ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目80 11/22 3–4ページ
  • 汚染についてあなたにできることがありますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 汚染についてあなたにできることがありますか
  • 目ざめよ! 1980
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 個人として何ができるか
  • 公害をなくすには何が必要か
  • 最終的解決策は見つかるか
  • あなたはどうすべきですか
    目ざめよ! 1971
  • 汚染 ― その進行は突然に終わる
    目ざめよ! 1988
  • 理想的な解決策を見いだす
    目ざめよ! 1996
  • 汚染を完全に取り除く 心や思いからも
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1993
もっと見る
目ざめよ! 1980
目80 11/22 3–4ページ

考えてみたことがありますか ―

汚染についてあなたにできることがありますか

ごみ捨て場の中で生活するのを楽しいと思う人はまずいません。ですから,スモッグ警報が出たとか,石油が流出したとか,湖が“死んだ”とか,原子炉の事故で放射性物質が漏れたとかいう話を聞いたり,街路や公園に廃棄物が散乱しているのを見たりすると,この美しい地球は全体がまさにごみ捨て場と化しつつあるのではないだろうか,と心配するのも無理のないことです。

公害は望ましくないけれども,「文明化」の副作用なんだから避けられない,と見る向きも少なくありません。実際,高度に発達した国ほどひどい公害に悩まされています。しかし,その責任は工業自体にあるのではなく,それを運営する人々の多くが示す間違った態度にあります。彼らは資金を出して公害防止計画を推進することに乗り気でなかったり,公害防止政策に従うことをしぶったりします。

国によっては,街路やハイウェーに沿って,あるいは他の公共の場所にごみが散らかっているのが見られますが,その原因も,これと同じ間違った態度,簡単に言えば「隣人愛のおきて」を守ろうとしないことにあります。スポーツ競技が終わったあとのスタジアムとか球場を見たことはありませんか。忘れてならないのは,あのように汚くするのは個々の人であるということです。

ですから実際に公害は個々の人の問題です。個々の人の心と思いの問題です。公害は,間違った価値観ともしかしたら無知とで思いが汚染され,利己主義,思いやりのなさ,他人の福祉に対する一般的無関心などで心が汚染された結果です。

個人として何ができるか

ごみを捨てるべき場所にきちんと捨てるように自分を訓練することは,だれにでもできることです。上品さや美を鑑賞する目を養うおとなに,“なんじ散らかすなかれ”というおきては不要でしょう。親が子供に同じ高い標準を尊重するよう教えるとき,少し粗野な言い方かもしれませんが,「たとえ子ぶたでも,ぶたはぶた」という,問題をずばり言い当てたドイツのことわざをいつも心にとめているのはよいことです。

ドライブを控えることや,自動車のエンジンを不必要にアイドリングさせないことに心掛ければ,空気の汚染は少なくなります。たばこでさえ,吸わずにいれば空気の汚れが違います。わたしたちにできることは確かにわずかであるかもしれません。しかし自分の分を果たすなら,一層清い良心を持つことができ,また自尊心を高めることができます。もしすべての人が本当に自分の分を果たし,『自分にしてほしいと思うことを,ほかの人にもそのようにしなさい』という聖書の黄金律を守るなら,美しい地球上での生活がどれほど快適なものになるか,想像してみてください。(マタイ 7:12)それは手入れの行き届いた美しい公園の中で住むようなものでしょう。

地球の創造者はもともとそのようなパラダイスの地の確立を意図しておられたと,心から信じている人は少なくありません。しかも彼らは,今日環境がひどく汚染されているにもかかわらず神は依然としてその理想的な状態をもたらすことに熱意をそそいでおられる,と信じています。この確信は彼らの生き方を変え,清潔さや美しさを尊ぶ理由,環境を汚さないようにすべき理由を彼らに与えました。ですから彼らは,公害のない世界という神のお考えに一致した行動をするように,自分にできる限りのことを行ないます。むろん,その人々が公害をなくすることはできません。それでも,自分の価値観を注意深く見守ることによって,公害を悪化させる一因となるような行為を避けることはできます。しかしこれは部分的な解決策でしかありません。

公害をなくすには何が必要か

もし人が公害をなくさなければならないとなると,人の頭は地球生態学に関する正確な知識で満ちていなければならず,その心は,環境を汚さないようにしよう,という誠実な気持ちで満ちていなければなりません。

科学者は,地球の環境を保護する生態系と生態学上のバランスを研究して,この必要な知識をいくらか得ましたが,その多くは試行錯誤によって学ばねばなりませんでした。これから学ぶべきこともたくさんあります。これら生態系の構造に見られる知恵は,聡明な設計者の存在を証明してはいないでしょうか。確かに設計者は,探求心を持つ人に,環境をうかつに汚さないようにするのに必要な知識を与える点で最も優れています。しかしそういう知識を与えられても,人はそれを正しく活用するでしょうか。その心の状態はどうでしょうか。

人間は愛とか思いやりといった特質や利他的な態度を心から示すことができる,と期待するのは間違いではありません。なぜかと言えば,創世記 1章27節(新)に,『神は人をご自分の像に創造された』と説明されており,神はそれらの特質を表明されるからです。多くの人は,間違った訓練や受け継いだ不完全さ,悪い環境などに妨げられて,神から与えられたこれらの特性を正しく発達させることができませんでしたが,それでもその可能性は宿しています。正しく教育され訓練されるならば,休止状態にあるそれらの特質は表面に表われ,公害を作り出す傾向を取り除いてしまいます。

神は今日でもこの種の知識と訓練を与え,公害のない世界での生活に必要な一連の正しい価値観や態度を養うように,その気持ちのある人々を助けておられます。神こそ地球の正当な所有者で,人間はその管理人に過ぎないと信じている人々は,神が与えてくださる知識と訓練をすなおに受けます。しかしほかの人々はそうしようとはしません。この状態を正すことは果たしてできるのでしょうか。

最終的解決策は見つかるか

きれいな公園のようになる可能性を持った自分の庭を,心ない人々がごみ捨て場にしようとしているならば,あなたはそれを黙ってみていますか。もちろん黙ってはいないでしょう。それならば,創造者がご自分の地球に対して同様のことをする人々に憤りを抱かれる気持ちがわかるのではありませんか。啓示 11章18節の説明によると,この憤りは,「地を破滅させている者たちを」神が「破滅に至らせる」神の定めのときに表明されます。将来地球の住民に与えられる公害防止のための指示が確実に守られるようにするためには,地を汚しても悪いと思わない矯正不可能な者たちを地上から除き去る以外にはありません。神の王国の働きによってその処置のとられる時が近いことを聖書は示しています。

わたしたちが公害を作り出すことをせず,またそれを作り出す人々を支持しないようにするならば,神はそのことに基づいて,今や近づいている公害のない世界にわたしたちを住まわせることがおできになります。そういう見込みがあるのは喜ばしいことではありませんか。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする