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    ものみの塔(研究用)2023 | 6月
    • 研究記事27

      エホバを畏れることが大切なのはどうしてか

      「エホバは,ご自分を畏れる人を親しい友と[する]」。詩編 25:14

      8番の歌 エホバは避難所

      何を学ぶかa

      1-2. 詩編 25編14節によると,どうすればエホバの親しい友になることができますか。

      誰かといつまでも親友でいるためには,どんなことが大事だと思いますか。お互いを大切にすることや支え合うことをイメージするかもしれませんが,畏れの気持ちが必要だとは思わないでしょう。でも,この記事の主題聖句にある通り,エホバと親しい友になりたいと思うなら,エホバを「畏れる」必要があります。(詩編 25:14を読む。)

      2 どれほど長くエホバに仕えてきたとしても,エホバへの畏れの気持ちを持ち続けることは大切です。では,エホバを畏れるとはどういうことでしょうか。どうすれば畏れの気持ちを強めることができますか。管理人オバデヤ,大祭司エホヤダ,エホアシュ王から,エホバへの畏れについてどんなことを学べるでしょうか。

      エホバを畏れるとはどういうことか

      3. 何かを怖いと思う気持ちは,どのように私たちのためになりますか。

      3 エホバを畏れるとは,エホバが悲しむようなことを行うのを怖いと感じることです。何かを怖がるというのはネガティブな感じがするかもしれませんが,私たちのためになる場合があります。例えば,落ちるのが怖いと思えば,崖の端の方には近づかないようにするでしょう。けがをするのが怖いと思うと,危険な所から逃げようとします。大切な人との友情が壊れるのが怖いと思えば,不親切なことを言ったりしたりしないようにするはずです。

      4. サタンはエホバに対してどんな気持ちを持たせようとしていますか。

      4 サタンは人々にエホバへの正しくない恐れを持たせようとしています。「エホバはすぐに怒る神で,私たちに罰を与えようとしている。人間がエホバを喜ばせることなんてできない」と思わせようとしています。(ヨブ 4:18,19)そして,エホバに対する恐怖心を抱かせて,エホバに仕えるのをやめさせようとしています。サタンのこうしたわなにはまってしまわないためには,エホバへの正しい畏れの気持ちを持つ必要があります。

      5. エホバを畏れるとはどういうことですか。

      5 エホバを畏れる人は,エホバを愛し,エホバとの友情を傷つけるようなことは決してしたくないと思うものです。イエスはそのような「畏れ」を持っていました。(ヘブ 5:7)エホバに恐怖心を抱くことはありませんでした。(イザ 11:2,3)エホバのことを心から愛し,喜んでエホバに従いました。(ヨハ 14:21,31)私たちもイエスと同じように,エホバに深い敬意と畏敬の気持ちを持っています。エホバが愛情深く,賢く,公正で,力強い方だからです。エホバは私たちのことを深く愛していて,私たちがご自分のアドバイスにどう応じるかに関心を持っています。私たちは,エホバを喜ばせることもできれば,悲しませてしまうこともあるのです。(詩 78:41。格 27:11)

      畏れの気持ちを強める

      6. エホバへの畏れの気持ちを強めるためにどんなことができますか。(詩編 34:11)

      6 私たちは,エホバへの畏れを生まれつき持っているわけではありません。それで,努力が必要です。(詩編 34:11を読む。)創造物を観察するなら,この畏れの気持ちを強めることができます。「造られた物」を観察して,エホバの知恵や力や大きな愛について考えると,エホバへの愛や敬意が深まります。(ロマ 1:20)アドリーン姉妹はこう言います。「創造物を観察すると,エホバの知恵に驚かされます。エホバは私にとって何がベストなのかを知っている,ということにも気付かされます」。姉妹はこうしたことをじっくり考えたので,「私に命を与えてくれたエホバとの友情を傷つけるようなことは決してしたくない」と思うようになりました。あなたも,今週時間を取って創造物について考えてみるのはどうですか。きっとエホバへの愛や敬意が深まるでしょう。(詩 111:2,3)

      7. エホバへの畏れを強める上で,祈りはどのように助けになりますか。

      7 よく祈ることによっても,エホバへの畏れの気持ちを強めることができます。祈れば祈るほど,エホバが身近な存在になります。試練に立ち向かうための力を求めて祈る時,エホバがどれほど力強い方かを思い出せます。イエスを贖いとして与えてくださったことに感謝する時,エホバがどれほど愛してくださっているかを実感できます。そして,問題にぶつかっている時に助けを求めて祈るなら,エホバが本当に賢い方であることを思い起こせます。このように祈るなら,エホバへの敬意が深まるでしょう。そして,エホバとの絆を壊すようなことは決してしたくない,という気持ちになるはずです。

      8. エホバへの畏れを持ち続けるために,どんなことができますか。

      8 聖書中の良い例や悪い例を調べることも,エホバへの畏れの気持ちを持ち続ける上で助けになります。ではまず,エホバに忠実に仕えた2人の人について考えてみましょう。アハブ王の家の管理を任されていたオバデヤと,大祭司エホヤダです。そして,後にエホバに仕えるのをやめてしまったユダのエホアシュ王についても考えます。

      オバデヤのように勇気を示す

      9. エホバへの畏れはどんな面でオバデヤの助けとなりましたか。(列王第一 18:3,12)

      9 聖書によると,オバデヤは「エホバを非常に畏れる人」でした。b (列王第一 18:3,12を読む。)それで,オバデヤは正直で信頼できる人になり,王家の管理人としての仕事を王から任されました。(ネヘミヤ 7:2と比較。)オバデヤはエホバを畏れていたので,並外れた勇気を示すこともできました。この勇気はオバデヤにとって本当に必要なものでした。その時代に王だったアハブは,「エホバから見てそれまでの[どの王]よりも悪かった」からです。(王一 16:30)さらに,アハブの妻イゼベルはバアル崇拝者で,エホバをとても嫌っていました。北王国からエホバを崇拝する人を除き去ろうとしていました。神の預言者を大勢殺すことまでしました。(王一 18:4)ですから,オバデヤはとても難しい時代にエホバに仕えていたと言えます。

      10. オバデヤはどのように並外れた勇気を示しましたか。

      10 オバデヤはどのように並外れた勇気を示したでしょうか。イゼベルが預言者たちを殺そうと捜していた時,オバデヤは「100人を50人ずつ洞窟に隠し,パンと水を供給し続け」ました。(王一 18:13,14)もしこのことがイゼベルに知られたら,オバデヤは処刑されてしまったでしょう。もちろんオバデヤも,死ぬのは怖かったはずです。それでも,自分の命よりもエホバやエホバに仕える人たちのことを大切にしました。

      兄弟がエホバの証人の夫婦の家を訪問し,夫に出版物を渡している。妻は入り口の所で外の様子を見張っている。

      エホバの証人の活動が禁止されている中でも,兄弟が勇気を持って仲間に出版物を届けている。(11節を参照。)c

      11. 現代のエホバの証人は,どのようにオバデヤを見習っていますか。(写真も参照。)

      11 現在,多くの兄弟姉妹はエホバの証人の活動が禁止されている地域で暮らしています。兄弟姉妹は当局にふさわしい敬意を払っていますが,オバデヤのようにエホバに全くの専心を示しています。(マタ 22:21)エホバを畏れているので,人間ではなくエホバに従っています。(使徒 5:29)良い知らせを伝えたり注意深く集まり合ったりすることを続けています。(マタ 10:16,28)仲間が信仰を強める食物をきちんと手に入れられるようにもしています。アフリカのアンリ兄弟の例を考えてみましょう。兄弟が住む地域は,一時期エホバの証人の活動が禁止されていました。禁令中,兄弟は仲間に信仰を強める食物を届ける役割を果たしました。こう書いています。「私はもともと内気な方です。エホバへの深い敬意があったからこそ,勇気を持って行動できたんだと思います」。私たちもエホバを畏れているなら,アンリ兄弟と同じように勇気を示すことができます。

      大祭司エホヤダのように揺るぎない愛を示す

      12. エホヤダと妻は,エホバへの揺るぎない愛をどのように示しましたか。

      12 大祭司エホヤダもエホバを畏れていました。それで,揺るぎない愛を示し,エホバを崇拝するよう人々を励ましました。イゼベルの娘のアタリヤがユダの王権を奪った時のことを考えてみましょう。人々はアタリヤを恐れていました。それも当然でした。アタリヤは残酷な人だったからです。権力欲がとても強く,王位に就くために,自分の孫たちを全員殺そうとさえしました。(代二 22:10,11)でも,エホアシュは生き残ることができました。エホヤダと妻のエホシャブアトがエホアシュをかくまって世話したからです。こうして2人は,ダビデの王統が途絶えないようにしました。エホヤダはアタリヤを恐れるのではなく,エホバに揺るぎない愛を示したのです。(格 29:25)

      13. エホアシュが7歳の時,エホヤダはどのように揺るぎない愛を示しましたか。

      13 エホアシュが7歳の時,エホヤダはエホバへの揺るぎない愛を再び示しました。エホヤダはある計画を立てます。もしうまくいけば,エホアシュがダビデの王統を継ぐ正当な王になることができます。でも失敗するなら,エホヤダは命を失うことになるでしょう。結局,エホバの助けによってこの計画は成功しました。レビ族と氏族長たちの支えもあり,エホヤダはエホアシュを王にし,アタリヤを処刑しました。(代二 23:1-5,11,12,15; 24:1)そして,エホヤダは「エホバと王と民の間の契約を成立させ」ました。それは,「彼らが引き続きエホバの民になるという契約で」した。(王二 11:17)さらに,「エホバの家の門のそばに門番たちを配置し,何かしら汚れた人は誰も入れないようにし」ました。(代二 23:19)

      14. エホヤダはエホバを敬ったので,どのように尊ばれましたか。

      14 エホバは,「私を敬う人は私に尊ばれ[る]」と言っていました。確かにエホバは,エホヤダのために素晴らしいことを行いました。(サム一 2:30)例えば,エホヤダの立派な行いが聖書に記録されるようにしました。私たちはそこから学ぶことができます。(ロマ 15:4)さらに,「真の神と神の家に関してイスラエルで良いことを行った」ので,「『ダビデの町』に王たちと共に葬られ」ました。これはとても名誉なことでした。(代二 24:15,16)

      大祭司エホヤダのようにエホバを畏れているなら,兄弟姉妹をぜひ支えたいという気持ちになる。(15節を参照。)d

      15. エホヤダのエピソードからどんなことを学べますか。(写真も参照。)

      15 エホヤダのエピソードから,私たち全てはエホバへの畏れの気持ちを強めるのに役立つ点を学べます。長老たちは,エホヤダを見習って会衆をいつも見守り,世話するようにしましょう。(使徒 20:28)年長の兄弟姉妹はどうでしょうか。エホバを畏れ,揺るぎない愛を示し続けるなら,エホバがご自分の考えていることを成し遂げる時に用いていただくことができます。エホバは年長の兄弟姉妹のことを大切に思っているのです。若い人たちは,エホバがエホヤダにどんな素晴らしいことを行ったかに注目できます。エホバのように,年長の兄弟姉妹に敬意を持って接するようにしましょう。特に,長い間エホバに仕え続けてきた人たちにそうできます。(格 16:31)そして,私たち全てはエホヤダを支えたレビ族や氏族長たちから学ぶことができます。私たちも,「教え導いている人たち」に従い,心からサポートするようにしましょう。(ヘブ 13:17)

      エホアシュ王のようになってはいけない

      16. エホアシュはエホバへの畏れを持ち続けませんでした。どんなことからそれが分かりますか。

      16 エホアシュ王はエホヤダからとても良い感化を受けました。(王二 12:2)それで,若い頃はエホバに喜ばれることを行いたいと思っていました。でも,やがてエホヤダが死ぬと,エホアシュはエホバから離れた高官たちの言うことを聞くようになりました。どんな結果になったでしょうか。エホアシュも民も,「聖木や偶像を崇拝するようになり」ました。(代二 24:4,17,18)エホバはとても心を痛め,「彼らをご自分のもとに連れ戻そうとして預言者たちを遣わし続け」ました。でも,「彼らは耳を傾け」ませんでした。彼らは,エホヤダの息子のゼカリヤの言葉も聞き入れませんでした。ゼカリヤは,エホバの預言者で祭司であるだけでなく,エホアシュのいとこに当たる人でした。エホアシュはゼカリヤの家族に命を助けてもらったのに,感謝するどころか,ゼカリヤを殺してしまいました。(代二 22:11; 24:19-22)

      17. エホアシュはどうなりましたか。

      17 エホアシュはエホバへの畏れを持ち続けなかったので,悲惨な目に遭いました。エホバが「私を侮る人は軽んじられる」と言っていた通りです。(サム一 2:30)エホアシュの「軍勢は非常に多かった」にもかかわらず,シリアの小さな軍隊に敗れ,エホアシュは「重傷を負」いました。その後,シリア軍は引き揚げていきましたが,エホアシュはゼカリヤを殺したことで家来たちに暗殺されました。エホアシュはとても悪い王だったので,「王たちの墓地」に葬られることもありませんでした。(代二 24:23-25。マタイ 23:35の注釈「バラキヤの子」の項目を参照。)

      18. エレミヤ 17章7,8節によると,エホアシュのようにならないためには,どんなことが大切ですか。

      18 エホアシュの例からどんなことが分かるでしょうか。エホアシュは,根が浅く,杭に頼って立っている木のようでした。杭のような存在だったエホヤダがいなくなり,背教の嵐が吹き付けると,エホアシュは倒れてしまいました。この例から,エホバへの畏れを持ち続けるためには家族や仲間の兄弟姉妹に頼りきりではいけないということが分かります。エホバと親しい友でいるためには,聖書を学び,じっくり考え,祈ることによって,神への専心や畏れを自分で強めていく必要があります。(エレミヤ 17:7,8を読む。コロ 2:6,7)

      19. エホバは私たちにどんなことを求めていますか。

      19 エホバは私たちに多くのことを求めているわけではありません。エホバが求めていることは,伝道の書 12章13節にまとめられています。そこには,「真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。人の務めはそれに尽きる」とあります。エホバを畏れているなら,将来どんな問題にぶつかるとしても,オバデヤやエホヤダのようにエホバに仕え続けていくことができます。私たちはいつまでもエホバの親しい友でいることができるのです。

  • エホバを畏れる人はいつまでも幸せでいられる
    ものみの塔(研究用)2023 | 6月
    • 研究記事28

      エホバを畏れる人はいつまでも幸せでいられる

      「正直に歩む人はエホバを畏れている」。格言 14:2

      122番の歌 揺らぐことなく勝利を得る

      何を学ぶかa

      1-2. 現代のクリスチャンはロトと同じようにどんな問題を経験していますか。

      今の世の中の道徳基準について考えると,私たちは正しい人ロトと同じような気持ちになります。ロトは,お父さんエホバが悪い行いを嫌っていることを知っていたので,「不法な人々の恥知らずな行いに非常に苦しんでい」ました。(ペテ二 2:7,8)でも,エホバを畏れ,愛していたので,周りの人たちの低い道徳基準に染まってしまうことはありませんでした。私たちもエホバの基準を守ろうとしない人たちに囲まれて生活しています。それでも,エホバを愛し,畏れているなら,道徳的に清い人でいることができます。(格 14:2)

      2 エホバは,この点で役立つアドバイスを「格言の書」に収めてくださっています。年齢や性別に関係なく,全てのクリスチャンはここから大切なことを学べます。

      エホバへの畏れは私たちを守る

      1. お昼休みに,同僚の女性が兄弟にコーヒーを差し出している。2. 仕事の後,同じ女性がほかの同僚と一緒に出掛けようと兄弟を誘っている。

      職場にいる時,エホバを愛していない人と親しくなったり良くない誘いを受け入れたりしないよう注意する必要がある。(3節を参照。)

      3. 格言 17章3節によると,私たちが心を守るべきなのはどうしてですか。(写真も参照。)

      3 私たちが心を守ることはどうして大切でしょうか。エホバは心を調べる方です。人の見えるところではなく,内面に注目しています。(格言 17:3を読む。)永遠の命につながるエホバの教えについていつも考えている人は,エホバから愛されます。(ヨハ 4:14)サタンやサタンの世界が広めている不道徳な行いやうそに影響されてしまうことはありません。(ヨハ一 5:18,19)エホバのことを身近に感じるようになればなるほど,エホバへの愛や敬意が深まっていきます。お父さんエホバを悲しませたくないと思うので,罪を犯すことについて考えることさえしません。何かの誘惑を受けた時には,「これほど愛してくださっているエホバを悲しませることになってもいいのだろうか」と考えるようにしましょう。(ヨハ一 4:9,10)

      4. ある姉妹にとって,エホバへの畏れはどのように助けになりましたか。

      4 クロアチアのマルタ姉妹は,不道徳なことを行いそうになったことがありました。b こう書いています。「理性的に考えるのは大変でした。間違ったことをしたいという気持ちに負けそうになりました。でも,エホバへの畏れの気持ちが助けになりました」。どのようにでしょうか。姉妹は,悪い決定をしたらどんな結果になるかをじっくり考えました。私たちも同じようにすることができます。エホバをがっかりさせ,エホバに仕え続けられなくなってしまうとしたら,本当に悲しいことではないでしょうか。(創 6:5,6)

      5. レオ兄弟の例からどんなことを学べますか。

      5 エホバを畏れているなら,悪い行いを一切避けるように努力します。コンゴ民主共和国のレオ兄弟は,このことの大切さを学びました。バプテスマを受けた4年後,兄弟は悪い友達と関わるようになりました。自分自身が悪いことを行っていなければ,エホバに罪を犯していることにはならない,と考えていました。でもすぐに友達の悪い影響を受けて,アルコールにおぼれ,不道徳なことを行うようになってしまいます。やがて,クリスチャンの親から教わったことや,以前の幸せな日々についてじっくり考えるようになり,再び正しい考え方ができるようになりました。そして,長老たちに助けてもらい,エホバの元に戻ることができました。今では,長老また特別開拓者として奉仕を楽しんでいます。

      6. これからどんな2人の女性について考えていきますか。

      6 では,格言 9章を調べてみましょう。その中では,知恵と愚かさが2人の女性に例えられています。(ローマ 5:14,ガラテア 4:24と比較。)サタンの世界は,性的な不道徳やポルノであふれています。(エフェ 4:19)それで,エホバへの畏れの気持ちを強め,悪いことから離れていることはとても大切です。(格 16:6)男性であっても女性であっても,私たち全ては格言 9章から大切な点を学べます。2人の女性はどちらも,「分別のない人たち」を招待しています。いわば,「私の家に来て一緒に食事をしましょう」と言っているかのようです。(格 9:1,5,6,13,16,17)でも,どちらの家に行くかによって結果は大きく変わってきます。

      愚かな女性の誘いを退ける

      古代の場面。娼婦が家の入り口に座って男性を誘っている。

      「愚かな女性」の誘いを受け入れるなら,悲惨な結果になる。(7節を参照。)

      7. 格言 9章13-18節によると,愚かな女性の誘いに応じる人はどうなりますか。(挿絵も参照。)

      7 「愚かな女性」の誘いについて考えてみましょう。(格言 9:13-18を読む。)この女性は分別のない人たちに,「こちらに来[て]」一緒に楽しむようにと呼び掛けています。この誘いに応じる人はどんな結果になるでしょうか。「死んだ無力な人たちがそこに[いる]」と書かれています。「格言の書」の前の方の章でも,似たような表現があります。「いかがわし[く]不道徳な女性」について,「彼女の家は死へと沈[む]」と書かれています。(格 2:11-19)また,格言 5章3-10節でも,「いかがわしい女性の……足は死へと下る」と警告されています。

      8. 私たちはどんな選択をする必要がありますか。

      8 「愚かな女性」の声が聞こえてきたなら,その誘いに応じるか退けるかを決めなければなりません。性的に不道徳なことをするように誘惑を受けたり,ポルノが突然目に飛び込んできたりした時,私たちはどうするでしょうか。

      9-10. 性的に不道徳な行いを避けるべきなのはどうしてですか。

      9 性的に不道徳な行いを避けるべきなのはどうしてでしょうか。「愚かな女性」は,「盗んだ水は甘[い]」と言っています。この「盗んだ水」とは何でしょうか。聖書は,夫婦の性関係を爽やかな水に例えています。(格 5:15-18)正式に結婚した夫婦だけが性的な親密さを楽しむことができます。しかし,「盗んだ水」はそれとは全く違います。これは正しくない性関係を指しているようで,多くの場合隠れて行われます。泥棒が人目を避けて家に忍び込むのとよく似ています。誰にも気付かれていないと思っているなら,「盗んだ水」は甘く感じるかもしれません。でも実際には,エホバが全てを見ています。エホバに嫌われてしまうとしたら,それ以上に悲しいことはありません。とても大きなものを失うことになるのです。(コリ一 6:9,10)考えるべき点はほかにもあります。

      10 性的に不道徳なことを行うなら,恥ずかしい気持ちや自分には価値がないという気持ちになるかもしれません。望まないのに妊娠したり,家庭が崩壊したりすることもあります。命に関わる病気になることさえあるでしょう。(格 7:23,26)格言 9章18節の最後には,「彼女の客が墓の底にいる」とあります。ですから,愚かな女性の「家」に行かないのは本当に賢いことです。では,大勢の人が悲劇をもたらすこの誘いに応じてしまうのはどうしてでしょうか。(格 9:13-18)

      11. ポルノがとても有害なのはどうしてですか。

      11 多くの人はポルノのわなにはまっています。ポルノは無害だと考える人もいますが,実際には有害です。自分や他の人の尊厳を傷つけます。中毒性があるので,見るのをやめるのはかなり大変です。不道徳な画像は頭に残り,なかなか消すことができません。さらに,ポルノは間違った欲望を膨れ上がらせてしまいます。(コロ 3:5。ヤコ 1:14,15)実際,ポルノを見る多くの人が不道徳なことを行うようになっています。

      12. 不道徳な欲望を湧き上がらせないために,どんなことができますか。

      12 クリスチャンである私たちは,ポルノが目に飛び込んできたならどうすべきでしょうか。すぐに目を背けるべきです。エホバとの友情が一番大事だということをいつも意識しているなら,こうしたきっぱりとした行動を取ることができます。一般的にはポルノと考えられていない画像であっても,不道徳な欲望を湧き上がらせる場合があります。そうしたものも避けるべきなのはどうしてでしょうか。たとえ小さなことであっても,心の中で姦淫を犯すことにつながるようなことはしたくない,と思っているからです。(マタ 5:28,29)タイで長老として奉仕しているデービッド兄弟はこう言います。「『これはポルノではないかもしれないけれど,見続けるならエホバは喜ぶだろうか』と考えるようにしています。そうすることで,良い決定ができています」。

      13. 賢く行動するためには何が必要ですか。

      13 エホバを悲しませたくないという気持ちがあるなら,賢く行動することができます。聖書に,「知恵はエホバへの畏れから始まる」と書かれている通りです。(格 9:10)この点は,格言 9章の初めの方で説明されています。そこでは,「真の知恵」が別の女性として描かれています。

      賢い女性の招待を受け入れる

      14. 格言 9章1-6節には,どんな招待について書かれていますか。

      14 格言 9:1-6を読む。これは,創造者であり全ての知恵の源である,エホバからの招待です。(格 2:6。ロマ 16:27)ここに出てくる家は,7本も柱がある大きな家です。ここから,エホバが惜しみなく与える方だということが分かります。エホバは,役立つ知恵を求める人たちを喜んで迎え入れてくださいます。

      15. 私たちにはどんな招待が差し伸べられていますか。

      15 「真の知恵」を表している女性の様子からも,エホバが惜しみなく与えてくださる方だということが分かります。この女性は,肉をしっかり用意し,ぶどう酒に香料を混ぜ,食卓も整えました。(格 9:2)さらに,9章4,5節にはこうあります。「知恵は,分別のない人に言う。『来て,私のパンを食べ……なさい』」。この賢い女性の招待を受け入れるべきなのはどうしてでしょうか。エホバはご自分の子供たちに賢く歩んでほしいと思っています。間違いを通して学ぶようなつらい学び方をしないように守りたいと思っています。それで,エホバは「正直な人のために,役立つ知恵を蓄え」ています。(格 2:7)エホバを畏れているなら,エホバに喜ばれることをしたいと思うはずです。エホバからのアドバイスに耳を傾け,喜んで当てはめます。(ヤコ 1:25)

      16. アラン兄弟が賢い決定をする上で,エホバへの畏れはどのように助けとなりましたか。どんな結果になりましたか。

      16 エホバへの畏れは,賢い決定をする上でどのように助けとなるでしょうか。長老で学校の教師をしているアラン兄弟の例を考えてみましょう。兄弟はこう言います。「同僚の多くは,ポルノ映画も性教育の一部だと考えていました」。でも,兄弟はこの間違った考え方に影響されることはありませんでした。さらにこう言っています。「エホバを悲しませたくなかったので,そうした映画を一切見ないようにしました。そして,その理由について同僚に説明しました」。兄弟は,「真の知恵」の声に耳を傾け,「理解の道を前進しなさい」というアドバイスを当てはめたのです。(格 9:6)何人かの同僚は,兄弟のきっぱりとした態度に感心し,聖書レッスンを始め,集会にも出席するようになっています。

      古代イスラエルの女性が1組の夫婦を家に招待している。テーブルには,栄養豊かで美しく盛り付けられた料理が準備されている。

      「真の知恵」の招待を受け入れるなら,いつまでも幸せでいられる。(17-18節を参照。)

      17-18. 「真の知恵」の招待を受け入れるなら,どんな素晴らしい経験ができますか。(挿絵も参照。)

      17 エホバは2人の女性の例えを使って,どうすれば幸せになれるかを教えてくれています。騒がしく「愚かな女性」の招待を受け入れる人は,不道徳な行いから喜びを得ようとします。そうした人は,今が楽しければいいと考え,将来のことなど気に留めていません。でも,最終的には「墓の底」に下ることになります。(格 9:13,17,18)

      18 一方,「真の知恵」の招待を受け入れる人たちは,幸せを味わうことができます。今,エホバとの絆を強めるのに必要なものがふんだんに与えられています。栄養豊かで美しく盛り付けられた料理が目の前に並んでいるかのようです。(イザ 65:13)エホバはイザヤを通してこう言っています。「私の言うことを一心に聞き,良い物を食べなさい。そうすれば,本当に豊かな物を大いに喜べる」。(イザ 55:1,2)私たちは,エホバが愛するものを愛し,エホバが憎むものを憎むよう教えられています。(詩 97:10)また,「真の知恵」を学ぶよう人々に勧めることから喜びを味わっています。まるで,「町の高台から……『経験のない人は誰でもこちらに来なさい』」と呼び掛けているかのようです。でも,私たちが味わっている喜びは今だけのものではありません。永遠に生きて,「理解の道を前進し」ていくことができるのです。(格 9:3,4,6)

      19. 伝道の書 12章13,14節からすると,どうすることが大切ですか。(「エホバへの畏れがあるなら…」の囲みも参照。)

      19 伝道の書 12:13,14を読む。では,これからもエホバへの畏れの気持ちを強めていきましょう。そうするなら,この邪悪な終わりの時代の中でもエホバとの友情を守ることができます。心を守り,道徳的に清い人でいることもできます。そして,この畏れの気持ちは,「真の知恵」について学ぶようできるだけ多くの人に伝えていく力ともなるでしょう。

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