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  • 宣 89/12 3–4ページ
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  • 集会から最大の益を得る
  • わたしたちの王国宣教 1989
  • 副見出し
  • 準備のために明確な時間を取り分ける
  • 霊的食卓の主人に敬意を示す
  • どのように聴くかに注意を払う
  • 活発にそして意味深い仕方で参加する
  • 定期性を保つことにより
わたしたちの王国宣教 1989
宣 89/12 3–4ページ

集会から最大の益を得る

1 エホバは「忠実で思慮深い奴隷」級を通し,全世界の会衆に交わるご自分の民に途絶えることなく栄養豊かな霊的食物を供給しておられます。(マタイ 24:45-47)わたしたちは,会衆で開かれている五つの集会に定期的に出席することにより,その霊的食卓に無償であずかることができます。

2 昨奉仕年度中,「エホバの備えを活用する」という日本支部の掲げた目標に調和し,ほとんどの会衆で集会の出席に対してりっぱな努力が払われました。昨奉仕年度,全日本の集会の全奉仕者に対する出席率の平均は,公開講演155%,「ものみの塔」研究153%,神権宣教学校148%,奉仕会148%,書籍研究158%となっています。では,すべての人々がこの集会というエホバの備えから最大の益を得,霊的な進歩と円熟性の面での向上を図るには,どんな努力が求められるでしょうか。

3 『食物は人を作る』という言葉があります。人の食習慣の善し悪しは,当人の健康と命に大きな影響を与えるという意味です。同様に毎週備えられている五つの集会における霊的な食習慣は,わたしたちの霊性にきわめて大きな影響を与えます。それで,各自が自分の霊的食習慣の質を吟味するのはよいことです。

準備のために明確な時間を取り分ける

4 集会から得られる益は,各人が前もって行なう予習や準備に大きく依存しています。では,わたしたちは集会の準備を計画的に,しかも早めに行なっているでしょうか。計画や認識が不十分であれば,集会の準備が後手後手に回り,予習に追われるという悪循環が生じ得ます。それで,毎週余裕をもって次の集会に臨めるような準備の予定を立て,それにしっかりつき従う必要があります。親の皆さんは,子供たちが親の顔をうかがいつつ,常に親に確認しながら “答え”を読むのではなく,自分の言葉で注解することを楽しめるよう,子供たちの予習を漸進的に援助してください。

5 「神権宣教学校案内書」研究7には,集会の準備を行なうための効果的な方法が説明されており,その基本的な手順に従うのはよいことです。単に質問の答えに線を引くという程度で満足してはなりません。引照聖句も注意深く調べ,神の言葉がどのように論議を裏づけているかを熟考する必要があります。また,索引を活用して関連した他の資料を調べるなら,研究の喜びをいっそう味わうことができます。そのようにして得られた補足的な情報や適用,そして短い経験などを欄外にメモしておくことにより,集会における討議に意義深い仕方で貢献できます。加えて個人や家族が予習した事柄を振り返り,それをどのように用いられるかを考慮したり話し合ったりすることが必要です。そうするなら,「知恵」と「理解」の双方を得ることができるでしょう。―箴言 4:7。

霊的食卓の主人に敬意を示す

6 わたしたちは,これまで幾度となく集会に出席する際の服装を品位あるものに保つようにとの指導を受けてきました。教訓をいただくためエホバの前に出ることを考えるなら,書籍研究を含むすべての集会の際の服装は,最上のものではないにしても,『よそいき』という言葉が当てはまる,その場の威厳を反映するものであるべきです。それが “エプロンを取っただけ”という程度でもなければ,“ジーンズでなければよい”という程度でもないことは明らかです。―マタイ 22:11,12と比較。

7 集会場所に早めに到着するよう,会衆の全員が真剣に努力することは,接待役でもあられるエホバに敬意を示す方法の一つです。特別な理由もなく遅刻すべきでないのは言うまでもないことですが,いつも歌と祈りが始まる間際に到着するため,集会前に他の人々との温かい交わりを楽しんだり,カウンターで文書類を求めたりすることができないという習慣もふさわしくありません。15分ないし20分前に到着すれば,集会前にそれらの事柄を行なうことができますので,集会後不必要に帰宅が遅くなることを避けられます。また,献身した兄弟姉妹が早めに王国会館に着くなら,新しい人々を大勢で歓迎でき,集会前の親しい交わりを楽しむことができます。それで,集会が始まる直前にすべりこむという習慣がもしあるなら是非改善しましょう。

8 コロサイ 3章16節は,「詩と,神への賛美と,慈しみのこもった霊の歌とをもって互いに教え,……エホバに向かって歌いなさい」と勧めています。会衆によっては賛美の歌をみんなが大きな声で心から歌う雰囲気があり,そのような会衆には集会の初めから精神の高揚が見られ,活気があります。一方,たいていの人々が大きな声で歌うのを躊躇するため,心からエホバを賛美したいと願っている兄弟たちの霊を押しとどめてしまっている会衆があるかもしれません。賛美の歌はエホバへの崇拝の重要な部分ですから,自分や他の人のことを必要以上に意識せず,心を込め,口を大きく開け,大きな声で歌うようにしたいものです。

どのように聴くかに注意を払う

9 クリスチャンとしての進歩は,わたしたちがどれほど良い聴き手になるかによって大きく左右されます。しかし,良い聴き手になるとはどのような意味でしょうか。それは単に話し手の語る言葉に静かに耳を傾けることではありません。例えば公開講演の場合,ノートの取り過ぎを避け,できるだけ顔を上げて話し手の表情を見ながら聴くことを意味しています。また頭の中で建設的な質問を起こし,話されている論題を分析し,自分に適用しながら聴くことをも意味しています。そのようにしてわたしたちは,各人に当てはまる助言や教訓など,実際に話し手が語る言葉以上の事柄を聴くことができるようでなければなりません。(「案内書」研究5,26ページ参照。)

10 討議がなされているときには,他の人が資料のどの部分を述べているかを目で追うことだけに終始することなく,他の人の注解に本当に耳を傾けるなら,仲間の崇拝者が語る心からの信仰の表明に励みを得,良い注解の仕方を見倣うよう助けられます。確かに,「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である」という箴言 1章5節の諭しは真実です。

11 集会のプログラムから本当に益を得るには,聞いた事柄に従ってすぐ自分を調整し,提案された事柄を直ちに実践する必要があります。それでわたしたちには,集会が終わったとき,単に『今日も本当に楽しい集会だった』と感じる以上のことが求められています。すなわち,『今日は……について学んだので,これをすぐに行なってみよう』という具体的な決意がなければならず,しかもすべての集会の後にそのような明確で新たな決意が沸き上がってくるようでなければなりません。―ヤコブ 1:22-25。

活発にそして意味深い仕方で参加する

12 公開講演を除く他の四つの集会は,その全部または一部が聴衆の参加する討議のスタイルとなっています。わたしたちは,これら討議のプログラムが行なわれるとき,最初から活発に参加しているでしょうか。分かりやすい質問には多くの手が挙がり,少し固い資料や質問になると特定の人たちだけに注解が偏るという傾向があるでしょうか。直接的な注解だけでなく,補足的な注解にも意欲的に参加しているでしょうか。いつも,自分の述べる注解は “合っているか”ということが気になり,ただ本文を読むような注解をしているでしょうか。それとも自分の言葉で心から注解しているでしょうか。

13 神のみ言葉とそれに基づく資料に関する注解は,単に質問に対して “正解”を述べるというようなものではないことを心に留めるべきです。詩編作者は,「エホバよ,わたしの口の自発的な捧げ物をどうか喜んでください」,「わたしは大きな会衆の中で義の良いたよりを告げました。……わたしは自分の唇をとどめません」と述べています。(詩編 119:108; 40:9)ですから,集会におけるわたしたちの注解は,エホバに対する心からの感謝や信仰の表明であり,神への自発的な賛美の犠牲なのです。

14 欄外の質問は討議をより活発なものにするための呼び水に過ぎません。それで,時間の許す限り付加的な注解をどんどん述べることができます。注解は短い,要点をついたものであるべきです。それは集会に活気を与えます。大部分の人が長々とした注解を行なっているなら,新しい人や内気な人,子供たちは注解に参加することに必ずためらいを感じるものです。討議を司会する兄弟たちは,注解することの意義と方法について時折会衆に思い起こさせるとよいでしょう。(「案内書」研究18,91ページから93ページ参照。)

15 活発で意味深い注解をするよう心がけるなら,エホバの心を喜ばせ,自分と他の人の信仰を鼓舞するだけでなく,野外宣教における話し方や教え方の能力が向上するという祝福も得られます。なぜなら会衆での注解は,「表現力」,「機敏さ」,「勇気」など,野外宣教に求められる肝要な特質や技術を磨く訓練の機会となっているからです。それで,年齢や立場にかかわりなく討議に熱心に加わることにより,常に賛美の犠牲をエホバにささげ続けてゆきましょう。―ヘブライ 13:15。

定期性を保つことにより

16 備えられているすべての集会を,欠かすことなく支持することは,エホバに無条件の献身をした人にとって守るべき命令であると言えます。それでわたしたちは,各自次のように自問してみるのはよいことです。自分は『集会を休まない人』という評判を得ているだろうか。集会を一度でも休むことが自分の霊性を弱めることになるという認識を抱いているだろうか。神の羊の世話をゆだねられた長老として,会衆の成員のことを同じような認識を持って見守っているだろうか。事実は,エサウが陥ったような「神聖な物事の価値」に対する認識の欠如が,集会を一,二度休むというごく小さな事柄に端を発する場合が少なくないということを示しています。(ヘブライ 12:16)それで,世のことや未信者との関係で集会に出席することが難しいと感じる場合でも,それが本当に集会を欠席せざるを得ない特別な状況なのかどうかを祈りのうちに考慮してください。

17 エホバが偉大な牧者また教訓者として,ご自分の民の霊的健康を真に気遣っておられる方であることをわたしたちは,どれほど深く感謝していることでしょう。それで,「主の日」に住むわたしたちすべてが,時の緊急性を認識し,目前に迫っている千年統治の祝福にあずかるために,「集まり合うことをやめたりせず,……その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」というパウロの勧めに従い,エホバの愛ある備えである集会から最大の益を得てゆきたいものです。―啓示 1:10。ヘブライ 10:25。

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