがより大規模な成就を見つつあること,また,自分が終わりの日に住んでいることを今信じておられますか。キリスト・イエスが再び来られたこと,新しい天の王座に着けられて,ご自分の天の王国に臨在していることを信じておられますか。(使行 2:34,35。黙示 11:17)現在の事物の体制の終局が,いよいよその終わりに迫っていることに気づいておられませんか。神の意志が天におけるごとく地にも行なわれますようにと,今でも祈り,また,そうなることを信じておられますか。あなたはまちがいなく,『信仰のりっぱな戦いをたたかって,永遠の命をしっかりと捕え』つづけますか。「そのために,あなたは召されて,多くの証人の前でりっぱな公の宣明を行なった」のです。黙示が「偽ならず」ということを信じておられますか。ハバククが言った,わたしたちの持つべき信仰,すなわち,若し遅くあらば待つべし必ず臨むべし,という信仰をあなたはお持ちですか。また,ペテロの言った次のことばもどうぞ思い起こしてください。「しかしながら,この一事があなたがたに見過ごされるようなことがあってはならない。……エホバにあっては一日は千年のようであり,千年は一日のようである。ある人々がおそい状態を考えるように,エホバはご自分の約束に関しておそいのではなく,むしろあなたがたを忍んでおられるのである。なぜなら彼は,だれも滅ぼされるのを望まず,すべての者が悔い改めに至ることを望んでおられるからである」― ペテロ後 3:8,9,新。
71 エホバの是認を得るには何が要求されていますか。クリスチャンは常にどうありますか。そして何を行ないつづけますか。
71 クリスチャンであるには信仰が必要です。クリスチャンは見えるものによらず,信仰によって歩むからです。(コリント後 5:7,新)エホバのクリスチャン証人は自分がどこにいようと,神の王国を伝道しつづけます。なぜなら,彼らはイエスの次のことばを成就するからです。「あなたがたは……地の最も遠いところにまでわたしの証人となるであろう」。同時に各自が,「信仰のりっぱな戦いをたたかい,永遠の命をしっかりと捕え」,しかも,多数の他の人々が同じようにするのを助けうることを実証する機会を持っているのです。―テモテ前 6:12,新。
[218-221ページの図表]
全世界にわたるエホバの証人の1970奉仕年度の報告
(製本した雑誌を参照)